ジョン・ベイツ・クラーク (John Bates Clark), 1847-1938

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Portrait of J.B. Clark

 アメリカの新古典派経済学者で、限界革命主導者の一人。1875 年にアムハースト大学を卒業してから、ジョン・ベイツ・クラークはドイツに旅行して、ハイデルベルクでカール・ニースの下で学んだ。アメリカに戻るとカールトン大、スミス大、アムハースト大で経済学、歴史などあれこれ教えてから、ジョンズ・ホプキンス大学で大学院生を受け持つようになる。1895 年には、やっとコロンビア大学に腰を据える。

 ジョン・ベイツ・クラークは「限界生産性」概念と、「財の蕩尽」理論を考案したことで知られる。これは分配の限界生産理論の根底にあるもので、この理論をクラークは 1889 年に初めて(異説もあるが)考案し、そこからあれこれ倫理的な結論を山ほど導いている(特に 1899 年の有名な大著で)。また限界効用に基づく需要の理論を1885年に独自に考案したが、こちらはすでにちょっと手遅れだった。

クラークは、オーストリア学派の資本理論 と独自の理論とが対決した初期の「資本論争」において、オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルクの一大論的となった。クラークは、他のあらゆる要素と同様に、生産関数には「永続的」な資本基金があるのだと提案している(この理論はかれが動的「協調」議論をさらに展開した、1907 年の『要論』でさらに確固たる基盤を与えられた)。 クラークの「寓話」は、 1930 年代にフランク・ナイトが別の資本論争で採り上げ、さらに 1950 年代に新古典派成長理論に組み込まれたときには、これまたケンブリッジ資本論争を引き起こした。

 限界学派の数少ないアメリカ人経済学者で、資本主義システムの有力な 擁護者だったジョン・ベイツ・クラークは、制度学派の天敵だった——その結果、ソースティン・ヴェブレンに狙い撃ちされた。その息子ジョン・モーリス・クラークは、それでも父の保守的な道にはしたがわなかった——それどころか、制度学派の重鎮になったのだった。

ジョン・ベイツ・クラークの主要著作

ジョン・ベイツ・クラークに関するリソース


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