クラレンス・エドウィン・エアーズ (Clarence E. Ayres), 1891-1972.

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 気がついていない人もいるだろうけれど、戦後期の多くの人が持っていたアメリカ制度学派の印象というのは、なんらかの形でテキサスの経済学者兼哲学者のクラレンス・E・エアーズが作り出したか影響を与えたものだ。ミッチェルは中立的な統計資料に埋もれ、クラークコモンズはなだめ役に徹したのに対し、アメリカ制度学派の独特な挑戦的性格を維持し続けたのはクラレンス・エアーズただ一人だろう。

 制度学派的アプローチの根底には、1944 年や 1951 年の論文などで説明された、エアーズの有名な「制度学派の二元論」があると主張する人は多い。エアーズの「二元論」は「テクノロジー的」態度と「儀礼的」態度の区別と共存を強調している。これはヴェブレンから取った用語で、それぞれおおまかに言えば、経済構造で新しく発明された側面と、昔から引き継いだ側面と指している。エアーズは「制度的遅延」の理論を提示した。これはつまり、技術変化のおかげで、経済的テクノロジーは常に、過去から継承された社会-文化的制度より一歩先を行くという話だ。エアーズが描くヴェブレン風の「進化」の過程では、本能的な発明活動の噴出で技術変化が生み出され、テクノロジーのプロセスを革新するけれど、相対的にのろい、継承された社会-経済的構造はこの変化に適合できないんだ。制度は氷河のように緩慢に進んで、いずれは新しいテクノロジーに対応するけれど、その調整が終わる頃には、発明活動の次のラウンドはもっと先に飛び出している。こうして永続的な遅延が続き、こういう社会的構造と経済的テクノロジーとの不適合が持続することになるわけだ。

 エアーズのヴェブレン解釈についての評価は様々で、制度学派のプログラムを促進すると見る人もいれば、抑圧するものと見る人もいる。一方でかれの解釈は、社会的制度はどうしようもなく無能で遅れているというかなり悪意のあるものだ。「進歩派」の制度学派(例えばコモンズ) にとって、これはかなりむかつく。その上、エアーズがヴェブレンの進化理論について、「テクノロジー」ですべてが決まるという解釈に固執したことで、彼はアメリカ制度学派のもっと主観主義的なメンバー(あるいは研究者) と対立することになった――特にけんか好きのシカゴ学派の経済学者フランク・H・ナイトと。

 とはいっても、エアーズ自身は必ずしも進歩的政策が本質的に無意味だとは思っていなかった。例えば、かれ自身は「所得保証」(つまり負の所得税、たとえば 1967 年の論文)の熱心な支持者だったし、またごく初期の段階には、経済理論の社会-文化的基礎とイデオロギー的基礎を指摘して批判した (たとえば 1918, 1934) とはいえ、彼自身は、それが理解と変革の両方の役には立たないなどとは主張しなかった。

クラレンス・E・エアーズの主要な著書論文

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