社会主義計算論争

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Soviet 10-rouble note

「社会主義計算」論争が生じたのは19世紀末だ。産業革命がもたらした壮絶な貧困を証拠として、社会主義者たちマルクス主義者たちなど、自由放任の批判者たちは自由市場がつまりは失敗し、生産と分配についてコントロールできる優しい政府のほうが、財をもっと効率よく平等に割り振れるのだ、と論じた。「社会主義計算」論争が起きたのは、自由放任の支持者たちが市場のほうがリソースをうまく、あるいは少なくとも無限に賢い政府と比べてもひけをとらないくらいにうまく割り振れるのだ、と論じて、これが論争となった。

 この論争は、マルクス主義学派が登場したときから始まっていたとはいえ、正式に「社会主義計算」論争を真剣に議論したのはワルラス派経済学者であるエンリコ・バローネだ。バローネは、1908 年論文「集産主義国家における生産省」でこれを論じ、続いてパレート (1896; 1906: p.266-9) も独自の考察を行った。バローネは、少なくとも原理的には社会主義経済でも資本主義と同じくらいよい成果を挙げられるはずだ、というのも価格というのはワルラス系の連立方程式の解でしかないと考えられるからだ、と論じた——その方程式を解くのが政府だろうと市場だろうと関係ない、と。

 だが、社会主義システムのほうが実はもっと優秀だったりしないだろうか? この問題を提起したのはオットー・ノイラートだ。ノイラートは、第一次世界大戦中に、政府が「戦時経済」を実施して、それが雇用を高水準にたもち、景気変動を防ぎ、戦争のためになかなか効率よくリソースを仕切り、生産を最大化したようだということを指摘した。平時でも同じことができるのでは? ノイラートは、それが可能だと思った——ついでに、そういうシステムならお金がいらないという追加の利点もある。集産コントロールなら「実体価値」だけで十分だ。オットー・バウアーやエミール・レーデラーなど、第一次大戦後のドイツ社会主義化委員会に関わっていたマルクス主義者たちは、お金の廃止についてノイラートほど決然とはしていなかったが、それでも特に産業集中を前提とすれば、社会主義による解決策のほうが効率がよいと明確に考えた。

 この問いかけはまた、フレッド・M・テイラーも1929年の有名なAER 論文で発したものでもある。そしてかれは、それを肯定的に回答した——確かに社会主義国家は、私企業経済と少なくとも「同じくらいの効率」を実現できる、ということ。そして集産システムでなら、初期所得(あるいは割り当て)の分配もまた政府がコントロールできる追加の変数となるという追加のメリットもある。これは市場経済にはない。消費はどうだろう? モーリス・H. ドッブ (1933) はさらに、消費者の独立性なんてそもそも過大評価されているとまで論じた。政府が生産だけでなく消費の決定もコントロールすれば、「非効率」の問題はなくなる、というわけだ。

 ここで オーストリア学派が、ルードヴィヒ・フォン=ミーゼスという大砲をひっさげて参戦した。有名な1920年論文「社会主義コモンウェルスにおける経済的計算」で、ミーゼスは攻撃を開始した——社会主義経済における価格システムは必然的に劣っている、なぜなら社会主義システムで政府が生産手段を保有しているなら、資本財は最終財とはちがって単に内部での財の移転にすぎず、「交換対象」ではないので価格が得られない——したがって値づけされず、したがってこのシステムは必然的に非効率なのだ、と。

 だがミーゼスの議論構築には誤謬があった——H・D・ディキンソン (1933) はすぐにそれを指摘した。というのも、バローネテイラーが示したように、世界をワルラス的連立方程式として見てそれを解こうとするなら、内的産物に値づけできないなどという問題は生じないのだ。というわけでボールはオーストリア学派のコートに打ち返され、それに反論する役目を受けて立ったのはフリードリッヒ・フォン=ハイエク (1935) だった。バローネとテイラーが夢見た連立方程式系は、あまりに多くの情報を必要とするし、それはどう見ても簡単に手に入るものではなく、それが得られても、必要な計算(何千もの方程式が出てくる)はむずかしすぎる、とハイエクは論じた。同様に、市場経済で提供される経済インセンティブは、集産システムでは再現できない。

 パレート派の経済学者、特にテイラー (1928)、ヤコブ・マルシャック (1923)、オスカール・ランゲ (1936, 1938) 、アバ・ラーナー (1934) は、国家運営の経済は少なくとも同じくらい効率的になれると論じた——ただし、政府の計画者たちが価格システムを、市場経済と同じように使えばだが。これはもちろん、パレートの厚生経済学基本定理の適用でしかない。さらに、現実的な意味でいえば、市場経済だって市場の失敗にすぐにぶちあたる(たとえば不完全競争や外部性、取引費用など)し、そうなれば価格メカニズムでは効率的な割り振りができなくなる。完全に競争的なシステムであるかのように価格設定をする政府はこれを克服でき、したがってもっと高効率になれる、というのだ。

 オスカール・ランゲの議論は特に強力だった。価格というのは、ある財と別の財の交換レートでしかない(あるいはパレート (1906: p.155) 式に言えば、それは「財の分配とその変換と関連した会計装置」なのだ)。それを意志決定者にとってのパラメータとみるにしても、それが中央計画者に提供されようと、市場に提供されれようと、国有企業の経営者たちが費用最小化を目指すよう支持されれば関係ないはずだ。市場が正しい価格を「見つけ」安定させるという機能はめざましいものではある。だが政府がワルラス派のいう「競売人」になればいい——模索過程を通じて価格を探すというわけだ。さらに、社会主義経済にはインセンティブがないという問題について、現代の資本主義経済だって、所有(株主)と経営者(CEOなど)との間の亀裂が増大して、インセンティブは同じくらい歪んでいるではないかとやりかえした (ランゲは、このために各種の制度学派の成果に頼った)。

 フリードリッヒ・ハイエクは、この新しい議論に応じて自分の立場をさらに磨き上げた。これは一連の重要な論文 (1937, 1940, 1945, 1948, 1968) で行われ、要するに国家運営経済が資本主義よりリソース割り当ての効率を高くできないのは、市場経済における価格メカニズムの伝える情報は、どんな計画者であれ獲得できる情報よりも多量だからだ、と論じた。これは情報と自己組織化に関する研究として、ハイエクのキャリアの後半で大きな役割を占めることになる。

 この論争のおもしろい結果としては、ソ連自体において、ランゲが提案した技法が採用されたということがある。これはレオニード・ カントロヴィッチによる線形プログラミングの開発につながり、これにより計画経済における効率的な割り当ては、競争市場経済と実質的に同じように価格の利用が必要だということが示されてしまった。同じことをチャリング・C. クープマンスも、多市場シナリオにおける効率性の定式化された議論で示している。その結論で、集産主義経済は理想化されたワルラス派の世界では民間市場システムよりもよい結果は挙げられない——だが市場より悪い成果になるのが確実というわけでもない。要するに、二人はバローネのもともとの主張に戻ってきただけなのだった——少なくとも理論的には。オーストリア学派は、価格の「情報的」役割とインセンティブ問題に関するハイエクの立場を死守し続けた。

参考資料


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