CYZO 2005/05号。表紙はなんか二人組 山形道場 復活第 ?? 段

今月の喝:BSEの全頭検査マンセー論。

(『CYZO』2005 年 5 月)

山形浩生



 なんだ、一時期イギリスに数日でもいたことのある人物は献血できなくなっちまったのか! なんつー間抜けな。ぼくの献血五〇回目がまた遠のいた。マラリアの危険があるところに行くと、しばらく献血断られるんだよ。それでこんどはBSEか。

 なぜBSEでみんなそんなに騒ぐのか自体ぼくにはなかなか理解しがたい。それなりに対策も取られているし、ことさら心配するような状態にはないとしか思えないんだけれど。そしてこれに関しては、献血はもちろん、ここしばらくの話題は、全頭検査を続けるかどうかという話だ。

 これについての対談が、SPA! 三月二二日号に載っていて、分子生物学の福岡伸一と勝谷某が全頭検査廃止はけしからん、ついでにそれを肯定するベネフィット/リスク論批判。ベネフィットは一部企業や官僚に集中し、消費者はリスクだけを負わされる、というんだが、ぜんぜんちがうよ。そのベネフィットは、牛肉を食べるぼくたち一人一人が享受するものなの! 牛肉食べてウマーと思ったその満足感がベネフィットなのだ。企業は、そのベネフィットの実現に手を貸して、一部を報酬として受け取っているだけだ。

 もちろん分子生物学の先生に、費用便益やリスク便益の議論完全に理解できてないのはしょうがないと思うし、ましてその対談相手にそうした理解はまるで期待していない(かれのピエロぶりを見るのは西原理恵子のマンガの中だけで十分なんだけど)。でも勝谷某はさておき、この先生が確実にわかっているはずのことがある。それは、二〇ヶ月以下のウシを全頭検査からはずすという話の基本的な根拠だ。二〇ヶ月以下のウシは検査したところで病気が検出できないのだよ。だからやるだけ無駄なのだ(ついでにその後の危険部位除去でリスクはほとんどなくなる)。全頭検査したところで、二〇ヶ月以下のウシなら素通りして市場に出回るだけだから、何も意味はないってだけなの!

 こないだここで叩いた神保哲夫も含め、ここの理屈がまったく頭に入っていないようだ。我らが宮崎哲弥は、この先生の著書を二月二〇日の朝日新聞で書評して、BSEには「未解明の点が多い。だからこそ牛の全頭検査は継続されるべきなのだ」と書いている。でも全頭検査をすれば、どういうふうに安全性が高まるの? 二〇ヶ月以下のウシでも病気が検出できるようになったというなら、理屈は通る。でもそんなことはぜんぜんない。

 未解明だから全頭検査を、という議論自体がそもそも無意味だ。世の中に絶対安全なんてものはないのを無視している。それは外を歩くと車にはねられるかもしれないから人の外出を許してはいけないというに等しいバカな議論でしかない。さらにこのたとえ話の場合なら、人命はどんなコストをかけても守るべきだから云々、と強弁することもできるし、またその結果として人が車にははねられなくなるという安全向上が実際に起こるのは確実だ。でも、全頭検査をしたところで、何も追加の安全は得られない。牛肉食べるの一切やめろ、という議論ならまだわかるけど。

 簡単な話なのになあ。全頭検査しても安全性は高まらない。無駄なことはやめよう、というだけだ。そしてそれをやめれば、リスクは(なくならないけれど、全頭検査と同じで)しかも多くの消費者がおいしい牛肉を安く食べて、広いベネフィットが生じる。そしてそれでも気にする変な人は、自発的に牛肉を食べないという自己責任リスク回避をすればいい。これでみんながハッピーになれるのに。

 もちろん全頭検査を他のいろんな政治的交渉材料に使うというんなら、それはそれで一つの見識だろう。でもそれが消費者のベネフィットを犠牲にしてのことだ、というのはもっと知られていいと思うな。



近況:しばらく日本におりますが、ちょいと花粉症っぽいものにかかったようでございます。たまには人並み、だなあ。



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