(The Economist Vol 381, No. 8504 (2007/9/8), "Time to call it a day" p. 12)
© 旭化成
山形浩生訳 (hiyori13@alum.mit.edu)
ものには潮時ってものがあって、国も例外ではありません。
最近、ふと低地のベネルクス諸国に目をやりますと、総選挙から三ヶ月近くもたったというのに、ベルギーはいまだに新政府ができていないではありませんか。本誌刊行時には何かできたかもしれないけれど。でもそうだとしても、だれが気に留めるだろう。そしてもしそうでなかったとしても、だれが気にかけるだろう。当のベルギー人たちですら関心なさそうだ。そして、政府に対するこの考え方は、国自体についての考え方でもあるのかもしれない。ベルギーがいますでに存在しなかったとしたら、今日の人でそれを敢えて作ろうとする人などいるだろうか?
これは別にベルギー以外の国に対しても提起できる問題ではある。だがベルギーの問題(というべきか)は、それを提起しているのがまさにその国民たち自身だということだ。そりゃ確かに世論調査では、ほとんどのベルギー人たちはまだこの芝居を続けたいと述べる。でも投票となると、六月十日の選挙がそうだったように、この国は言語の区分線できれいに別れる。フランス語をしゃべる南部のワロン人たちは、フランス語政党に投票し、オランダ語をしゃべる北部フラマン人たちは、オランダ語政党に投票。この両者は折り合いをつけられない――それだから政府もできない。両者はそっぽを向き合い、お互いをおおむね無視し合っている。でも、みんな自分たちのことがわかっているつもりでいる。昨年12月にフランス語テレビ番組が妨害されて、フラマン議会が独立を宣言して王さまは逃亡、ベルギー解体ですというインチキニュース速報が流れたとき、多くの人はそれを真に受けてしまった。
無理もない。いまの首相代行は、ベルギー人には「王さま、サッカーチーム、ビールいくつか」以外には何ら共通のものがないと考えており、自国は「歴史上の事故」の産物だと述べている。実際にはこれはウソだ。1831年に建国されたとき、ベルギーはいくつかの意義を実現するものだった。それはオランダの支配者が課す数々の差別的な慣行から人々を解放するものだった。そしてイギリスとフランスにとっても、ナポレオン戦争の直後のヨーロッパに争乱の種をもたらしそうな状況よりは、新しい中立国ができたほうがよかった。
その結果は、文句なしの成功でもなければ文句なしの失敗でもなかった。ベルギーは急速に工業化した。アフリカの相当部分を占拠して、かなり強欲な支配をしいた。自分は一方でドイツに侵略・占拠された――それも一度ならず二度も。そしてその後、うまくたちまわって欧州連合(EU)となったものの本部を確保した。その間に、マグリット、ジョルジュ・シムノン、タンタン、サキソフォン、大量のチョコレートを生産。それとフライドポテトも。かつてローマ人たちがベルゲイと呼んだ部族の支配するこの一帯からは、今後ももっとよいものが生まれてくるだろう。だがそのためには別にベルギーという国はいらない。新しいミニ国家二、三個になっても、あるいはフランスとオランダの新拡大領土となってもいいものは出てくるだろう。
ブリュッセルは、ヨーロッパの行政首都の役目に専念すればいい。もはや 1830 年にそのオペラハウスを取り巻き、デモ隊を鼓舞してベルギー人たちを独立へと駆り立てた、あの自由の空気は失われている。今日の空気はもっとどんよりとしたものだ。いまや自由があたりまえと見なされているので、昔の恨みつらみに抑えが効かなくなってきている。怨嗟がますます強まり、この国はもはや奇形じみた代物と化し、権力があまりに縮退して政府が軽侮される真空と化した国家となっている。一言で言えば、ベルギーはすでにその目的を終えた。きれいさっぱり別れる頃合いだろう。
ベルギー人たちも悲しむことはない。国は生まれては消えるものなのだから。それと、王さまはもし求められるのであれば、残す手は見つかるかもしれない。どのみちこの王さまは領土としての国は持っていなかったのだし――かれは昔から、ベルギー人の王にすぎない――ベルギーという国がなくても嘆くことはないだろう。なんなら新しく旧国家ゴールを再興させて、そこを治めていただきましょうか。とはいえ、ゴロワーズ(ゴール人)の王様ってのは、なんか変、ですかねえ?
ひでえ(笑) ここまで他国をおちょくれるとは。これだから The Economist って好きだ。日本では絶対できない。ネタにされたほうもみっともなく頭から湯気立てて「謝罪と賠償を」とか言ってくるだろうし、バカな読者も「他国の気持ちを傷つけてはいけません」「いやな気持ちになりました」とか「これはひどい」とか抗議してくるんだ。次号あたりのお便り欄で、たぶんベルギーから気の利いた返答があるだろうからそれが楽しみ。
あとラストのゴロワーズってのは……解説しなくていいよねえ。
それともう一点。「おちょくり」と書いたことで、これ自体が冗談で、中身はまったくまじめに考慮する必要はないと思う人が結構いるようなんだけれど、そんなことはまったくない。冗談やおちょくりであっても、いやそれだからこそ、ちゃんと理解すべき真剣な論点はある。本来それこそが冗談やおちょくりの神髄なのだ。本稿でいえば、この文章は、そもそも国というのは何のために存在するのか、という真剣な考察がある。王さまだの天皇だのがいるというだけじゃ話にならん。そいつらが束ねているのは何なのか、その根拠がちゃんといるのだ。国というのの存立根拠、それを国たらしめている理念が必要なのだ。本来、「国体」というのはそれを表現するものだったんだけれど、バカな国学者たちはその中身をきちんと考えずに、とにかく「国体」といえば思考停止してよいと思いこんで自堕落な自閉に陥ってる。サヨクもそれに対抗するかと思えたのに、これまたお題目で思考停止してる。だからどっちもジリ貧なのだ。本稿は冗談に見せかけて、実はベルギーのその現状、理念なき惰性としての国家を痛烈に批判できている。だからこそ、本稿は笑える一方で、実は他のあらゆる国――含む日本――への強いメッセージを持ち得ている。笑いながら、それもきちんと考えておくれ。笑えるということは、心のどこかでそれがわかってるはずだから。
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