貧困と闘いつつ、貧困者に害をなすNGOたち

NGOs: Fighting Poverty, Hurting the Poor

セバスチャン・マラビー (Sebastian Mallaby),
Public Policy September/October 2004
山形浩生 訳

要約: 貧困に対する戦争は、善意の砲火に脅かされている。メディア指向の西洋活動家たちが援助機関に襲いかかり、途上国を搾取すると称するプロジェクトを阻止すべく抗議運動を繰り広げているのだ。こうした抗議運動は、職業扇動家たちのお気に入りのテーマを目立たせてくれるので、かれらには好都合だ。だが、飲料水も水もなく暮らしている何百万もの人々には必ずしも役にたつわけではない。


 去年、わたしはウガンダを訪問した。アフリカの絶望的な状況がどうやって改善に向かったのか、貧困ライン以下で暮らしている人々の数を 1990 年代にほぼ 40% も減らせたのはなぜなのかを理解したかったからだ。でも、別の問題の核心にも迫りたいと思っていた。世界銀行はナイル河の源流近く、ブジャガリという美しい地点にダムを作ろうとしていた。西側の非政府団体 (NGO) たちは、それに反対していたのだ。

問題の川   カリフォルニアのバークレーにある International Rivers Network によれば、計画地の滝に被害が予想されるのでウガンダの環境保護運動はカンカンだし、その土地に住む貧困者たちは土地を奪われ、そして得られる電力は高すぎてその人々には買えないそうだ。まさにグローバリゼーションの戦いの核心にある衝突にちがいない。この NGO 運動は、工業化に対する文明のチェック機能を果たしているのだろうか。世界銀行が無視した何百万もの貧困者たちの声を代弁して立ち上がったのだろうか? それとも経済成長を促進して最終的には貧しい市民の役にたつ電力を止めることで、貧困との戦いをかえって悪化させているのだろうか?

  わたしはバークレーの活動家たちに電話して、意見をきいた。カンカンになっているというウガンダの環境保護運動を指揮しているのはだれなんですか? ダムプロジェクトで残酷にも移住させられる村人たちはどこにいるんでしょうか? International Rivers Network のような NGO は、通常は西側ジャーナリストを喜んで助けてくれるし、そうしたジャーナリストは問題の開発プロジェクトから離れていることが多いから、NGO に聞いた話を鵜呑みにして記事にする連中も多い。だがいまのわたしはウガンダにいて、問題のダム予定地からは車でほんの数時間だったので、あまり快い対応はもらえなかった。ブジャガリ運動を指揮する活動家ローリー・ポッティンガーは、ウガンダのカウンターパートたちは目下忙しくて手一杯だし、ブジャガリの予定地で村を嗅ぎ回ったりしたら、官憲と一悶着起こすことになりますよ、と述べたのだった。

  あっさりあきらめる気はなかったので、わたしは別の手段でポッティンガーのアフリカ現地カウンターパートをつきとめて、電話してみた。親切な声が、すぐにでも事務所においでくださいなとわたしを招いた。到着すると、団体の若い長官が椅子をすすめてくれて、スウェーデン自然保護境界なる団体からの財政支援に感謝しているパンフレットや報告書をたくさん見せてくれた。30 分ほどおしゃべりをしてから、本当に気になった質問をわたしは投げかけた:ここってどういう団体なんですか?

  「会員制の団体です」というのが答えだった。

  「会員数はどのくらい?」とわたしは尋ねた。ホスト役は親切にもたちあがって机をひっかきまわすと、青いノートを手に戻ってきた。

  「これが一覧です」とかれは得意げにいった。ウガンダの専門環境保護者連合は、会員総数 25 人。何百万人にも電力を送るプロジェクトに反対するにしては、あまり広範な基盤とは言い難い。

  次の動きはブジャガリへの訪問だった。同行してくれたのは、地域をよく知っていて通訳してくれるというウガンダ人社会学者だ。彼女はダム予定地の縁にある建物群に立ち寄って、地域の政府代表と面会したが、相手は警察を呼ぶと脅すかわりに、にこにこして迎えてくれたのだった。その後三時間にわたり、出会う村人に片っ端からインタビューしたが、みんな同じことを言う。「ダムの人たち」がやってきて、たっぷりと補償金をくれるというから、みんなそれを受け取って移住するのに何の反対もない、と。社会学者である同伴者は、話をしたのが男だけだったのでサンプルに偏りがあるかもしれない、という。男は、女性よりも金を重視しがちなのかもしれない。そこで女性にもインタビューしたけれど、やはり同じくダム支持の声しか聞かれなかった。ダムに反対している唯一の人々は、ダムのすぐ外に住んでいる人たちで、かれらはプロジェクトが自分たちに影響せず、立ち退き料がもらえないから怒っているのだった。

  これはウガンダにとっては悲劇だ。電力危機といえば夏の停電くらいしか知らない、カリフォルニアの住民たち数名のおかげで、診療所や工場が電気を奪われているのだ。でもこれは、全世界の貧困に対する戦いにとっても悲劇だ。何十もの国で、活動家の抵抗がこわいからという理由でプロジェクトが停止してしまっている。何度も何度も、インターネットを使った熱血団体が、開発プロジェクトの不公平さについておっかない主張をして、世界銀行の官僚組織ぶりを聞き慣れた欧米の世論はそれを信じてしまう。ヨーロッパやアメリカ議員の立法者たちは、NGO の議論を額面通りに受け取って、世界銀行の理事会にいる政府高官たちは、それに答える形で有益なプロジェクトへの融資を止めてしまう。

  これが持つ意味はとんでもなく皮肉なものだ。NGO たちは貧困者を代弁して運動していると主張するけれど、その活動の多くは貧困者にかえって有害だ。環境を保護すると主張するのに、環境的に微妙なプロジェクトから世銀に手をひかせるおかげで、そうしたプロジェクトは世銀が参加していれば義務づけたはずの環境的な安全策なしで実施されてしまう。同じように、NGO は世界銀行に説明責任を負わせていると主張するけれど、でも世銀は出資者である各国政府に対してちゃんと説明を行っている。説明がいい加減なのは、むしろそのNGOたちのアカウンタビリティのほうなのだ。さらに、活動家団体が繰り広げる攻撃は、まるっきり何の根拠もないこともある。これが誇張だと思うなら、中国西部の 青海 (チンハイ) 省における反貧困運動を見てみるといい。

ダム地点から出て行け!

  1999 年 4 月に、世界銀行が 青海 (チンハイ) 省でのプロジェクトに関する協議を終えたときには、一見すると議論になりそうなことは何もなかった。当時の中国は借り手として優等生で、それまでの10年で二億人を貧困から引き上げていた。青海プロジェクトは、絶望的に細分化した斜面の農民 5 万 8 千人を、小さなダムで灌漑された別地区に移住させることになっていた。農民たちの所得は、一日 20 セントくらいから、まともに食えるくらいの水準に上がるはずだった。中国はそれまでにもこうした移住プロジェクトを 30 箇所でおこなってきた。どれも貧困を減らしてきた。

青海省
青海 (チンハイ) 省所在地.
  青海 (チンハイ) への融資が締結されたその日、プロジェクトマネージャのペトロス・アクリルはロンドンのチベット情報ネットワークから電話をもらった。青海省は、チベット自治区と呼ばれる中国の行政区と隣接している。同省は歴史的にみてチベットの一部を含んでいるし、青海省の住民 500 万人のうち 100 万はチベット系なので、チベットウォッチャーが興味を持つのも不思議はなかった。アクリルは、このプロジェクトが灌漑地に移住するチベット人 3,500 人にとっても有益だし、残ったチベット人たちも、地域の人口圧力が下がるから便益をこうむるのだと説明した。つまるところ、中国の対チベット政策はひどいものだが、世銀のこのプロジェクトはむしろチベット人にとって有益だということだ。アクリルは電話を切ると、アクリルはそんな会話があったことも忘れてしまった。

  が、すぐに思い出すことになった。ものの数日で、チベット情報ネットワークはニュースレターの中で、チベット文化圏に漢民族を移住させて「人口分布を劇的に変化させる」世界銀行の「疑問の多い」プロジェクトについて記事をのせた。これは変な主張だった。まず、移住先にはチベット人は住んでいない。最寄りのチベット人といえば、遊牧民 276 名(世銀は注意深く一人残らず数え上げたのだった)。それもプロジェクトの南 80 キロのあたりにいるだけだ。第二に、青海省はアメリカが独立したころにはすでに中国の一部だった。テキサスがメキシコ領とはいえないように、青海はチベットではない。だがチベット情報ネットワークはひるまなかった。「漢民族が伝統的なチベット地域に移住することは、チベット人にとって大きな懸念となっている」とグループのニュースレターは恐ろしげに告げていた。

  ものの数週間で、ロンドンの活動家たちは国際的な運動体を組織した。それは反世界銀行の様々な師団から集まった人々となっていた。ダムに反対する環境団体、移住に反対する人権団体、中国との協力に反対する団体。59 組織の代表――メキシコからタイまで広がる驚異的な世界ネットワーク――が世銀総裁のウォルフェンソンに長い手紙を書き、「中国農民を伝統的なチベット地域」に移住させることに抗議した。

  運動家たちは、銀行にメールやファックスを山のように送りつけ、ワシントン周辺に反世界銀行ポスターを貼ってまわり、チベット活動家たちは世銀本部の外にキャンプを張った。ビースティー・ボーイズからのラップスターは、世銀融資は「チベット人民の破壊」につながると宣言した。

  この主張はデタラメだったが、活動家たちはすぐにハリウッドとアメリカ議会に支持者を得ることになる。最も有名なのが俳優のリチャード・ギアと、カリフォルニア州に民主党議員ナンシー・ペロシだった。リチャード・ギアは最近、チベットに関するドキュメンタリー映画のナレーションをしたこともある。1999 年 6 月 15 日、ペロシ議員と親チベットのミュージシャンがいっしょに登場したプレスリリースでは、世界銀行は「漢民族を 6 万人」青海省に移住させようとしている、と主張されていた。移住者 58,000 人のうち、漢民族は 4 割しかいなかったし、その漢民族も青海に移住してくるのではなく、同じ省の中で移住するだけだったのだが。議員 60 名がウォルフェンソンに苦情を投げつけ、極右で知られる共和党のジェシー・ヘルムズ上院議員は、中国と世銀を一石二鳥で叩ける機会にとびついた。世界銀行の代表が国会に出かけて立法者に説明しようとしたら、そこに待っていたのはそもそも青海が出ていない地図だった。省全体がチベットというラベルになっていたのだ。チベット人は青海省では五人に一人でしかないというのに。

変な役者   世銀は完全に包囲されてしまった。学生抗議運動と同時に共和党右派とも対決することとなり、しかも攻撃してくる側の主張はひたすらまちがっているのに、だれも世銀の味方になってくれようとはしない。1999 年 6 月に、クリントン政権は青海プロジェクトが理事会にあがってきたら、反対票を投じると発表した。リリパットじみた活動家たちは世界銀行に立ち向かい、第一ラウンドで勝利したのだった。

懐柔策の失敗

 この手の話に対するありがちな反応というのは、世銀はもっと批判者と対話を進めて、妥協点を探らなくてはイケナイ、というものだ。残念ながら、この処方箋は甘すぎる。批判者側が妥協に応じるというのが前提となっているからだ。だが運動 NGO は、現場で本当の開発プログラムを持った NGO とはちがって、過激であることが不可欠なのだ。大組織批判をやめたら、だれも寄付してくれないし、新聞でも引用されなくなる。これと、そしておそらくは、現状は常に不満なものであるという聞こえのいい主張のせいで、ほとんどの NGO は限度というものを知らない。可能な妥協をすべてやっても、連中は相変わらず表でデモするだろう。もちろん、オックスファムやワールドヴィジョン、世界自然保護基金のような大人の団体なら、こちらの妥協を受け入れもしよう。でもそんなのは例外的な存在だし、かれらですらきわめて慎重な形でしか協力しない。さもないと次の標的はかれらになるかもしれないからだ。

  青海 (チンハイ) の戦い第 2 ラウンドはこの問題を浮き彫りにしていた。クリントン政権がプロジェクトを阻止するというニュースをきいて、ウォルフェンソンは怒り狂った。もしプロジェクトを進めれば、世界銀行の補助付き融資プログラムへの出資を削減するというアメリカ議会の脅しを不安に思った。これで評判にミソがつき、ノーベル平和賞を獲得するチャンスが失われるのではと心配したし、ハリウッドの人脈が自分に刃向かうのも恐れた。そして自分の中心的な業績がダメになってしまうのではと恐れた。1995 年に世界銀行のトップになってから、ウォルフェンソンは前任者のだれよりも NGO との対話を進めてきた人物だったのだ。世界銀行の最も手厳しい批判者を自宅の私的ディナーに招き、主張先のどこでもかれらと会うようにして、世界銀行の政策について助言を求めるための委員会すら作ったのだ。

  青海をめぐる戦いが激化するにつれて、ウォルフェンソンはそれを沈静させようとあらゆる手を尽くした。NGO たちの主張をききにでかけ、部下の行員たちにはずっと厳しい扱いをした。プロジェクトチームをオフィスに呼びつけて、だれのケツから蹴飛ばすべきかを言えと脅した。さんざん頭から湯気をたてたあげくに、ウォルフェンソンは NGO たちとの妥協策を思いついた。プロジェクトを世界銀行の審査パネルにかけるのだ。これは有力者で構成された審議会で、プロジェクトが世界銀行の環境社会安全策に適合しているかを調べるのが仕事だ。

  活動家たちは、いくつか基準不適合な部分があると主張していた。例えば、少数民族を保護するための「特別な行動」を求めるガイドラインに違反があり、移住は強制ではなく自発的でなくてはならないというガイドラインにも違反している、という。批判者たちは特に、世界銀行の環境保護策に批判を集中した。世銀は青海プロジェクトを「B カテゴリー」(環境に対するリスクは中程度) に分類しており、「A カテゴリー」という高い分類にはしていなかった。だから環境インパクト調査も、不十分といえなくもないものだった。こうした主張を審査パネルに調べさせることで、ウォルフェンソンはチベットをめぐる政治的戦いが、世銀の運用ガイドラインに関する技術的な調査になるだろうと計算していたのだった。

  世界が正気なら、この戦略は活動家たちとの和解をもたらしただろう。だが世銀が審査パネルを招集すると決めた翌日、学生二人が世銀本部の外壁をよじのぼって「世界銀行はチベットでの中国の虐殺を支持している」という横断幕を張った。他のチベット支援組織は、内心ではこうした戦術を嫌っていた――というのも虐殺の証拠はなかったからだ――が、仲間の活動家を表立って批判するようなことはしたがらなかった。一方、国会議員たちは相変わらず NGO の主張を支持し続けた。フロリダ州の共和党上院議員コニー・マックとニューヨーク州のベンジャミン・ギルマンは、世界銀行を「文化虐殺」の咎で糾弾した。下院分科会は 1999 年に、世銀のソフト融資枠への貢献を 2.2 億ドル削減すると決定した。

  審査パネルが調査を開始したら、それは活動家による攻撃を世界銀行の建物内に引き込んだだけだった。審査パネルの議長はカナダの環境活動家ジム・マクニールで、「青海プロジェクトは貧困を削減するか?」という大きな問題に取り組むよりも、銀行の安全策に対するこまごました違反を見つけることにばかりかまけていたのだった。プロジェクトは貧困を削減させただろうが、パネルはそんなことはおかまいなし。プロジェクトは環境破壊になったか? 最終的にはノーだ。でもパネルは、銀行の手続きをつつきまわすだけだった。

  パネルの最終報告は 2000 年 4 月に提出され、青海プロジェクトに対する 160 ページの糾弾書となっていた。環境的なリスクは A カテゴリーに分類されるべきだったし、モンゴル系、チベット系の遊牧民に対する注意が不十分だった、そして移住希望者の募集は、秘密裏に行われなかったために不適切だった、と述べていた。パネル報告は、環境アセス分類をAカテゴリーにしていたらプロジェクトをひっくり返すだけの理由がみつかっただろうかとか、遊牧民たちがこのプロジェクトでできる診療所などで利益をこうむるのではないか、といった点はまったく無視した。またインタビューがどんな状況で行われたにせよ、農民たちが移住したがっているのはまちがいないことだ、という事実も考慮しなかった。実はプロジェクトで対応できるより遙かに多くの人が移住したがっていたのだが。

  2000 年 6 月、銀行の上層部はもう一年にわたり調査とプロジェクト準備にかけると提案して、NGO を鎮めようとした。その費用は 200 万ドルになる。だが NGO たちはプロジェクトをキャンセルしろと言い続けた。6 月には、銀行理事会は融資案件を否決し、青海をめぐる戦いの第2ラウンドもそれでマクとなった。中国は世界銀行に、融資の申し込みを撤回すると告げた。

  世界銀行が 青海 (チンハイ) 省から撤退してしばらくすると、チベット活動家の集団がウォルフェンソンに面会にでかけた。中国政府が勝手に移住プロジェクトを進めていると聞いたからだ。後でわかったことだが、中国は世界銀行の環境条件を無視して、その地帯に人をもっと移住させる計画だったらしい。NGO は中国の計画の詳細を知るのに苦労していたので、どうなっているんだとウォルフェンソンに尋ねたのだった。

  ウォルフェンソンは怒鳴った。「連中が何をしてるか? そんなの知るもんかね! ついこないだ、あんたらがあそこから我々を追い出したんだろうが!」

眠れる銀行の目ざめ

  この手の話は大なり小なり世界中で展開される。世銀はまともなプロジェクトを設計するが、もちろん欠点もある。NGO たちはその欠点にとびつき、扇情的なレトリックをたっぷりとふりかける。世界銀行は手を引くが、プロジェクトは結局実施されてしまい、世銀の社会環境的な安全弁はそこに働かない。NGO の攻撃を恐れるあまり、世銀は万一のためのガイドラインを一字一句まで遵守せざるを得ず、このためにプロジェクト準備に何ヶ月もの時間とお金が追加でかかる。2001 年に世界銀行が行った調査によれば、この種の安全方針はプロジェクト準備のコストを年間 2 億ドルから 3 億ドルも増やしている。このお金は世界の貧困者たちが負担することになり、それに伴う遅れのために、世銀プロジェクトが実現するはずの電気や飲料水のない期間が数ヶ月余計に続く――貧困者はさらに被害をこうむるわけだ。

it's better to have a crappy job than have nothing   世界銀行の費用と遅れは、NGO たちの大切な環境や人権にすら有害だったりする。世界銀行と取引するコストがあまりに高いために、民間市場で資金を借り入れられる諸国は、ますますそっちに頼るようになっている。たとえば中国は 2000 年には世界銀行から 17 億ドル借りたが、2001 年と 2002 年の融資額はその半分でしかない――そして世銀融資の枠外で作られた中国のインフラは、各種のチェックも甘かった。ある程度の 融資条件 (コンディショナリティ) は不可欠だが、NGO からのうっとうしい攻撃がいくつも続いたために、世界銀行は完全主義的な安全策に固執する活動家の意見を反映するようになってしまっている。つまるところ、世界最大の開発機関は、発展途上国のニーズや現実をほとんど見失いかねないところまできているのだ。

  よいニュースもあって、世界銀行の内部にいる人々の多くはこのジレンマを理解するようになった。青海のような経験をして、10 年にわたり NGO のご機嫌を取ろうとしてきたウォルフェンソンの試みをみた結果として、批判をすべて満足させることはできないのだという正しい認識が出てきたのだ。たとえば、世界銀行は、NGO をいくつか招いて、未来のダムに関する基準を作る委員会に参加してもらった。委員会が提出した基準一覧はあまりに面倒で、ほとんどのダムは作れないようなものになっていた。2001 年暮れ、世界銀行内部のグループが反撃して、委員会から出てきた厳しすぎる要件を世界銀行がすべて守る必要はない、と上層部に納得させた。さらに今年は、世界銀行の指名した採取産業評議会は NGO たちの主張を入れて、世界銀行に石油と石炭プロジェクトから撤退しろ、公害を出し過ぎるから、と述べた。だがこうした要求は、発展途上国のエネルギーに対する需要を無視している。そうした需要は何らかの形で満たされなければならないのだ。そしてそれは、現在薪などのバイオマス燃料に依存する 23 億人のことも忘れている。森林破壊と大気汚染は薪のほうがずっとひどい。ありがたいことに、銀行の上層部はこの委員会の提言を却下した。

  だがこの反撃の萌芽は、一団体の内部でとどまってはならない。青海をめぐる戦いの教訓は、世界銀行だけでは NGO たちとは戦いきれないということだ。評論家や政治家、ハリウッドの有名人たちは、無批判に熱血活動家の味方となりたい誘惑に耐えなければだめだ。

  世界銀行の惨事は、グローバリゼーションを悪者にしようとするもっと大きな騒動の一部でしかない。世界の富裕国首都の多く、特にワシントンでは、公共政策は狭い目標だけにしぼってひたすら活動を続ける、恐ろしいほどの利益団体の大群によって左右されている。似たような活動家の大群が、世界銀行のような大国際機関に圧力をかけて、自分たちの個別の懸念事項を重視しろと要求している:先住民族には一切被害を与えるな、熱帯雨林は傷をつけるな、人権をちょっとでも脅かすものはだめ、チベット万歳、民主主義的価値観最優先等々。多くの活動家の動機は崇高なものだろうし、大組織のこれまでの履歴にはいろいろ問題もあるだろう。でも、絶えずこんな反対運動を続けると、世界銀行だけでなく、地域開発銀行や、USAID のような政府開発援助機関まで身動きが取れなくなる。そうなったら、世界はこうした大組織がもたらせる、よい可能性を失ってしまうことになるのだ。そのよい可能性とは、小団体が追求しがちな単一問題だけの追及を超えて、人類の大きな問題が持つおそろしく複雑な形態に真っ正面から取り組む、という可能性なのだ。


  Sebastian Mallaby は、ワシントンポスト紙のコラムニストで記者である。この記事はかれの著書 The World’s Banker: A Story of Failed States, Financial Crises, and the Wealth and Poverty of Nations (New York: Penguin Press, 2004) からの抜粋である.


訳者による追記

 一応、冒頭でダシにされている International Rivers Network は、あれこれ反論している。マラビーの記述は一方的で不正確だという話。で、やっぱ問題の水力はよくない、というんだけれど、その理由は下流に地熱の候補地があってそっちのほうがいい(でもウガンダが発展すれば需要が増えるからどうせそのうちこっちの水力もいるようになるよ)とか、これを導入することで真の再生可能エネルギーへの転換が遅れる (だから転換できるほどのキャパはないっつーの! だいたい水力は再生可能だ)、とか頭痛がするような話。全体に、単なるダムすべて反対 NGO にすぎません。

 ただ著者の図式だと、途上国側は金持ち西側 NGO のエゴと利権にひたすら翻弄されるだけの存在となっているけれど、必ずしもそうではない。途上国側だって非常に(ズル)賢い連中はたくさんいて、かれらがこうした NGO を利用しているケースも多々ある。某東南アジアの王国では、国営電力公社が電力構造改革をつきつけられ、公社以外による発電所建設を認めなくてはならなくなった。で、第一号が決まったとき、この国営電力会社は 環境 NGO たちをたきつけて建設反対運動をやらせてそのプロジェクトをずるずる遅らせ、そのうち政権が変わって構造改革が立ち消えになったところで、自分たちが同じ場所に乗り込んで自前で発電所を作った。NGO も使いようだ、とその途上国の電力会社の親分は自慢していた。

 またインド洋の某島国では、日本の援助機関の融資が決まっていた発電所がいくつかあったんだが、地元政治家が袖の下を断られたのを逆恨みして、同じように NGO をたきつけて計画を頓挫させていた。ここでも、地元住民は実際には発電所を歓迎していたし、全国的な電力不足で非常用電源を常時回し続けている有様だったから建設されれば本当に全国のためだったんだけれどね。

 どう対処すればいいかはよくわからん。利権ゴネNGO は世界中に昔からいて、高い機関誌を買ってあげたりみかじめ料をおさめたり、といろいろ対処法はあるんだが、某ゼネコンの友人によれば、そういうのは明快な経済原理で動くから単純なビジネスで片が付いてむしろ楽だそうな。でもそうでない人たちはどうしたもんか。

 なお、当然ながらこれはすべての NGO が悪いという話ではない。文中で、実際に現地でプロジェクトを動かしているような NGO と、運動それ自体が自己目的化した運動 NGO (英語で「アクティビスト」と名乗る連中。何のためにアクティブ(活動をする)かは問わず、とにかく活動そのものが目的の連中) とを区別していることに注意。ここでの批判の対象は当然このお題目運動 NGO のほう。ただし実際にはこの区別も必ずしも明確ではないことが多いけれど。


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