岩井克人『会社はだれのものか』を読んで、ぼくはいろいろ腹にすえかねる部分が多くていくつか批判を書いているんだけれど、本稿もその一つだ。かれの前著『会社はこれからどうなるか』はちょっといい本に見えてあちこちでほめたんだが、どうもあれは錯覚だったらしく、ぼくとしても内心忸怩たるものがある。
岩井は、ライブドア対フジテレビの一件で、会社は株主のものだという議論が出てきたところから話をはじめる。会社は法人で法律上は人だ、そして奴隷制がなくなって以来、人は所有の対象にはならない。だから会社が株主のものだという議論は法理論的におかしい、ライブドアはけしからんという話を、岩井は得々と展開する。
でも……法理論以前にわかるべきことが一つある。そもそも会社ってのは人じゃない、ということだ。たとえば法人には、選挙権や被選挙権や生存権はない。法人ってのは、ある限られた場面で便宜上ヒトとして扱いましょうという、単に便宜上のお約束ごとでしかない。事前に決めた「限られた場面」以外で権利がちがうのはあたりまえのことだ。だから法人や会社が所有されたって、岩井は何を大騒ぎしてるんだ?
そして、人は所有できないから会社は株主のものじゃない、と主張した岩井は最後になって「会社は社会のものなのです」というんだ。でも、人は社会にだって所有されるものじゃない。会社が株主のものだというのを否定するんなら、会社が社会のものだという議論も否定されるべきでしょう。
そもそもなぜ岩井は会社が社会のものだといいたいんだろうか。会社は利潤を無視して社会に貢献すべきだと言いたいからだ。でも社会貢献ってそもそも何? ある会社がリストラして、利潤は出たけど失業が増えした。これは失業対策という負担を社会にかける。でも余剰人員を抱えたままで赤字続きなら? 雇用確保の点では社会貢献でも、その分法人税が減るのは社会的コストだ。それにいつまでも赤字続きではいられないから、全従業員が職を失うリスクを社会は抱える。あるいは人件費を製品価格に転嫁する場合もある。すると高価な製品やサービスを買わされる消費者の負担が大きな社会的コストになる。そう考えたとき、従業員をクビにしない企業は本当に社会のためになっているのか? クビを切って利益を出して納税する企業と、クビを切らずに税金払わない企業とどっちが社会に貢献してるの? 利他性と利己性が実は区別つけにくいことは、拙訳デネット『自由は進化する』でも読んで欲しい。
岩井は、日本型経営は従業員を大事にしてすばらしいという。でも日本型経営が評価されたのは、従業員を大事にし、良い製品を安く作ることでちゃんと利益をあげたからだ。従業員ばかり大事にして赤字を垂れ流し、大きな社会コストを引き起こした国営企業はたくさんあるけれど、だれもそんなものはほめない。利潤という基準を無視してすべてが社会のためにあるはずだった、社会主義の末路をごらん。日本だって、土建屋を儲けさせるための各種無駄な公共事業は、一時的雇用確保という社会貢献をしているけれど、それがいいことかね。
もちろん、会社を単なるマネーゲームの材料にしかしない一部の投機家の活動は有害だし抑えるべきだ。でも、そこから利潤追求すべてを否定するというのは、木を見て森をみない偏狭な議論だろう。岩井克人のような理論面ではそこそこえらい経済学者すら、こんな程度のこともわからずに、世間的な「ホリエモンは生意気だ」的な感情論にあっさり流され、こんな支離滅裂な本を垂れ流して悦にいっているとは。そんなんだから経済学者はバカにされちゃうんだよ。まったく。
近況:いやー、最近ちょっと日本というところに出張しましたが、食べ物に脂っ気がなくて腹にもたれずに、困ったもんですよ。味にも変に深みがあって、おいしかったりするんですが、いいんですかね。
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