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ヒックス=ハンセンの
IS-LM モデル

 ロイ・ハロッド (1937)、ジェイムズ・ミード (1937) 、オスカール・ランゲ (1938) は、ケインズ理論 の主要な関係を方程式として記述して、有効需要の理論と流動性選好の理論の相互関係を明確にしようとした。似たような試みとして、ジョン・ヒックスは有名な 1937 年Econometrica 論文「ケインズ氏と「古典派」たち:解釈の一示唆」で二本の曲線 "SI-LL" を描いてこれらの関係を説明した。この曲線はその後、 IS-LM モデルとして有名になり、いまやケインズ派に転向したアルヴィン・ハンセン (1949, 1953) によって広められた。\(IS-LM\) モデルは教育装置として史上有数の威力を発揮し、即席の図式説明としては経済学で考案された中で最も効率のよいものの一つだ。だが、それなりに深刻な問題もある。それはモデルとしての内的な一貫性の面でもそうだし、ケインズ理論の表現としてもそうだ。

 単純な \(IS-LM\) をまとめるにあたり、ヒックスとハンセンが注目したケインズ体系の重要な特徴は、実体市場と金融市場との相互作用だ。実体市場からは、所得水準 (\(Y\)) が得られ、お金の市場からは、金利 (\(r\)) が得られる。これらの変数は、こんどは他の市場での要素に影響する——最も単純なバージョンとしては、所得はお金の需要に影響し、金利は投資に影響する。この相互作用は明らかに「古典派の二分法 (classical dichotomy)」に違反していて、これから見るようにお金の中立性も支持しない。金融-実体経済の相互作用は、ケインズ理論の 版の核心だ——だからヒックス (1937) は見事なワルラス派的直観により、お金と実体経済について同時に解を出すことが必要だと結論づけている。

 でも多くのケインズ派、たとえば パシネッティ (1974) は、ケインズ体系は「ブロック再帰的」または「シーケンシャル」に考えるべきで、同時に解を出すべきではないと論じている。つまり、ケインズの体系は、「資産市場」と「財の市場」の意志決定が交互に行われる一連のシーケンスとして見るべきだという議論もできるわけだ。まずは金融市場におけるポートフォリオ決定で金利が決まり、その後からそれが投資や産出や雇用など実体市場を決め、それが今度はその後で次のポートフォリオ決定にフィードバックされ、という具合。この批判が重要なのは、ポートフォリオ (LM) の決定はストックの文脈で行われるものなのに、実体市場の決定 (IS) は フローの制約の中で行われるからだ。さらにリチャード・カーン (1984) とジョーン・ロビンソン (1973, 1978, 1979) が後に協調したように、 の同時方程式の手法は、シーケンスの時間を排除することで、かれらがケインズ理論において根源的だと考えた時間依存の概念も排除してしまう——時間依存概念とは、たとえば不確実性、期待、投機、アニマルスピリットなどだ。ジョン・ヒックス (1980, 1988) 自身がその改悛の中で指摘しているように、こうしたISとLMでの参照時間のちがいが同時 \(IS-LM\) モデルを首尾一貫しないものにしている (Leijonhufvud, 1968, 1983; Davidson, 1992 も参照)。

 以下の \(IS-LM\) 説明では、こうした問題を無視し、もとのヒックス=ハンセンの図式をもとにしている。一番いい出発点は、お馴染みの所得-支出図だ——つまり「ケインズの十字架」としてポール・サミュエルソン (1948)。アバ・ラーナー (1951)、アルヴィン・ハンセン (1953) が広めたものだ。まず、計画された支出(総支出)を以下のように書こう: \[Y^d = C + I + G\] ここで \(C\) は計画された消費で、\(I\) は計画投資で、\(G\) は計画された政府支出だ (外国については無視する)。財市場は均衡するなら、総需要と総供給は等しくなる: \[Y^d = Y\] ここで \(Y\) は所得 (または産出または総供給) となる。さて、所得は消費されるか、貯蓄されるか税金で持って行かれる。だから \(Y\) は次のように分解できる: \[Y = C + S + T\] それぞれの変数はごく普通の定義だ (\(S\) が貯蓄、\(T\) は税金)。すると均衡では \(C + I + G = C + S + T\) 。もっと単純にして、政府が収支を均衡させている (つまり \(G = T\)) とすると、均衡条件 \(Y^d = Y\) はつまり、以下と等価となる: \[I = S\] つまり、計画された投資と計画された貯蓄は等しくなるということだ。

 産出の均衡水準は、完全雇用水準以下のどの水準でも別にかまわない実際の均衡点となるのがどの産出水準かは、総需要で完全に決まる——したがって、産出の均衡水準の主な決定要因は総需要だ。これがケインズ理論のメッセージの核心なのは議論の余地がない。総需要が与えられれば、生産者はその需要を満たそうとして、したがって総産出はその総需要と等しくなるように増減する。

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図 1 -所得-支出のケインズの十字

 均衡産出の計算は実はかなり簡単で、カーン=ケインズ「乗数」からすぐに出てくる。消費を現在の所得に対する以下の線形関数だとしよう: \[C = C_0 + cY\] ただし \(c\) は限界消費性向 (MPC) なので \(0 < c < 1\) 、さらに \(C_0\) は自律的な消費だ。また、投資需要と政府支出は外生的に与えられるとする (i.e. \(I = I_0\) で \(G = G_0\))。すると総需要は: \[Y^d = C_0 + cY + I_0 + G_0\] これは図1で示した総需要関数 \(Y^d\) だ。この線の傾きは、限界消費性向 (\(c\)) であり、\(0 < c < 1\) なので、総需要関数 \(Y^d\) は 45度線より平らになる。 この \(y\) 切片は単に自律的な要素の集まり \(A_0 = [C_0 + I_0 + G_0]\) にすぎない。

 明らかに均衡だと \(Y = Y^d\) だ。だから均衡産出 \(Y^*\) について解くと: \[Y^* = [C_0 + I_0 + G_0]/(1-c)\] だから均衡産出は、自律的な要素 \((C_0 + I_0 + G_0)\) の何らかの倍数となり、\(1/(1-c)\) がカーン=ケインズ「乗数」となる。均衡水準の産出 \(Y^*\) は、図1だと総需要関数と 45度線との交点となる。

 カーン=ケインズ乗数の背後にある基本的な理屈は、支出(人々によるものでも、企業、政府によるものでも)はだれか別の人にとっては収入となり、そしてその収入の一部は消費され、したがってもっと支出を生み出し、それがもっと収入を生み出し、それがまた支出を……ということだ。だから自律的な支出が \(C_0+I_0+G_0\) なら、これはだれかの収入となる。したがって消費は \(c(C_0+I_0+G_0)\) だけ増え、これが今度はだれかの収入を増やし、その額は \(c(c(C_0+I_0+G_0)\) という具合に何度もぐるぐるまわる。だから、最初の自律的な支出水準 \(C_0+I_0+G_0\) から出てくるのは: \[Y^* = (C_0+I_0+G_0) + c(C_0+I_0+G_0)+ c^2(C_0+I_0+G_0) + c^3(C_0+I_0+G_0)+ ...\] だがこの幾何数列はいつまでもは続かない。この級数は収束する。というのも限界消費性向は1未満だからだ。言い換えると、\(0 < c < 1\) なら、この級数は以下に等しいことになる。 \[Y^* = [C_0+I_0+G_0](1 + c + c^2 + c^3+ ....) = (1/(1-c))[C_0+I_0+G_0]\] なぜかといえば、無限幾何級数 \((1 + c + c^2 + c^3+ ….)\) は単に \(1/(1-c)\) (これは1より大きい) だからだ。だから、最初の自律的な支出\([C_0+I_0+G_0]\) は、乗数が一通り巡ったところで経済全体に対し \([C_0+I_0+G_0]/(1-c)\) の収入を生み出したことになる。

当然ながら、カーン=ケインズ乗数プロセスで含意されている体系の根底には、不均衡動学もある。具体的には、この乗数の力学は、産出が財に対する需要の過剰に反応すると論じている: \[dY/dt = k (Y^d - Y)\] ただし \(k > 0\) だから、財の需要が過剰 (\(Y^d > Y\) または \(I > S\)) なら産出は増加し、財の供給が過剰 (\(Y^d < Y\) または \(I < S\)) なら産出は減る。新古典派マクロモデル では、財の市場をクリアさせるのは金利だと論じていたけれど、これはかなりちがっている。

 さてさっき、ラーナー(1938, 1939, 1944) から実際の貯蓄は 常に実際の投資と一致することを見た。だから、ここで示した \(I\) と \(S\) は投資と貯蓄の計画水準だということはお忘れなく、その理由を見るには、産出が図1の \(Y^*\) の左側にあるとしよう。たとえば \(Y_1\) だ。この点だと、産出 \(Y_1\) は決まっているので、そこから考えれば \(S\) は決まっている。だが明らかにこの地点では、総需要は総供給を上回る。つまり \(Y^d > Y\) (つまり\(I > S\) と等価)。だったらラーナーが正しいはずがあるだろうか? ある。財の過剰需要がある以上、企業の在庫も予定外に減っているはずだ――ということはこんどは、計画外の負の投資があるはずだ、ということになる。この 計画外の負の投資は、計画した投資と計画した貯蓄との差――つまり \(Y_1\) における二曲線 \(Y^d\) と45度線との開きとなる。だから、計画された投資は計画された貯蓄を上回っても、実際の投資(計画された投資から計画外のマイナス投資を引いたもの)は 実際の 貯蓄に等しくなる。すると乗数の動学から見れば、企業は在庫が予想外に下がるのを見たら、それは財に対する過剰な需要のしるしだと受け止めて、結果として生産を増やす――そして産出を \(Y^*\) に戻すのだ、と提案する。

 同じことは逆側からでもいえる。仮に実際の産出が \(Y^*\) の右側、たとえば図1で \(Y_2\) にあったとする。この場合、\(Y^d < Y\) あるいは計画された \(I\) は計画された \(S\) より小さい――つまり 計画外の 在庫投資があって、過剰な財の供給が在庫の棚に積み上がる、ということだ。企業はこれを産出引き下げの合図と見なす――そこで \(Y\) は \(Y^*\)まで引き下げられる。つまりケインズ乗数の動学は、産出 \(Y\) は財の市場における不均衡に対応した調整をすべて 引き受けると言っていることになる。

[別の言い方だと、総需要と総供給の途中での差は、予定外の在庫減少や在庫増加ではなく、計画外の、または強制された貯蓄の増減ちなる。こうした言い方は、それ以前のヴィクセル派文献 (e.g. Hayek, 1931) を思わせるもので、不均衡のときにおかしくなるのは、必ずしも企業の支出計画ではなく、消費者の支出計画なのだ、と含意している。結果として生じる乗数動学には、こうした解釈は影響しないが、ちょっと不自然に思えるかもしれない.]

 均衡産出水準 \(Y^*\) は、限界消費性向 (\(c\)) と自律項W \(C_0, I_0, G_0\) がわかれば均衡水準の水準も決まることはすでに書いた。だがこれはかなり簡略化したモデルだし、こうした項はもう少し細かく書くべきだ。たとえば消費は以下のように定義できる: \[C = C_0 + c(Y - TX)\] ただし \(C_0\) は自律的消費で \(c\) は現在の可処分所得からの限界消費性向だ。可処分所得は、実際の所得 \(Y\) から税金 \(TX\) を引いたものになり、その税金は \(TX = TX_0 - TR_0 + tY\) と定義される。ただし \(TX_0\) は自律的な税(たとえば物品税)で、\(TR_0\) は純政府移転支払い(たとえば失業手当)で、\(t\) (ただし \(0 < t< 1\)) は限界税率で、\(tY\) が税額となる。この場合の消費は以下のようになる: \[C = C_0 + c((1-t)Y - TX_0 + TR_0)\] これはさっきの消費関数の表現よりはちょっと詳しくなる。

 モデルをもっとおもしろく変えるには、投資需要関数の記述を変えることだ。つまり、投資が金利 \(r\) の負の関数だとしよう。投資関数は次のようになる: \[I = I_0 + I(r)\] ただし \(I_r < 0\) で \(I_0\) は自律的投資だ。ちなみに、こういう書き方をすると、投資はたった一つの金利の負の関数となる――この時点ですでにもとの話にヒックス流の改変が入っている。さらに、 \(G = G_0\) も完全に自律的だとすると、総計画支出は以下のようになる: \[Y^d = C_0 + c((1-t)Y - TX_0 + TR_0) + I_0 + I(r) + G_0\] したがって、均衡では \(Y = Y^d\) で、均衡産出 \(Y^*\) について解くと: \[Y^* = [C_0 + c(TR_0 - TX_0) + I_0 + G_0 + I(r)]/(1-c(1-t)) \] あるいは自律的な項をすべて \(A_0\) にまとめ、 \(A_0= [C_0 + c(TR_0 - TX_0) + I_0 + G_0 + I(r)]\) にすると、\(A_0\) は \(Y^d\) 曲線の \(Y\) 切片となる。そして上の式は以下のようになる: \[Y^* = A_0/(1-c(1-t)) \] ここで \(1/(1-c(1-t))\) が新しい乗数になる。もちろん \(0 < (1-c(1-t)) < 1\) なので、総需要関数は相変わらず 45度線よりは平らで、したがって必ず交点が発生し、均衡 \(Y^*\) が生まれる。

 これをもっと豊かにしようと思えば、外国セクターを追加して、自律的な輸出入の項や、限界輸入性向を乗数の項として導入してもいい。でもポイントはすでに明らかだろう。「リアリズム」を増すために自律項や乗数にどんなものを加えるにしても、均衡水準となる産出 \(Y^*\) は決まるし、それを確実に安定させる乗数の力学が働くということだ。

 この考え方で最も重要な結果は、\(Y^*\) が均衡産出水準に対応し、\(I = S\) となるが、それが完全雇用になるかどうかはわからない、ということだ。\(Y^*\) は、連続した可能な産出水準の一つでしかない。図1で、完全雇用は \(Y_F\) で示され、明らかに \(Y^*\) より大きい。でも 新古典派モデルとはちがい、産出の均衡水準を完全雇用にまで持っていくような内在的なメカニズムはない。だから経済は「過小雇用均衡」で維持されることになる。

 さらに、自律項 (e.g. \(C_0, TX_0, TR_0, I_0, I(r), G_0\)) のどれかが変われば、\(A_0\) が変わって、\(Y^d\) 曲線の \(Y\) 切片が変化することにも注目――するとそれに対応する均衡産出水準 \(Y^*\) も変わる。だから財政政策変数、たとえば政府支出 (\(G_0\))や自律的な税金 (\(TX_0\))、政府の移転 (\(TR_0\)) や (経路はちょっとちがうけれど) 所得税率 (\(t\)) が変わると、産出の均衡水準 \(Y^*\) にも影響がある。だから均衡は政策依存だ。政府は、歳出や移転を増やしたり減税したりすることで、均衡産出水準 \(Y^*\) を増やせる。だから、政府が歳出や税政策を使って均衡産出 \(Y^*\) を完全雇用 \(Y_F\) に押し出せるというケインズ派の提案――アバ・ラーナー (1943, 1944) が「機能的財政」と呼んだもの――はここで明確にわかる。

 当然ながら、\(A_0\) に含まれるのは政府の財政政策変数だけじゃない。自律的消費 (\(C_0\)) や投資の項 (\(I_0, I(r)\)) も均衡産出水準に影響する。ケインズsは特に投資――「あの飛び立つ鳥」――と、それがどうやって均衡産出水準を決め、どうすればそれが変えられるかに興味を抱いていた。具体的には、投資が金利 \(r\) の関数だということに注目。だからこのモデルはきちんと「閉じて」はいない。金利 \(r\) の決まり方については何も言っていないからだ。さて、金利と投資の関係は、「投資の限界効率」または MEI――これはラーナー (1944) が適切に生まれ変わらせたものだ――を通じて起こる。ざっと言えば MEI 曲線は右肩下がりだと考えられる。投資が増えると、投資の限界効率は下がる。企業は、MEIがその時の金利に等しくなるまで投資を行うのだ、とケインズは提案した。だから金利が下がると、投資は増えるし、その逆もなりたつ。つまり\(I(r)\) は \(dI/dr < 0\) を成立させる。

 こうして、ヒックスの「\(IS\)」の基本ができた――これは金利と産出の関係をとらえた均衡を結んだものだ。金利があがると、 \(I(r)\) が下がり、結果として \(Y^d\) も下がる――つまり均衡産出水準である \(Y^*\) も下がる。だから図3で見るように、\(IS\) 曲線は右肩下がりとなる。高い \(r\) は低い均衡産出水準 \(Y^*\) と結びついていて、低い \(r\) は高い \(Y^*\) をもたらす。これは均衡点の軌跡だ――この曲線のどの点も財市場の均衡を示し、そこでは総需要と総供給が一致する。曲線をはずれた地点は「不均衡」点を示す。たとえばある \(r\) では \(Y^*\) が決まり、だから実際の産出 \(Y\) が \(Y^*\) より大きければ \((Y> Y^*)\) 乗数力学からすれば、それはどうしてもその軌跡に向かって下がらざるを得ない。同様に、ある \(r\) で \(Y< Y^*\) なら、産出は \(Y^*\) のほうに上昇せざるを得ず、軌跡に向かうわけだ。だから \(IS\) 曲線の左の部分は、財について「過剰な需要」がある地点をあらわし、右の部分は財の「過剰な供給」がある地点を示す。図3にある、水平方向の矢印が、乗数力学をまとめている。

 すぐにわかるのは、政府支出 (\(G\)) の増大、移転 (\(TR_0\)) の増大、税金 (\(TX_0, t\)) の減少、自律的投資 (\(I_0\)) の増加、自律的消費 (\(C_0\)) の増加、消費性向 (\(c\)) の向上はすべて、\(IS\) 曲線を右にシフトさせる、ということだ。逆の場合には左にシフトする。さて以下の式が成り立つので: \[Y^* = [C_0 + c(TR_0 - TX_0) + I_0 +G_0 + I(r)]/(1-c(1-t)) \] \(r, Y\) について全微分すると、\(IS\)曲線の傾きは以下で示されることになる: \[dr/dY = (1-c(1-t))/I_r\] だから支出が所得に対して敏感(つまり限界消費性向が低くて所得税率が高い)で投資の感度が低いほど、\(IS\)曲線は立ってくる。逆に、所得感度が高く(つまり乗数が高く)投資が金利に敏感なら、IS曲線は寝てくる。

 でも、まだ金利を決めなきゃいけない——ここでケインズの 流動性選好理論 が出てくる。

「ですからいつの時点でも、金利というのは流動性を手放す報酬なのであり、お金を持っている人が、それに対する流動的な支配力の放棄をどれほどいやがるか、という指標なのです。金利というのは、投資するリソースの需要と、現在の消費を控える意欲とを均衡させる「価格」ではありません。それは、現金の形で富を保有したいという願望と、実際にある現金の量とを均衡させる「価格」なのです」

(Keynes, 1936: p.167 13章 II)

 これがどういうことかといえば、人々は資産のポートフォリオを持っていて、それについて「適正な」流動性のミックスを見つけようとする、ということだ。単純化して、そのポートフォリオに2種類の資産しかないとしよう。現金(収益性はないがきわめて流動的)と「債券」(利息が付くが流動性は低い)。利率がゼロなら、だれもポートフォリオに債券なんか持ちたがらない――現金が提供する流動性のほうがずっと優れているからだ。だが人々に「流動性と決別」させるために、債券は利子率を持つ。この利子率が高ければ、現金を手放してかわりに債券を持とうという誘因は増える。期待利率と実際の利率(および利率といってもいろいろある)という問題はヒックスの原論文では無視されてしまったけれど、話の要点を理解するには、お金の需要が以下のように書けることに気がつけばいい: \[M^d = L(r, Y)\] ただし \(L_r < 0\) で \(L_Y > 0\) なので、金利が上がるとお金の需要は下がる(みんな利息のつく債券を買いたがるようになるので) 一方で、産出が増えるとお金の需要は増える(取引をするためのお金がみんな必要になるからだ)。お金の需要が所得に依存するというのは重要な関係だ――もともとケインズが言及していたのに黙殺し、ヒックスとハンセンが復活させたものだ。これに対し、お金の供給は次のように書ける: \[M^s = M/p\] ただし \(M\) は名目のお金の供給量(マネーサプライ)で、外生的に決まるものとされる。また \(p\) は物価水準で、ここでは説明しないでおく。お金の市場が均衡するには、\(M^d = M^s\) が成立するか、あるいは次のようになる: \[L(r, Y) = M/p\] お金の市場の均衡は図2に示す。

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図 2- 流動性選好を持つお金の市場

 明らかに金利はお金の市場を均衡させられるはずだけれど、どうやって? 通常のミクロ経済学では、リンゴの市場がはけるのはリンゴの値段によると教わる――だったら、お金の市場はなぜ別の財、つまり債券の値段によってはけるんだろう? これを理解するには、ケインズの念頭にあったのが、ポートフォリオストック制約の存在だったことを理解しよう。これはヒューリスティックとして以下のように書ける: \[(M^d - M^s) + (B^d - B^s) = 0\] ここで富への総需要は \(M^d + B^d\) であらわされ、富の総供給は \(M^s + M^s\) だ。ストックについてワルラス則を仮定すると(これは非常に重要な仮定だ)、この等式は常になりたつ。さて、ケインズによれば、金利は債券の受給で決まると述べた。でも金利で債券市場がはけるなら (つまり \(B^d = B^s\)) 必然的に \(M^d = M^s\) となり、お金の市場もはける――つまり、金利がお金の需給で決まるということも同時に言える(これはケインズが何度もやったことだ)。ワルラスの法則のストック制約からすると、債券市場の均衡とお金の市場での均衡は、まさにまったく同じことなのだ。

 もし金利が高すぎて、債券需要が債券供給を上回ったら (\(B^d > B^s\)) このストック制約によりこれが必ず \(M^d < M^s\)、つまりお金の供給過剰につながることがわかる。\(r_1 > r^*\) を考えたときに、これがどう描かれるかは、図2を参照。ポートフォリオ力学は単純な需要供給の理屈だ。債券需要が多すぎたら、債券価格は上がり、つまり債券の利率は減る――これにより\(r_1\) は \(r^*\) のほうに下がる。同じく、逆の場合も成り立つ。同様に、反対の場合もまたなりたつ。金利が \(r^*\) 以下 (たとえば \(r_2\) とか) なら、普通の論理で債券の供給が債券の需要を上回ることになる――だが、ストック制約により、これはつまりお金の需要が過剰だということになる。力学もまた効いてくる。債券供給が多すぎると、債券価格が下がって、債券の利率が上がる――だから \(r_2\) から \(r^*\) に戻る。したがって、これがすべてお金の市場の図だけで捉えられる。つまり、富のポートフォリオ配分から含意されるワルラスの法則関係を認識すれば、話の細部は債券市場で展開するにしても、債券の利率がお金の市場で決まると主張してもおかしくはない。この問題についてはケインズ『一般理論』のレビューを参照してほしい。

 さて、 \(M^d = L(r, Y)\) を思い出そう。つまり、お金の需要はまた産出の関数でもある。産出が増えると、お金の需要曲線も上がって、したがって均衡金利 \(r^*\) もあがる。結果として、ヒックス (1937) にしたがって「\(LM\)」 曲線を、産出水準と均衡金利とを関連づける均衡の軌跡として描ける。図 3 で見るように、これは正の相関なので、\(LM\) は右肩上がりとなる。\(LM\) が示すのはお金の市場での均衡なので、\(M/p = L(r, Y)\) が \(LM\) 曲線上のどこでも成立することには注意しよう。\(LM\) 曲線を離れたらどこでも、お金の市場での不均衡ということだ。具体的には、ある産出水準で、 \(r\) が高すぎたら、さっき述べた力学が働く。\(r > r^*\) なら、お金の供給(マネーサプライ)が過剰なので \(r\) は増える。だから \(LM\) 曲線より上の点はすべて、お金の供給(マネーサプライ)が多すぎる状況を示し、\(LM\) 曲線より下の点はすべて、お金の需要が多すぎる状況を示す。だから図 3の垂直方向の矢印は、金融市場から出てくる力学を示している。

 明らかに、\(LM\) は多くのパラメータでシフトする。名目のお金の供給 \(M\) の増加、物価水準 \(p\) の低下、債券供給 \(B^s\) の低下、お金の需要 \(M^d\) 減少、債券需要 \(B^d\) 増加はすべて、\(LM\) 曲線右シフトにつながる。このどれかが反対方向に動けば、\(LM\) 曲線は左にシフトする。均衡の軌跡を全微分し: \[d(M/p) = L_rdr + L_YdY\] \(d(M/p) = 0\) にすると、\(LM\) 曲線の傾きは: \[dr/dY = -L_Y/L_r\] ただし \(L_Y\) はお金の需要の所得感度で、\(L_r\) はお金の需要の金利感度だ。だから \(L_Y\) が高くて \(L_r\) が低ければ、\(LM\) 曲線は急になる。\(L_Y\) が低くて \(L_r\) が高ければ、とても平らな \(LM\) 曲線となる。後者を極端にすると、ヒックス (1937) が「流動性の罠」と呼んだものになる。

 図 3 では、\(IS\) と \(LM\) を重ねて、 \(IS-LM\) 図を作ってみた。するとすぐに、財の市場とお金の市場の両方が均衡しているのは点 \(E\)、つまり \(r = r^*\) で \(Y = Y^*\) となる地点だということがわかる。これは、財の市場とお金の市場がどっちもはける、産出と金利の均衡水準だ。財の市場乗数とお金の市場の金融力学が示す、矢印を検討すると、すぐに均衡 \(E\) が安定だということもわかる。あらゆる道筋がいずれはそこに向かうからだ (\(IS\) 曲線は、もちろん、\(dY/dt = 0\) の isokine でしかなく、\(LM\) 曲線は \(dr/dt = 0\) の isokine でしかない――だから力学はすぐに導ける)。

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図 3 - ヒックス=ハンセン IS-LM モデル

 それぞれの不均衡象限 (図 3 で I-IV で示したもの) が何を意味しているのか、もう一度見直しておくといいだろう。:

 すぐに問題の居所が少し見えてくる。 ヒックス (1980) が後に慎重に述べた通り、本当はストックの均衡をフローの均衡に重ねるわけにはいかない。参照されている時間がちがうからだ。これを理解するには、 \(LM\) 曲線がストック均衡を示すことを思いだそう――だから定義からして、富の需要は富の供給に等しい。だが予定の貯蓄は、富に対する追加の需要に翻訳されるし、予定の投資は富の追加の供給に変わる。すると、 \(LM\) 曲線上にあるのに \(IS\) 曲線上にはない、なんてことがどうしてあり得るのか? 言い換えると、ストック制約を常に成立すると考えるなら、フロー制約が不均衡になっていることはあり得ない――つまり予定された \(I = S\) も常に成立するはずだということになる。他にお馴染みの問題がまたもやここで顔を出す。ケインズの流動性選好の理厘というのは、少なくとも金利が 2種類、つまり将来の期待利率と現在の利率があるのが前提じゃなかったっけ? それはどこにいった?

 これは \(IS-LM\) によるケインズモデルの説明で生じる数々の困難のうち、ごく一部でしかない。だが教育的でお手軽な仕組みとして、\(IS-LM\) はおそろしく効率がいい。これは機械的に見てもわかる。自律的な有効需要変数 (\(C_0, I_0, G_0, TR_0, -TX_0\) etc.) の増加はすべて、\(IS\) 曲線を右にシフトさせ、結果として産出と金利はどっちも高い均衡に移る。お金の供給(マネーサプライ)や物価水準の低下、お金の需要の低下などはどれも \(LM\) 曲線の右シフトにつながり、産出を増やして金利を下げる。さらに、財政政策 (\(IS\) 経由で作用) と金融政策 (\(LM\) 経由で作用) はどちらも、その曲線の傾き次第で効き目が大きく変わってくることもわかる――つまりは金利、あるいはお金の需要、投資、消費など支出費目の所得感度に影響されるということだ。LM曲線が立っていて、\(IS\) 曲線が寝ているなら、金融政策がかなり有効だということだし、その逆に \(LM\) 曲線が寝ていて、\(IS\) 曲線が立っていたら、財政政策がずっと効果的となる。

 ヒックス=ハンセンの \(IS-LM\) 図で語れる重層的な話はあまりに多く、その根底にある論理的、理論的な難点もほとんど無視してもかまわないとすら思える。だが多くの有力なケインズ派経済学者——たとえばアバ・ラーナー (1944, 1951, 1952), ティボール・シトフスキー (1940)、シドニー・ワイントラウブ (1958, 1959, 1961, 1965)、ポール・デヴィッドソン (1972, 1994) ——などが絶対にこれを使わないことからもわかるように、 \(IS-LM\) モデルはケインズ『一般理論』を表現するツールとして、唯一のものでもなければ、最も忠実というわけでもなく、最も首尾一貫したものでもない——だが、最も単純なものだとは言えるかもしれない。

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