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Courier Japon, 34
Courier 2007/4,
表紙は乾燥湖にささった温度計

そろそろ現実の話をしようか:世界最高のビジネス誌「The Economistを読む」 連載第3回

ブータンの民主主義

(『クーリエジャポン』2007/8号 #34)

山形浩生



  ここ数号、The Economist は科学技術ネタにやたらに力を入れている。数号前の巻頭特集はアップル社のiPhone 話にからめたイノベーションネタ。そして執筆時点での最新号は、なんとRNA研究の急伸に伴うバイオ分野の発展。こんなものが巻頭特集になること自体、驚きではある。日本の一般誌に出る科学記事なるものの多くでは、読者は(往々にして書いている人も)インターネットの原理どころか電球の仕組みすらうろ覚えで、中学生向けの解説の域を出ることはまれだ。でもこの雑誌の科学記事は、元ネタは各種科学専門雑誌に学会発表。中身も専門的で、科学ネタはそれなりに追っているつもりのぼくですら知らないものばかり。

 政治経済側で大きな話題がないこともあるんだろう。一応、ブレア引退はそれなりに大きく扱われたけれど、これは同誌がイギリスの雑誌だからというのもある。ハイリゲンダムのサミットなんかほとんど「ああ、そんなものもあったね」程度の言及しかなく、ほとんど鼻も引っかけてもらえていない。サミットなんかに実質的な重要性はまったくなく、ただの通俗メディア向けお芝居でしかないことが了解されているからだ。

 だが以下の記事は、科学記事といえどもそのお芝居で採りあげられた話ともきわめて大きく関係してくる。


『二酸化炭素は宇宙に排出?!』 (2007/6/2号)

(A Stairway to heaven?," pp.76-77抄訳)

 地球温暖化に対する解決策のほとんどは、面倒で抑圧的でつまらないものばかり。電気を消せ、発電に化石燃料を使うな、飛行機はやめよう等々。壮大な計画もなくはない。宇宙にでっかいパラソルを作ろうとか、海に鉄を加えてプランクトン藻類を繁殖させ、二酸化炭素を吸収させようとか。だがこうした大計画はイカレているか、危険な副作用の可能性が大きすぎた。

 でもこういう大計画がまったくお呼びでないわけではない。そしてUCLAのアルフレッド・ウォングが、先週アカプルコで開催されたアメリカ地球物理学連合の会合で発表したアイデアは、これほど壮大な計画もないとすら言えるものだ。ウォング博士によれば、問題は二酸化炭素が排出されているということではなく、その捨て場が近すぎるということなのだという。そしてかれの計算によれば、ちょっとした後押しさえあれば地球の磁場がベルトコンベアになって、二酸化炭素を外宇宙に排出してくれるのだという。

 ベルトコンベアの場所としてウォング博士が提案しているのは、北極圏だ。具体的にはかれが20年前に設置した、高エネルギーオーロラ刺激施設のてっぺんに作ろう、と言う。

 北極上空は、地球の磁気シールドが宇宙に開かれている二ヶ所の一つだからだ(もう一箇所は南極上空)。だからこそ太陽からの素粒子が大気に入り込んできて、オーロラができる。こうした素粒子は何ギガワットものエネルギーを備えているので、それを利用すれば大気中の温暖化ガス濃度を減らせる。

Aurora
オーロラを発生させる宇宙線が二酸化炭素も処分
 原理としては、炭酸ガス分子は遊離電子とくっついてCO2イオンを作りたがる。大気中の炭酸ガス分子の数%は遊離電子を見つけて、負の電荷を持つようになる。

 さて、地球のどこでも、絶えず垂直の電場が生じている。地表と大気とが巨大な電池を形成するからだ。雷が起きるのは、この電池の放電だ。そしてこの電場のおかげで、マイナスイオンは上昇する。最初は他の分子と衝突したりするので時間がかかるけれど、数日のうちには高度125キロに達する。ここまでくると大気も薄くなり、イオンは自由に動けるようになる。そして地球の磁場に沿って、毎秒17回という速度でぐるぐる回転しつつ移動することになる。

 だが高度があがると磁場も弱まる。だから磁気モーメント保存という物理法則(これはアイススケート選手が手を縮めると回転が速くなるときに効いてくる角運動量保存と似たようなものだ)のために、回転速度も落とさなくてはならない。だが回転のエネルギーは消えるわけではないので、その分磁場の中で移動速度をあげるしかない。そうして加速するうちに、二酸化炭素は宇宙に排出されてしまう、という理屈だ。

 これはあくまで理論だ。大気中の炭酸ガスは少ないので、この現象は人工衛星で観察できるほどではない。だが、ずっと多い酸素では確かにこれが起きていることが確認されている。だからウォンググ博士の分析はほぼまちがいなく正しいようだ。すると問題は、気候変動を左右できるほど二酸化炭素を外宇宙に押し出せるか、ということだ。ウォング博士は、できると考えている。

 かれの提案は二段階に分かれる。まずはイオン化するCO2を増やす必要がある。これにはいろいろやり方があるが、ウォング博士は手始めに、大気に強力なレーザーを放射して遊離電子を増やしてみては、と提案している。さらにイオン化して適切な高度に達した炭酸ガスが十分に回転できるだけのエネルギーを与えるために、17ヘルツの電波をあてればいいとかれは述べる。

 さらに、オーロラを引き起こす高エネルギー粒子もこのプロセスを手伝ってくれる。そうした粒子のエネルギーの一部が、確率共鳴なる現象を通じて回転する二酸化炭素イオンに転嫁されるのだ。確率共鳴というのは、回転するイオンが周辺のランダムな事象の中にあると目立つので特別扱いを受けるのだと思えばいい。

 ざっと計算すると、このレーザーと無線送信機を化石燃料で動かしても、生み出すよりはるかに多くの二酸化炭素を宇宙に吐き出してくれるはずだとか。確率共鳴で得られる無料のエネルギーが大きな役割を果たすので、二酸化炭素量を目に見えて減らすのに追加で必要な電力は、数十メガワットほどですむ、とウォング博士は考えている。どのくらい減るかははっきりしないが、でも事態はかなり改善するはずだ、と。


 まず記事の中身以前に驚くのは、この雑誌はビジネス雑誌のくせに、わざわざこんな学会に記者を送るだけの目配りがあること。さらに万が一、日本の一般雑誌向けにこの記事が書かれたとしたら、磁気モーメントとか確率共鳴とかの話はほぼ確実にカットされる。そしてたぶん「マイナスイオンで温暖化防止」とかいう、理屈も何もない頭痛のするようなヨタ記事になるのが関の山だ。でも、この雑誌は多少むずかしくても正確さを重視する。えらいもんだ。

 そしてこの記事の中身は……これが半分でも本当なら、地球温暖化問題なんてもう終わりだ。二酸化炭素はどんどん宇宙に吐き出してしまえばいい。しかも必要なのがたった数十メガワット?! そこらの火力発電所一個分にすら満たない。1千億円もあればお釣りがくる。それどころか、これがうまくいけば、排出権取引で大もうけだ。世界中の国に対して「あんたらの炭酸ガスを全部引き受けてやる!」と言えるぞ! 途上国の発電所を援助するくらいなら是非これを!

 その他落ち穂拾いとしては、5月26日号に出た時差ボケ解消にバイアグラが効きそうだという得体の知れない科学記事が、笑えるけれどおもしろい。もう一つ、政治経済分野では5月10日号に掲載された、京都でのアジア開発銀行総会の記事が興味深い。アジアがここまで発展を遂げ、さらに民間での資金調達も容易になった現在、アジアの途上国への資金提供が仕事だったアジア開発銀行は、もはやその役割を終えたのではないか? これは今世紀を通じて世界が発展するにつれて、世界銀行等にもつきつけられる問いだ。もちろんそのためには、馬鹿な温暖化対策で世界の発展が阻害されない必要があるのだけれど。そのためにも、今回とりあげた記事のような取り組みが大きな意義を持つかもしれない。それを考えると、一見ただの科学記事に見えるものでさえ、この雑誌では実は長期的なビジネスや経済の中で重要性を担っているのだ。


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