CYZO 2006/09号。表紙は仲里依紗 山形道場 復活第 ?? 段

今月の喝! 戦時加算をはじめとする日本の戦後処理の不手際

(『CYZO』2006 年 9 月)

山形浩生

要約: 戦時加算という変な制度のおかげで、オーウェルの『一九八四』はいま著作権フリーなのに『動物農場』はまだフリーでないという変なことが起きている。もはや戦後ではないとか言っていた脳天気な人たちは、こういうところをきちんと片付けておいてほしかったなあ。



 ジョージ・オーウェルという人がいた。『動物農場』『一九八四年』といった、社会主義の風化と管理社会化を痛烈に描いたイギリスの文筆家だ。さて、この人の小説がいまおもしろい状況にある。『動物農場』は一九四五年に出た。『一九八四年』は一九四九年に出ている。ところが現在、『一九八四年』は日本では翻訳権が切れている*1のに、『動物農場』は切れていないのだ。

 正直いって、『一九八四年』なんてかなり現代の作品だから著作権が切れること自体かなり意外ではあったんだけれど、それは置いておこう。オーウェルがこの本を出した直後に他界してしまったというだけのこと。でも、なんで後からでたほうが先に翻訳権が切れるの? それはだね、翻訳権には戦時加算という変な制度があるからなのだ。

 現在、日本の著作権は著者の死後五〇年続いて、その後はフリーだ。翻訳権も同様なんだが……実は第二次大戦前、戦中の、ドイツやイタリア以外の国の作品についてはオマケがある。戦争中、日本は連合国の作品については著作権をちゃんと保護しなかったので、その期間だけ死後五〇年に加算しますよ、という話になっているのだ。日本が講和条約に調印してちゃんと著作権を維持するようになったのは、一九五二年。戦争開始からそれまでの期間の分が加算される(いや、その他十年留保だなんだとややこしい話はたくさんあるんだが、そういうのは専門の本を見ておくれ。ここでは戦時加算の話だけをとりあえずしたいので)。

 さて、オーウェルは一九五〇年没。二〇〇〇年くらいに没後五〇年だ。そして『一九八四年』の場合、四九年から五二年までの四年ほど(いつを起点にするとか細かい話は面倒なので、だいたいですませとく。プラマイ一年ほどの誤差はご容赦)の戦時加算がある。だから二〇〇四年頃には翻訳権は切れた。

 ところが『動物農場』は、先に出たので戦時加算が長い。だから二〇〇七年あたりまで翻訳権は続く計算になる(いま一部の著作権ゼニゲバどもの著作権延長運動がヘタに結実しない限り)。ちなみにオーウェルのもう一つの代表作『カタロニア賛歌』は、2010年すぎても翻訳権が切れない計算になる。

 さてこれ自体は大したことじゃない。数年待てばいいだけの話だし、そもそもそんなことを気にするのは一部の関係者だけだ。でも、こういうものが残っていることは、ある意味で日本の戦後処理のまずさ(あるいは処理の不在)の反映でもある。いい加減、そういうのをやめさせるよう働きかければいいのに。国連の敵国条項だってそのまま。ああ、国連はもともと日独と戦う連合国の団体だったから、日独が国連憲章に違反したと判断したら、国連加盟国は単独で日本やドイツを攻撃していいという条項がいまだに残っているのだ。これは日本だけの話じゃなくて、ドイツもこれについてはいい加減廃止してくれと文句を言っているのに実現されないんだから、まあむずかしいのはわかるんだけどね。国際条約めいた扱いなので、加盟各国が持ち帰って議会で賛成を得なきゃいけないとかなんとか。でもなんとかしろよ。

 どこまで直接の関係があるのかはわからないけれど、でもぼくはこれがもっと大きな話の一部だと思っている。いまだに中国韓国とガタガタやってるのだって、十年一日のごとく同じ話が蒸し返されるのだって、全部この戦後処理のいい加減だ。「もはや戦後ではない」と昔言った人がいるけれど、その時点で本気で戦後でなくするような手をこうじておいてくれればねえ。まあそれをいまから言ってももう遅いか。とりあえずは、『一九八四年』をフリーで出回らせるべく手をつけましたので

*1 計算ではそうなるはずだが何か見落としていたら失礼。

近況:古いHDのファイルをサルベージすべく、久しぶりにマッキントッシュをさわったが、何もかもが懐かしい。


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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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