フィッシャー・ブラック (Fisher Black), 1938-1995

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 フィッシャー・ブラックは、もともと数学専攻だったけれど、その後アーサー・D・リトルに入社してから CAPM 理論の創始者の一人トレイナーと出会ってファイナンスに目覚める。研究分野の一つの方向は CAPM モデルの検証で (1972)、一部の低ベータ株の収益が CAPM の理論値に比べて高すぎることを指摘したりしている

 またブラックは 1968 年から、当時 MIT のスローン・ビジネススクールにいたマイロン・ショールズといっしょにオプション価格を求めるブラック=ショールズ式を定式化した (1973)。ポール・サミュエルソン門下からビジネススクール講師陣に加わったマートンとの競争関係もきわめて大きな役割を果たしている。ちなみに、モデルそのものは 1971 年頃には完成していたものの、次々にリジェクトされ、ファマミラーの口利きによってやっと 1973 年になって Journal of Political Economyに掲載されたのだった。基本的な発想は、オプションからの収益は、もとになる株と借り入れとの適切な組み合わせによって再現できる、ということだ。その両者の価格式を結合すれば、それがオプションの価格となる。現代ファイナンス理論において、この理論は CAPM モデル、モジリアニ=ミラーの法則と並ぶ三大成果の一つといえる。これが定式化されたことで、デリバティブに関する理論的研究は大幅な進展を見せたし、また実際の金融商品の創出においてもこの理論は実に大きく貢献している。また、主流経済学においても、この理論は期待や不確実性に関する考え方を大幅に変えた。不確実性は、これまではなるべく排除されるべき有害なものでしかなかったけれど、オプション理論は不確実性にも価値があることを示すものだからだ。オプション価格式があることで、実体経済において「待つ」という判断の持つ価値も明確に理論化できるようになっている。

 ブラックはその後、シカゴ大学教授となり、アメリカファイナンス協会の会長を務め、晩年は実業の世界に戻ってゴールドマン・サックスに所属。1995 年にガンで死亡した。存命中であれば、1997 年のノーベル記念経済学賞 を、マイロン・ショールズやロバート・マートン と共同で受賞していたことだろう。

フィッシャー・ブラックの主要著作

フィッシャー・ブラックに関するリソース


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