フォーセット夫妻 (The Fawcetts)

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Henry FawcettMillicent Fawcett

ヘンリー・フォーセット (Henry Fawcett), 1833-1884.

 ジョン・スチュアート・ミルの忠実な信奉者だったヘンリー・フォーセットは、最後の古典派経済学者の一人だ。またケンブリッジ大学の初代経済学教授でもある——その後継者が限界主義者アルフレッド・マーシャルだ。父親との銃の誤射事故で、1857 年に 25 歳で盲目となったフォーセットは、それでも経済学を続けて、さらに国会議員となり、イギリス内閣に入閣するだけの余裕もあった。急進的な政治指導者で教育改革者でもある。1863 年 Manual はミルの学説を一般向けに述べたもので、教科書としてもかなり成功した。

ヘンリー・フォーセットの主要著作

ミリセント・ギャレット・フォーセット (Millicent Garrett Fawcett), 1847-1929.

 エリザベス・ギャレット (イギリス初の正式な女性医師) でヘンリー・フォーセットの妻。政治にも活発に関与して、女性参政権運動にも参加した(1890 年にはあまり武闘派ではない全英女性参政権協会連合の会長にも選出され、1914 年まで務めている)。当時としてはそこそこの教育を受けていたミリセント・フォーセットは、盲目の夫の秘書という重要や役割も果たした。最も有名な著作は1870 年の『初心者のための政治経済学』 (Political Economy for Beginners) で、短い本だがとても人気が出た。それは学生向けの経済学原理教科書として、当時の新記録を樹立している。そして 41 年にわたり十版を重ねている。この本の成功がもっと驚異的なのは、そこに述べられている経済学が完全にリカード派の流れに沿ったものだということだ。リカード派は、当時は限界革命の台頭でイギリスでは衰退しつつあったからだ。もっと驚くべきことに、ミリセント・フォーセットは賃金資金ドクトリンの問題を知っていたにもかかわらず、かなり後の版までそれを教科書に含め続けた。その後もいくつか経済問題に関する文を書き、それをヘンリー・フォーセットと共著で有名な本 (1872) にまとめた。女性教育を熱心に支持して、ケンブリッジにニューハム女子カレッジ創設を手伝っている。夫が夭逝すると、ますます政治活動に深入りし(たとえば1901 年ボーア戦争注に、イギリスの捕虜収容所の状況を調べるよう任命されている)、経済問題についての執筆からは離れた。1925 年にはナイト(「デイム」)の地位を授与されている。

ミリセント・フォーセットの主要著作

フォーセット夫妻に関するリソース


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