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Courier Japon, 53
Courier 2009/02,
表紙はパリ特集で青地に赤いエッフェル塔

そろそろ現実の話をしようか:世界最高のビジネス誌「The Economistを読む」 連載第14 回

オバマ政権の科学閣僚

(『クーリエジャポン』2009/02号 #50)

山形浩生



  実はいまこれを書いているのがオバマ大統領就任の日。かれについてはすでに本誌でもいやというほど記事が出ているし、その政策についての憶測もあれこれとびかっている。経済危機と中東方面での戦争の中、ともすれば政治経済的な政策のほうに関心が向きがちではある。でも、もう一つ重要な(長期的にはいちばん重要かも知れない)政策が科学方面だ。ブッシュ政権はキリスト教原理主義の票をあてにしたために、天地創造論がやたらにはびこり、エイズ予防などもひどいこといなった。京都議定書から抜けたのは、結果的にはよかった(とぼくは思う)が、十分な科学的根拠があってかどうかはかなりあやしい。オバマ政権は、少なくとももう少し政策の科学的裏付けを重視しそうだ、と今回の記事は述べている。

科学者重用のオバマ政権

(The Economist Vol , No. (2009/01/10), "Blessed are the geeks, for they shall inherit the Earth" pp.66-7)

 一部の政治家の妙な信念として、自然は困った政敵と同じように扱ってひたすら黙殺すれば、いずれ姿を消してくれる、というものがある。多くの科学者に言わせると、ジョージ・ブッシュ元大統領はまさにそういう政治家だった。たとえば気候変動について、それを止めるのは高価すぎるから、適応策を考えるようがよい政策だと論じるならいい。でも、これまでホワイトハウスの高官たちがやってきたように、気候変動なんてリベラル派の役立たずなお題目でしかないかのように扱うのは、まったく話がちがう。

 ブッシュ政権はまた、気にくわない研究の刊行を差し止めた罪でも糾弾されている。たとえば二〇〇七年には、当時の医務長官リチャード・カーモナが、タバコの煙に短時間さらされただけでも、すぐに被害が生じかねないという結論の報告の刊行を遅らせ、その中身を「薄めようとした」と議会で証言している。また、エイズ予防策として性交渉の抑止を推奨し(これは効き目はないが、ブッシュ氏やその取り巻きには道徳的で魅力的に思える)、コンドーム利用(これは有効)を推進しなかったことでも批判されている。ES細胞研究についての態度でも、ブッシュ氏は多くの科学者をがっかりさせたし、この問題については科学的事実の問題ではなく原理原則の問題だったとはいえ、ES細胞研究への出資を止める決定は、これまた政府の中で科学者の株が以下に下がっているかを示す証拠とされた。

 が、いまやかれらの株は上昇基調だ。十二月十五日、次期大統領バラク・オバマはエネルギー秘書官としてノーベル物理学賞科学者スティーブン・チュウを任命すると発表した。現在、チュウ博士はローレンス・バークレー国立研究所所長で、大規模な太陽エネルギー研究プロジェクトを立ち上げた。また原子力の研究も強く推進しており、いずれ化石燃料の大半は他のエネルギー源で代替されると考えている。

 十二月二十日に、次期大統領はチュウ博士に続き、国立海洋気象局の訪韓としてオレゴン州立大学の海洋科学者ジェーン・ルブチェンコを任命した。これは気候研究を司り、海洋生物を見張る政府機関だ。ルブチェンコ博士はブッシュ政権の気候科学軽視と、温室ガス排出に対する無策に批判的だった。また海洋汚染や、そうした汚染が引き起こす無酸化された死の海の出現にも懸念を示している。

 同日、ハーバード大学のケネディ行政学校の物理学者で、エネルギーや環境、核拡散の専門家であるジョン・ホルドレンは、来る大統領の科学顧問に任命された。そしてかれは、共和党政権時代の前任者よりも強い権限を持つことになる。ホールデン博士はアメリカ科学推進協会会長だった二〇〇七年に、気候変動に対する速やかな対応を訴えていた。

 遺伝学者もまた招かれている。国立保健研究所の元所長ハロルド・ヴァームスと、MITのエリック・ランダーは、大統領の科学技術諮問委員会の共同議長となる。全体としてみて、これほど多くの著名なトップ級科学者を取り巻きにそろえた大統領はかつてない。その全員が、おそらくは大統領に直接話ができるし、政策にも影響力を持てる。そうでなければみんな断ったはずだからだ。アメリカ科学推進協会のレシュナー博士によれば、「ヴァームス博士はお飾りになる気はない。とても有能で頭のいい人物であり、判断力も優れていて大統領の時間を無駄にしたりはしないだろう」とのこと。

 こうした任命は科学的な助言についての政治的な態度が変わったことを示している。オバマ氏は科学重視が単にリソース提供だけでないとも述べた(とはいえ今後十年で基礎研究予算を倍増すると公約したが)。自由な探求を推進し、科学者が「特に耳の痛いことを」言うのに耳を傾けることだという。こうした発言で、過去数年なかなか意見が通らなかった研究者たちは大いにはしゃいでいる。

 変わったのは態度だけではない。こうした任命が示すように、地球温暖化やエネルギー、海洋保護に関する政策も変わろうとしている。ここで立場がはっきりしないのがアメリカ航空宇宙局、NASAだ。

 オバマ氏は、二〇一〇年に退役予定のスペースシャトルと、その後継機との間を埋めるのに二十億ドルをNASAに提供すると述べている。これはよい報せだ。でもシャトル後継機の一部を中止したらいくら節約できるか聞かれているとか。一方で、現在はまったく実施の見込みのない地球気候観察ミッションなどの実施費用も質問されている。どうもその優先度を上げようという声があるらしい。

 またES細胞研究禁止を解除するのも、新政権の重要な仕事だ。すでに民主党は、いまの制約をひっくり返すのに大統領命令を使うべきか立法でやるべきか議論している。

 ES細胞の問題は、医務長官時代のカーモナ博士を大いに悩ませたものだった。議会での証言で、かれはES細胞に関する発言も報告書の発表も許されなかったと証言している。あるいは緊急避妊薬、性教育、精神医学、囚人の健康や地球の状態についても、何も言えなかった。二〇〇六年には何千もの科学者が、連邦政策に科学的な誠実さを回復すべきだという署名を行ったが、かれらもほっとしているだろう。日常生活でなら「見ざる聞かざる言わざる」も時にはよい方針かもしれないが、政策がこれでは困る。ブッシュ政権はどうもそれがわかっていなかったようだ。いまのところオバマ氏はわかっているようだ。


 うらやましい。ブッシュ政権もひどかったが、日本の科学政策も決してほめられたものじゃないし、まして科学者が直接首脳に進言できるなんてありえん(する側はほとんどが非常識だしされる側はほとんど無知だし)。願わくばこうしたアメリカの努力に引きずられて日本でもなにがしかの進展が見られますように。

 さてこの記事ではすっかり悪者のブッシュだが、実はこのすぐ隣に、ブッシュが退任間際にきわめて大規模な海洋保護区を作ったという記事が載っていた。ブッシュも環境のことを少しは考えたんだよ、というわけ。過度の党派性を避けてバランスの取れた報道をしようという配慮の感じられる、紹介の仕方は立派。

 また新年1月3日号の記事でおもしろかったのが、若手経済学者の有望株一覧。かつてポール・クルーグマンやスティーブン「ヤバい経済学」レヴィットも登場し、この雑誌の鑑識眼の高さを如実に示している企画だ。紹介されている学者の一部は専門的すぎてここでは触れないけれど、レヴィットの衣鉢を継ぐジェシー・シャピロとローランド・フライヤー、拙訳エアーズ『その数学が戦略をつくる』にも登場したランダム実験で名高いエスター・デュフロ、輸出できるのは主に大企業だという当然の洞察をもとに、企業規模で貿易に差が出るという、クルーグマン以後の新々貿易理論を切り開きつつあるマーク・メリッツ。じきに学会の外でもこうした名前を目にするようになるはずなので、注目ですぞ。


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