人はいろんなオカルトっぽいものにはまる。まわりで見ている人は、馬鹿だなあ、と思う。でもそれでもオカルト流行はとまらない。人は日常がつまらなくて、別の世界を欲している。そして空想にふけるのが得意な人がいるように、そういう別の世界の体系(またはその片鱗)を構築してしまえる人もいる。それが、場合によっては小説家とかアーティストとかになり、時と場合によっては宗教家になり、そしてどこかでまちがえればペテン師や犯罪者になる。
でも人々は、それを知っていてもなおそれにすがろうとする。それが人の哀しさでもある。
で、そういう人物の一人が、カルロス・カスタネダ。シャーマンに弟子入りして呪術的技法を修得。過去を経ち、親類縁者もいない、完全な自由人。十一巻に及ぶかれの著作は、大ベストセラーとなって無数の信奉者を産み、いまなおニューエイジの連中のバイブルだ。日本では、真木悠介がやたらに持ち上げて有名になった。
そして、かれの著作は創作だという説が有力だ。どうも文化人類学系の聞きかじりのつぎはぎらしい。著作の間で矛盾が多いし、かれの師であるはずのシャーマンは実在しないようだ。いないはずの親類縁者も、女房子供まで名乗りをあげ、現世の物質的な繁栄に執着しないはずなのに、実はえらく貯め込んでいたこともわかっている。まあ腕のいい通俗ライター、だったんだね、かれは。
ところが。最近『カルロス・カスタネダ』という本が出た。完全なビリーバー本だ。カスタネダの記述は真に迫っているとか、一巻に十一巻の伏線となる部分があってそこまで考えて最初の本を書いたとは思えないとか。何でもないネタを後で大きくふくらませるのは、小説家やペテン師の初歩の技法なのに。
そしてぼくが何よりも驚いたのは、その著者だ。島田裕巳。あのオウム真理教擁護で社会的生命を絶たれる寸前までいった学者だ。あなたは懲りてないんだろうか。
ぼくは、かれがオウム関連であんなに叩かれるのを見て、かわいそうだとは思った。さらに単にほとぼりが冷めるのを待つだけでなく、自分なりの反省と総括として『オウム:なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』をまとめたのも、ぼくはえらいと思ったのだ。ところがその直後にこのざまだ。本書の最後は、カスタネダに続く新ナワール(教祖、だと思ってくれ)待望論! これが松本(麻原)に直結する道なのがわからないのか。なぜ人々がオウムにはまったかを分析したはずのあなたが、なぜ人々がカスタネダにはまるか、そしてそれがいかにヤバいかを理解できないのか!
これをある掲示板に書いたら、「島田がどうしようもないなんてのは常識だバーカ」とコメントがあった。そうなのかもね。でも、ぼくは人の改善可能性とか向上とかを、多少は信じているのだ。馬鹿がどんな目にあっても馬鹿なままであるなら、この世に何の希望もありゃしない。痛い目にあえば、ちったあ懲りる。多少は知恵をつけて学習する。それができない人ばかりなら、世の中が改善される見通しなんてゼロではないか。まして、あれだけ痛い目にあった島田においてこの調子なら……
冒頭にも書いたけれど、この現実を逃れたい、別の世界があると思いたい、という人々の希望はよくわかる。でも学者が、そんな詐術に毎度はまっていてどうする。逆にいえば、それだけ問題は根深いのかもしれない。そして、もしそうならば、またいずれオウムめいた事件は必ずや再発するということでもある。そしてそのときその周辺にいる人々は、以前とかなり似た面子になるのかもしれない。それは考えてみると、かなりこわいことではある。
近況:花粉症なるものがついに発症してしまったようです。えーい、軟弱者め!
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