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Courier Japon, 33
Courier 2007/7,
表紙はサッカースタジアム

そろそろ現実の話をしようか:世界最高のビジネス誌「The Economistを読む」 連載第2回

ブータンの民主主義

(『クーリエジャポン』2007/7号 #33)

山形浩生



 民主主義というお題目の強力さは言うまでもない。アメリカ大陸の某国は、爆撃して銃をつきつけても民主主義を導入させるのが正しいと思っている。そしてその「民主主義」というのは、何やら紙に名前を変えて箱に入れる「選挙」という形式だけをやらせればいいんだというのが、カンボジアでもイラクでもアフリカ各地でも展開されている茶番ではある。さて今回は、あるヒマラヤの小国で進行中のそうした茶番のお話だ。


『雷龍に清き一票を:ブータンの選挙予行演習』 (2007/4/26号)

(Thinking out of the box," 抄訳)

 クンザン・ワンディはヒマラヤのブータン王国の選挙委員長なのに、その予行演習ではなぜかちょっと浮かぬ顔だ。民主主義の先鋒であるはずのワンディ氏ですら、王家支配のほうがいいと思っているのだろうか。「はいそうです。個人的には、ああいう指導者は、民衆の中からは出てこないと思いますから」とかれは語る。

 昨年暮れまで王位にあったワンチャク前王の治世は目覚ましいものだった。かれが玉座についた頃、ブータン人の平均寿命は40年で、その生活は艱難辛苦の連続だった。だが父王の近代化路線を継承したワンチャク前王のもとで、いまやブータン人七十万人の平均寿命は64年にのびた。経済も昨年は12パーセント成長をとげ、一人あたりGDPは約千四百ドル、インドの倍だ。「国民総生産より国民総幸福」をスローガンにしていたワンチャク王だが、総生産のほうもどうして実にめざましい。

Butan election
王さまが言うんだから選挙も正装して行こうぜ。
 だからワンチャク王が民主主義を押しつけようとするのは、国民の多くにとってはかえって迷惑なのだった。選挙予行演習の投票率はわずか28パーセント。公の場での着用が義務づけられた優雅な民族衣装で投票所にやってきた人々のほとんどは、王様の希望だからというのでやってきただけだ。四つの仮想政党のうち、王家の色である黄色を掲げたドリュク(雷龍)党が圧勝をおさめた。投票の行列に並んだビジネスマンのティンレイ・ドルジーはこう語る:「ブータンには民主主義はまだはやいんですよ。これほど多くのものをわれわれに与えてくださった王様の下にいるほうがいいんです」

 そしてドルジー氏の願いはおおむねかなえられることだろう。これまでのブータン近代化は段階的で王室主導だ。いずれ国民も改革を要求するだろう。だが変化の速度をコントロールすることで、ワンチャク王は昨年に抗議運動で権威を失墜させたネパールのギャネンドラ王よりはるかにうまくやっている。

 1998年以来、ブータンの行政は王室承認による大臣が担当している。立法府の議員は選挙されるか、仏教界か、王様に選ばれている。来年に本選挙が行われても、二十七歳のオックスフォード大卒の新王は軍を指揮し、政府要職を指名する。新生与党の人民民主党党首はかれのおじさんだ。議会三分の二の賛成で、王は手続き上は罷免できるが、いまのところこれは絶対にありえない。

 また新王一族はブータン経済も掌握している。二つの大企業体の長は、どちらも王のおじさんだ。それ以外の民間部門は実に小さい。経済成長を引っ張っているのは、国有の水力発電だ。ブータンの輸出の87.5パーセントは、インドへの余剰電力の販売となるし、未利用の水力発電ポテンシャルは三万メガワットにものぼるとされる。「これが我が国の黒い黄金ですよ」と貿易商業省長官のカルマ・ドルジーは述べる。

 もちろんだからといって、ブータン人が石油太りのアラブ諸国のようになると思ってはいけない。インドへの買電が栄えれば栄えるほど、インドからブータンへの多額の開発援助は減らされ、利益は相殺される。また同国の人口の九割は小作農で、まだまだ貧乏だ。でも、いまでも政府の与える福祉があまりに鷹揚なので――政府予算の四分の一は保健と教育だ――ブータン人は貧乏なのに払いの悪い仕事にはつきたがらない。道路建設や田畑の刈り入れには、ブータンはインドの貧しい北部州から10万人の移民労働者を輸入する。一日二ドルで道ばたの劣悪な環境で石を砕いて砂利にするこうした労働者は、華やかに着飾ったブータン人たちに比べると実に不幸な存在となっている。

 もっとひどいことだが、こうした道路建設作業員たちは、民族的にはブータン人で、単にネパール語やヒンズー語をしゃべっているだけだ。人口の二割におよぶこうした少数民族は1990年代に反乱を起こしたが、そのために苦しめられている。この暴動の原因の一部はブータン政府による強硬な民族同化政策にある。この政策はネパール語をしゃべる人々にブータン衣装を強制し、厳しい規制にしたがわないと市民権を与えないとした。結果として多くの人が市民権を失い、六万人がネパールの難民キャンプに逃走していまなお苦しんでいる。残った人々は――そこには逃亡した人々の親戚も含まれ、政府はかれらをテロリストと指定している――市民権を剥奪され、したがって政府の仕事にはつけないし、また福祉の対象にもならない。

 「腹がたちますよ」と道路建設作業員タギ・マヤは、ティンプーから三時間のプナカにそびえる十七世紀要塞の高い壁と黄金の屋根の下で述べる。マヤとその夫は、叔父がネパールに逃げたために市民権を剥奪されてしまった。彼女の唯一の希望は、少なくとも就学だけは認められている二人の子どもたちが、この呪縛をのがれてくれることだけだ。


 人々は民主主義なんか求めていない! 王さまの支配が一番! これは実は多くのところで人々の本音でもある。民主主義なんかいらないという人が多数派を占めたとき、民主主義的にはどうすればいい? 不用意に民主主義を導入した多くの国は、即座に崩壊して長い内戦に陥る。社会がある一定段階に達するまで、民主主義の拙速な導入は望ましくないのでは? 発展した東南アジア諸国を見ても、開明的な独裁者的存在が統治したほうがよい結果が出るのでは? これは多くの人が実は内心思ってはいることだ。民主主義は最善の結果を保証しないが最悪の結果は回避させてくれるとの見解もあるけれど、ナチスドイツの例もあるし。

 そしてこの記事のおもしろさは、ブータンという国の現状についての各種情報にもある。日本の「進歩的」な文化人には、ブータンにやたらに好意的な人々が多い。この記事の中にも出てくる「国民総生産より国民総幸福をめざす」という王さまのスローガンは大人気だ。日本も経済成長偏重の考え方を改めて真の幸福を目指す社会を、というわけだ。ブータンはまた、観光客の流入を極度に制限し、民族衣装の義務づけなど文化的規制も厳しく一見すると鎖国に近い状態に思える。対外貿易に血道を上げて己を見失った日本人とはおおちがい!

 だが実はブータンもちゃんと経済成長をしている。十二%! 日本の高度成長期並ですぞ。しかもそれは、貿易のおかげだ。これまた環境重視の進歩派の嫌う水力発電ダムの電力をインドに売ることで外貨を稼いで成長している。

 さらにブータンはインドより一人あたりで見ればずっと豊かなのに、インドから開発援助(ODA)を受けていて、かなりの福祉国家を実現しているのに/あるいはそれ故に底辺の仕事は(援助をくれている)インドの貧乏人に丸投げしている、ということ。ブータン人たちが楽しく幸せそうなのもあたりまえだ。相対的に豊かなうえ、辛い仕事はしないんだもの。

 そして最後に書かれた惨状――人口の二割を占める、言葉がちがうだけの同胞に強引なブータン同化を強制し、それに逆らったらテロリスト扱いで、一族郎党まで人権をまるごと剥奪するという前近代的な状況は、ぼくも含め多くの人のまったく想像もしなかったものだろう。ブータンからの難民の話はきいていたが、こうした事情だとは。社会、経済、福祉の駆け引きは、こんな小国にも確実にあるし、それは一般に思われているほどきれいなものではないかもしれないのだ。

付記:なお、ブータンがこうした政策をとるようになった経緯には、隣のシッキムの状況が大きく影響しているとのこと。ネパール系多数派を何となく放置しているうちに、かれらがインド併合に特に異を唱えずにいたために独立を失ってしまった。それをみてブータンは危機感をおぼえ、強いブータン人(というかチベット人)中心純潔政策をとるようになったらしい。


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