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Courier 2010/01,
表紙はパリ特集で青地に赤いエッフェル塔

そろそろ現実の話をしようか:世界最高のビジネス誌「The Economistを読む」 連載第14 回

温暖化対策は二酸化炭素だけじゃない

(『クーリエジャポン』2010/01号 #63)

山形浩生



 これを書いている時点では、温暖化緩和のための京都議定書の次期バージョンを作ろうというして、コペンハーゲンでCOP15が開催中だが、まったく合意は成立しそうにない。成長途上にある途上国は、せっかく実現しつつある成長と生活の向上をあきらめるつもりなどないので、先進国がもっとがんばれというし、成長していない途上国は、他の途上国も苦労しろという。先進国は、京都議定書ですらまったく実現できそうにないことを棚上げにして、数十年後の(もっと実現の見込みのない)勇ましい数字のかけひきだけに血道を挙げている。どうせ「今後も相談を続けることにしよう」とかいうおためごかしが「成果」と称してアナウンスされるだけ。

  さてこの欄でも温暖化の話は何度も採りあげた。そしてこの筆者/訳者の立場も、この欄をお読みいただいている読者諸賢はすでにご存じだと思う。温暖化は問題だし、一部では被害も生じる。でも、二酸化炭素を減らすのはきわめてむずかしくてコストもかかり、下手をすると被害を我慢するより下手な対策をうつほうが高くついてしまう。だから、防止策は本当に費用対効果があるものだけをやるべきだし、温暖化を止めるよりも、その変化への適応策を考えたほうがいい、というもの。

  つまり、費用対効果のある防止策があるなら、それはどんどんやればいい。そして、どうみてもまとまらない(そしてまとまったとしても、どうせ京都議定書のようにだれも守らない)排出削減の国際合意を目指すよりも、もっと有効な手口がある、というのが今回の記事だ。

問題を分解する

(The Economist Vol , No. (2009/12/5), "Unpacking the Problem" pp.21)

 人為的地球温暖化のうち、二酸化炭素からくるのはたった半分だ。残りはその他各種の源、たとえばハイドロフルオロカーボン (HFC)、黒色炭素(すす)、メタン、窒素化合物によって生じている。それらをすべてひとまとめにしたことで、京都議定書はたった一つの数字で問題を理論的には解決するはずの、エレガントな枠組みを得た――各種温室ガスを削減するよう設計された、国ごとのキャップだ。

 批判者たちは、京都議定書がオゾン層破壊をもたらすCFCの利用を止めるモントリオール議定書よりずっと成果が低い、と指摘する。モントリオール議定書は一九八七年に施行され、もともと十二年でCFCを半減するものとされていた。でも実際には、十年で全量を削減するのに成功してしまった。そして副作用として、地球温暖化にとっても巨大な便益をもたらしている。CFCはオゾンを破壊するだけでなく、温室ガスでもあるのだ。二〇〇七年の調査によれば、モントリオール議定書は二酸化炭素換算で一八九〇億トンの排出を削減した。京都議定書は一〇〇億トンほど削減しただけだ。

 モントリオール議定書が京都議定書よりうまく機能したのは、問題が手に負える規模で、対象となる期待も性質や出所が似ていたからだ。したがって一部の人は、温室ガス問題は分解して、それぞれちがう協定により対処したほうがいいと論じている。

 農業が生み出すメタンや窒素酸化物は、人為的温暖化の十パーセントほどを占める。そのほとんどはウシやヒツジの腹から出てくる。これは、交配プログラムやガスを出しにくい食事で削減できる。

 黒色炭素は北極圏やヒマラヤの氷河で大きな問題となる。それは雪や氷を溶かし、したがって太陽からの熱を吸収する傾向を高めてしまう。これは地球温暖化の八分の一から四分の一を占める。何世紀も大気中にとどまる二酸化炭素とはちがって、これは数週間でなくなる。だからこの排出を減らせばすぐにちがいが出る。

 黒色炭素は、ディーゼルエンジンや、薪やウシの糞を燃やす旧式のストーブから出る。発電所や工場からの大規模排出を扱うのに適したメカニズムは、農民たちの調理手段にはほとんど影響を及ぼさない。村民たちに、安くてきれいなストーブを提供すれば、ずっと効果があがる。

 HFC――二酸化炭素の千四百四十倍もの地球温暖化能力を持つ工業用気体――も有力な候補だ。CFCと同じく、これはごく少数の産業プロセスで生み出され、その排出を削減するのは安くて簡単だ。アメリカ、メキシコ、カナダなどの数カ国は、HFCをモントリオール議定書の枠組みで扱うという考え方に賛成を示している。

 もっと総合的なアプローチを支持する人々は、温室ガスをこのように分解すると、問題を全体として解決するといいう努力が台無しになると論じる。でも削減がまったく行われないよりも、ある程度の大きな削減が実現したほうがいい。


  メディアの宣伝や、温暖化活動家たちの活動を見ていると、二酸化炭素ばかりに着目して、あれを減らせこれを減らせという。車は二酸化炭素を出すからダメ、発電も二酸化炭素を出すからダメ。たぶんこの欄を呼んでいる方の多くも、とにかく二酸化炭素を減らさなくてはならない、と思っているのではないだろうか。でも、温暖化の半分が二酸化炭素以外のものからくるなら――そして、それらをかなり大規模に削減する方法があるなら、まずそっちをやったらどうだろう。

 コペンハーゲンでいま話し合っている連中は、たとえば二〇五〇年までに排出を半減させると主張する。そして、そのために経済成長を犠牲にしなくてはならない、と。そしてそこが多くの国の意見が分かれるポイントとなっている。でもHFCを減らし、途上国にもっとよいオーブンを配れば温暖化が半減するなら、経済成長をあまり犠牲にしないでも温暖化は同じくらい緩和される。いまコペンハーゲンで展開されている、まぬけな議論はそもそもなくてすむ。実際にできて、効果のあがることをやろうよ。

 ついでに、京都議定書みたいな国際合意がないと、削減努力ができないようなふりをするのもやめるべきだろう。各国とも、自分でできることをまずやればいい。特に先進国はそうだ。いま、合意がないと削減できないような変な雰囲気があって、こうした枠組み自体があまり意味がなくなっているように思う。

 そのためには、ここに書いてあるように、二酸化炭素ばかりに注目する対策をやめて、気体ごとに区別して対策を考えるべきじゃないか。

 さてここ数週間は、大きなところではドバイの債務不履行危機(脱稿間際に、アブダビが多額の融資をして不履行はギリギリで回避された模様)、小ネタではオバマ大統領の戦争肯定のノーベル平和賞スピーチ(ぼくはすばらしいと思った)などいろいろあった。  が、ぼくたちにとって最も重要で、驚かされたのは、これまで日本の不景気について構造改革をもっと進めろだのゾンビ企業を潰せだのとトンチンカンなことばかり書いていたこのエコノミストが、突然日本のデフレを大きく採りあげ、それがきわめて重要な問題であり、政府と日銀による大胆な取り組みが必要だということを明記したこと。

 これまでこの雑誌は、日本にはインフレ期待が必要だというクルーグマンの議論を歪曲してまで否定したり、デフレを放置した日銀前総裁を世界最高の中央銀行家などと不可解な持ち上げ方をしたり、先日は日本の量的緩和が効かなかったなどという変な日銀だけの理屈をわざわざ紹介したり、という具合に、デフレ対策を常に矮小化した報道を繰り返し、なぜこんな変な主張を、と一部の論者を嘆かせていた。でも、この雑誌ですら日本のデフレ宣言を重視して、強力な対応の必要性を訴えるようになってくれたか。ありがたい。  願わくば、これをきっかけにもっとデフレの問題が重視され、それに対して政府と日銀の双方に対策の圧力がもっとかかりますように。


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