CYZO 2007/02号。表紙はエロ潤こと長谷川潤 山形道場 復活第 ?? 段

今月の喝、ではなくネタ:ブタのかわりに改名を!

(『CYZO』2007 年 02 月)

山形浩生

要約: ブタをあげるかわりに改名して自分の姓を名乗れ、という活動をデンマークのアーティストがやっていて、それが尊厳にかかわるといって抗議している政府に対し、余計なことをするなと当事者たちがさらに文句をつける変な状況が起きている。尊厳って何? 名前と実質とどっちが重要? それを問いかける重要なプロジェクトだ。



 お正月でもあることだし、ちょっとおもしろ重要なネタを一席。

 デンマークに、ホーンスレスというアーティストがいるのだ。この人の作品はさまざまなんだけれど、そのテーマは資本主義とかグローバリズムとか商業と文化のかかわりとか、そんなものが多い。ただしこの人はアーティストにありがちな安易な反グローバリズムとか反商業主義とかが大嫌いだ。むしろそうしたものを積極的に活用し、極端にまで推し進めることで、そこにある課題をみんなに認識してもらおうというプロジェクトが多い。

 で、この人がおもしろいプロジェクトをしばらく前からやっている。ホーンスレス村プロジェクト、という。ウガンダの貧乏な村を選んで、そこの人に家畜のブタをあげるというプロジェクトだ。これだけなら、よくある慈善プロジェクトでしかない。ただし! そのブタをもらうための条件がある。それは、名前を自分と同じホーンスレスに改名しなくてはならない、ということ。パスポートや住民票といった公的な書類で、本当に改名しましたというのを示したら、はじめてブタがもらえる。このプロジェクトのキャッチフレーズは「We want to help you, but we want to own you!」助けてあげるけれど、でもそしたらお前たちはオレのものだ!

 さて、村人たちは大喜び。我先にと改名してブタをもらった。貧乏な農村では、ブタは実にありがたいものだ。高く売れるし、交配させて子ブタを生ませればどんどん増やせるし、いいことづくし。それを無料でくれるというんだから、一も二もない。なかなか考えさせられる企画だ。援助とは何か、それは何を変えていいんだろうか。ホーンスレスは、これは援助でも慈善でもないと述べる。これは自分の PR 戦術であり、ブタはそれに対する協力の対価なのである、と。なるほどね。これまた、対価を求めない(ことになっている)いまの援助のあり方に対する本質的な問題提起でもある。

 ところが、これにウガンダ政府がかみついた。名前を変えさせるとは、村人の尊厳をふみにじる行為である、ウガンダをバカにしている、許し難い、と抗議を行い、展覧会に招かれた村人たちのパスポート申請を次々に却下。うん、これもなかなかありそうな状況だ。

 が、それに対してこんどは村人たちがかみついた。おまえら尊厳がどうしたって、実はこの数十年おれたちのために何一つしてこなかったじゃねーか! 無能な政府が余計な口をはさんでブタがもらえなくなったらどうしてくれる!

 いやはや楽しい。もちろんアーティストは大喜び。まさかこんなに真正面からエサにくいついてもらえるとは。で、みなさんはどう思うだろうか。かつて名前を変えさせられたといって文句と言っている人々は、日本の身近にもいる――でもその多くは、メリットがあるから自発的に変えたらしいけれど。ブタをあげるから名前を変えろ、というのも構造的には同じだ。これは許されることだと思うか?(ぼくは当然許されると思う)。だが人によっては、そうは思うまい。じゃあウガンダ政府はえらいの? 貧乏な村人にとって、形あるブタとふわふわした尊厳とやらとどっちが大事? ぼくは当然ブタだと思う。もちろんこれに対し「二者択一の問題設定はおかしい! ブタと尊厳が両立する解決策を!」という日和った逃げをうちたがるバカもいるだろうけれど、それがピント外れなのはちょっと考える能力のある人ならすぐわかる。このプロジェクトをどう見るかは、その人をはかる試金石にもなる。ホント、これこそ現代におけるアートというものの真の意義だとぼくは思うんだがね。

*1 詳細は http://www.hornsleth.com/

近況:応札プロジェクトがまだ次々に落ちまくっている……呪いじゃ!


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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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