そろそろ現実の話をしようか:世界最高のビジネス誌「The Economistを読む」 連載第14 回
山形浩生
最近の話題の一つは、オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したことだろう。これについては、オバマ支持者からも疑問の声があがっていた。まだ決意表明以外はあまりやっていないのに、平和賞とはこれいかに? もちろん、平和に向けた各種努力についてアナウンスはしている。それがいずれ実を結び、成果をあげる可能性が高いことについてはだれも異論はないはずだ。が、いまあげるか? 受賞理由が発表されても、多くの人は全然納得しなかったと思う。そして、そこにかなり露骨な政治的な思惑を感じて後味の悪い思いをした人も多いはずだ。
もちろん、ノーベル賞はいつも政治的な動きを見せている。平和賞はもとより、文学賞ですらそうだ。でも今回の思惑は、どういう活動を評価するかという評価をめぐる思惑ではなく、今後の政治動向を左右してやろうという、ノーベル賞としての本分を逸脱したような思惑だ。ノーベル賞は、中立性を持って業績を評価していることが売りだった。でも今回の動きは、それを自ら否定するに等しいのでは?
これは、二〇〇七年にアル・ゴアが受賞したときにも言われたことではある。かれは気候変動問題で広告塔になっただけで、特にそれについて新しい成果を挙げたわけでもない。そんな人にあげるのは、あまりにメディア報道の尻馬に乗りすぎでは? そしてそれ以上に、気候変動の話がなんで平和賞になるの?
今回はちょっとそれに関連した話。といっても、ノーベル賞にとっては不都合な結論になってはいるけれど。
(The Economist Vol , No. (2009/10/10), "Cool heads of heated conflicts?" p.82)
気候変動についての最も極端な見方として、戦争がもたらされる恐れがあるというものがある。干ばつや海面上昇により人々が住み処を失い、暴力が起こるという発想は、二〇〇七年にノーベル平和賞がIPCCとアル・ゴアに与えられた理由の一部ではあった。だが戦争と気候との歴史的な関係を分析した新しい研究によれば、温度上昇に暴力がつきものだという想定は疑問視されることになる。
このつながりを証明する裏付けがないことに気がついた、アイルランドのダブリンにある経済社会研究所のリチャード・トルと、ドイツの研究機関GKSSのセバスチャン・ヴァグナーは過去千年の気候と紛争に関するデータをヨーロッパについて集めた。その結果がちょうど、『気候変動』誌に発表された。
情報源はいろいろだ。温度計や降雨計は、ヨーロッパでは一五〇〇年から使用されていたし、多くの記録はいまではインターネットで手軽に手に入る。それ以前の時期については、氷床コア、木の年輪、珊瑚の成長など、他の人の論文から持ってきた間接データを使用している。
争いを計るほうがもっとむずかしかった。というのも、「紛争」の定義は歴史を通じて変化するからだ。トル博士とヴァグナー博士は、一年以上続いたものだけに絞ることにした。そしてwww.warscholar.com のデータを使って、一〇〇〇年から二〇〇〇年までの各年に、そうしたもめごとがいくつ起こっていたかを数えた。
グラフは、データの質がいちばん高い一五五〇年以降の紛争の数と平均温度との相関を示している。一八世紀半ばまで、この相関はずっと有意にマイナスだ(線は95パーセント信頼水準に近く、つまりその相関が偶然の産物である可能性は二十分の一しかないということだ)。言い換えると、温度が低いと戦争は増えるということだ。ところが、そこでマイナスの相関は消える。線はこんどはプラスの範囲に入ってくるが、でも統計的に有意なほどではない。つまり温度が下がると紛争が増えるという相関は消えてしまったということだ。
トル博士とヴァグナー博士は、はるか昔には寒い気候が収穫に与える影響のために供給不足が生じ、それが人々の食べ物や生産用地を巡る争いの可能性を高めたのだろうと示唆している。そして十八世紀半ばに戦争と寒さとの相関が消える理由は、産業革命が始まったからだ。農業も輸送もこの頃から急激に改善した。系統だった品種改良、新作物や新しい輪作の導入、灌漑の改良で食料供給が増えたし、道路や大規模運河などの建設は、食料を豊富なところから不足しているところへ運びやすくした。
こうした発展のため、農民たちは寒い気候でもそこそこの収穫をあげられた――そしてそれがダメでも、長距離貿易が不作のバッファとなった。一方、都市や非農業雇用の成長のおかげで、そうした貿易作物を買うお金も増えた。
でも過去千年でヨーロッパに問題を起こしたのが、暑さではなく寒さだからといって、温度上昇が脅威をもたらさないということにはならない。ただ、ここで得られる教訓は、気候による紛争を最小化するための手段は作物改良のプロセスを続け(たとえば遺伝子工学の可能性を活用したり)、暑さや干ばつに強い品種が手に入るようにすることだ、というものになる。そして農民たちにこうした新作物のことを教えて使うよう奨励することだ。さらに自由貿易や農業以外の経済発展を奨励しよう。こうすれば、人々の争いの種はなくなるし、また専制君主が人々を戦争に駆り立てる口実もなくなるのだ。
なんだか、アル・ゴアに平和賞をあげたのはいささか先走りすぎていたようで。もちろんこのグラフを見て、統計的に有意性はなくても最近は温度が上がると紛争が増える傾向にある、という主張もできなくはないけれど、でも温暖化で騒ぐよりは、農業の生産性改良を続けて自由貿易を推進したほうが有益だというこの記事の結論は(ぼくの好きなロンボルグのかねてからの主張とも同じだし)傾聴すべきものだと思うんだが。
同じノーベル賞で、経済学賞をもらったのオストロムとウィリアムソンは訳書もあまりなかったので、かれらの業績を説明してくれた10/17号の記事は勉強になりました。また、同じ号では、このコラムで何度か採り上げたマイクロファイナンスの雄、バングラデシュのグラミン銀行の系列である携帯電話会社グラミンフォーン同国最大のIPOをやるとか。これでグラミンは、同国の株式所有のあり方を変えようとしているそうで、お手並み拝見というところ。
さて、ぼくは『エコノミスト』はほとんどあらゆる面で信用しているのだけれど、かれらの日本、特に日本の金融政策に対する態度には昔からずっと首をかしげざるを得ない。クルーグマンの調整インフレ理論を初めて紹介したときも、まったくトンチンカンなケチをつけて、クルーグマン自身が投書欄で反論したほど。その後も前日銀総裁を最高のセントラルバンカーと持ち上げてみたり。そしてこの号では、日本の量的緩和が実はあまり成果を挙げなかったという、変な日銀理論の紹介にページを割いている。量的緩和をしても貸し出しが増えなかった、だからダメ、という話。だから日銀は、金利引き上げをするのが正当化されるんだとか。なんだ、これは?
量的緩和(そのまともなもの)はアメリカでは成果をあげ、金融危機からは何とか脱出が果たされつつある。イギリスもそうだ。大規模な金融緩和は、中国の景気回復にも大きく貢献した。『エコノミスト』もそれは繰り返し書いていることなのに。金融危機以前からヨタヨタで、今も回復の兆しがまるで見えないのは日本だけ。過去の量的緩和が効かなかったのは、それがへっぴり腰で不十分だったからだというのは、日銀関係者を除けば多くの経済学者が指摘していることだと思うんだが。うーん、なんなんだろうな、これは。まあ『エコノミスト』も万能ではないということだろうが、それにしてもだ。
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