CUT 連載書評 for 1998
この年から CUT が月刊になった。ネタ探しに苦労するかと思ったけれど、それほどでもない。でも相変わらず、うーん、きれと深みがいまいち。
なお、下の月表示は、その号の発売月ね。執筆はその一ヶ月前。表紙の号数は、その翌月。
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1998.02 Matt Ruff「公共事業三部作」
こいつはホントにおもしろい小説だから、訳したいなあ。こんなめちゃくちゃなの訳せる人間って、オレくらいだよ(いや、あと 10 人くらいはいるけど)。ただ、やはりこういう小説のおもしろさはなかなか他人には伝わらない感じ。この文もおれ一人で騒いでて、ひとりよがりの観は否めない。
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1998.04 C.N.パーキンソン 「パーキンソンの法則」
いつかこの本について書こうとは思ってたけど、古本屋で『金は入っただけ出る:パーキンソンの第二法則』を見つけて、天啓だと思って書いた。20年前に読んだときからまったく古びてないおもしろさ。それにこの訳者は、第一法則やった人も第二法則やった人も、天才的だわ。これだけきちっとおふざけができるって、すごい。
それにしてもこの号からレイアウトが変わって、なんか本の写真のおさまりが悪い気がする。もっと大きく載せればいいのになあ。
なお今回の表紙はエアロスミス&キムタクで、母親に「キムタク目当てに買うような連中には、あの本もおまえの文も高級すぎる」と戒められた。そうおっしゃいましても、事前に表紙まではわからんのですよ。それにあれだけファンがいれば、一人くらいは……
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1998.05 「Giant Robot」
前半は福田和也の「近代の超克」(だったかな)の罵倒。ワイアードの山形道場で罵倒してから、ちょっと気にしてほかの本も読んだのだけれど、やはりダメ。中身のない人が変なナショナリズムをふりかざしたって、中身が埋まるわけじゃないんだよ。この「Giant
Robot」みたいに、自分の中のおもしろさを追求しないと。それにしても、ジェニー・シミズはかっこいいぜ。
ところで、掲載後に母親から電話があり「あんた、関東中央病院で生まれたんじゃないのよ。あんたは実は橋の下で……じゃなくて練馬の病院で生まれたのよ。ほら、あの自衛隊の隣の。覚えてないの?」だそうだが、覚えてるわけないだろ! しかし訂正するとともに、関係者にはご迷惑をおかけしましたことをお詫びいたします。そうだったのか……
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1998.06 『ゴミ投資家のためのビッグバン入門』
ジェニファー・キャラハン久々に登場! もうちと掲載時には、対談調になるようにフォントを変えるなどの配慮がほしかった。
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1998.07 A. E. コッパード『郵便局と蛇』
自分の感じてる、このおもしろさとかよさとかって、いったいなんなんだろう。それを他人に伝えるにはどうしたらいいだろう。いまの文芸評論とかは、それをちゃんと考えないまま、たこつぼに入ってるからつまらない。ナボーコフ『ロシア文学講義』とかは、かれが小説を読みながら頭の中に描いている光景をいっしょうけんめい再現しようとしていて、それがあれをいい本にしているんだ。このコッパードの本はそれが本当にむずかしい。分析にはおさまらない。ガジェットやくだらない暗合集めの対象にもなりにくい。さてこの本のおもしろさをどう伝える? この文では、そのむずかしさについては書けている。おもしろさは伝えられただろうか。
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1998.08 佐野眞一『カリスマ――中内功とダイエーの「戦後」』
『SPA!』に書いた原稿におさまりきらなかったものを入れ込んだんだが、それでもまだ足りてないような感じもする。
一つ書いておきたかったのにこの原稿でも書ききれなかったのが、この本の下品さ。内容的には 10 年先にも残っていい本なんだよ。それなのにこのバカな著者は、変なはやりことばを使って媚びを売ろうとする。「逆ギレ」して「バタフライナイフ」がどうしたとか。流行語(それも三流週刊誌レベルの低級な流行語)ネタはすぐ古びるって教わらなかったのか。それがこの著者のセンスのなさと同時に、目先しか見てない志の卑しさをも物語ってて、すごくいやだ。ぼくは卑しい平民の出だけれど、志とか品とか慎みとか誇りとか、そういう美学を卑賤な貧乏人なりにきちんとしておきたい。それがないと、小林よしのりみたいに無様に国家主義にからめとられかねないもん(だれかあの人に、国家と共同体の関係を教えてあげてよ。宮崎哲弥とか!)。
あと、日本のルポにありがちな、ライターが自分をかっこよく見せるためのさりげないいろんな仕掛けね。あんたがインタビューにいったときに雨が降ってようと知ったことかよ。たまたま出かけた先の人の住所がちがってて、別の人がいたとかいないとか、そんなことを思わせぶりに書いてどうすんだよ。
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1998.09 『ワイアード』
『ワイアード』はホントにいい雑誌だったし、ぼくにいろいろ書かせてくれたり、連載までさせてくれたりと、とっても感謝してるのだ。いずれこの雑誌の底力は、だまってても明らかになってくると思ってたし、内輪誉めはなるべくしないようにしてるからあまり書かなかったけど、でもまあ、もう廃刊なんだからきちんと書いておきたかった。
それともう一つ、総合誌ってものについてちょっと考えてて、というのも最近いろんな事情で文春と中公を読んだんだけど、ひどい代物ではないの。なんでこんな遺物が生き残ってるんだろう。そんなはなしも交えたかったのだ。
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1998.10 外崎&梅津『マイクロソフト・シンドローム』
特に梅津さんの文体を後半はまねしたんだが、ちょいとまとまりは悪いな。でもまあ、ぼくが手伝うまでもなくかなりよく売れたみたいだし、まあいいか。外崎「がんばれ! ゲイツくん」と梅津「窓と林檎の物語」はずっと欠かさず読んでいたし、ちゃんと評価されて結構結構。マイクロソフトも訴えたりしてないようだ。よいことです。
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1998.11 緒川たまき『またたび紀行――ブルガリア編』
これを緒川たまきの著書にしていいのかなあ。彼女は多少は写真もとってるし、後半ではずっとてれてれしゃべってるけど、むしろ被写体だからなあ。まあいいや。で、ブルガリアのバラ祭に行ったというから、楽しみにして買ったら、こいつらバラ祭に間に合ってないでやんの。いーんちき! んでもって、どこへ行ったのかいろいろ地図を見ながらプロットしてるうちに、移動日をのぞくと実動たった 2 日しかないことに気がつく。そりゃ無謀よぉ。読み込んでくうちに、恐るべき強行スケジュールがあらわになってくるのであった。
ロッキングオン社の本なので、さしさわりがあるかと思ったけれど、すぐにオッケーで通ったそうな。ところでこの本は、カバーが本の丈より狭いので、上下がはみ出るけど、なんか落ち着かない。あと、この背の造本が変。ハードカバーに一応してあるけど、背中のつくりはペーパーバックの箱とじみたいな感じになってる。コストをおさえつつ、一見高級そうに見せようとしてるな。いーんちき!
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1998.12 蓮實重彦『知性のために』
これはもう、杉岡メールの勝利ですな。この返事をもらった瞬間に爆笑。「おばあちゃんが死ぬかと思った」って、いいなあ。実感でてるなあ。七尾家もいいコメントくれたし。筋のいい、頭のいい子たちの文ってのびやかで気持ちいいな。のびやかすぎて不安な気もするが。ぼくが大学生の頃ってもうチトひねていたな(まあこんなやつですから)。こんどみんなにごほうびをあげませう。ちゃんとリサーチしたかいがあったね。
ニューアカ勢の中でも、蓮實重彦はちょっと年齢的にもポジション的にもちがっていて、軽薄なだけのほとんどの子たちとはいっしょにできない。いいかげんなこと書いてそうで、以外と揚げ足をとられないような仕掛けはしてあって、老獪だよ。それに、そんな変なことを言ってるわけじゃない。とっぴな発言でスタンドプレーをしたりはしないし。実は結構シンプルなことを言っていたりするのだ。最近になって、ぼくはやっとそれがわかってきたような気がするし、ああ、やっぱり少し自分も影響を受けているなと思うので、いずれなんかの形でそれを書いておきたかった。今回のは、まあこれでいいんだけれど、もう一歩ほしいな。これはまたいずれ。
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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>