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マインド

連載第?回

メキシコからきた二回ひねりの寓話集。

(『CUT』2006 年 9 月)

山形浩生

要約: 世界で一番短い小説の作者として名高いモンテロッソの寓話集が出ていたのは驚き。いささか押しつけがましいのもあるがいろいろ深読みできるおもしろくて短い小説が集まっていて、よい本です。出版社も変わったところだし、あとこれはメキシコ政府の翻訳助成金を得ているそうな。そういう制度もおもしろい。



 モンテロッソ! こんな人の本が出るとは。たまたま丸善を歩いていて見つけたのだけれど、リアル書店は、こういうネット書店とはまったくちがう形の意外な出会いがあるからいいなあ。

 さてモンテロッソを知る者は幸いである。この人は、世界で最も短い小説を書いた人物として、一部の変な読書家には知られている人物だったりする。ちなみに、その最も短い小説とはこんな代物だ:

「『恐竜』 目を覚ますと、恐竜はまだそこにいた。」

 もちろん、マニアたちの間では、本当にこれが一番短いのかとかいうたぐいの議論はないわけじゃない。が、それはささいなことだ。一応、これだけの短さの中で、あれこれ深読みを許すような細かいしかけがたくさん入っている。

 なぜ恐竜なのか? これは何かの比喩なんだろうか? 「まだ」というからには、たぶん目を覚ます前にはそれがいなくなるかもしれない/いなくなってほしい、という期待があったわけだ。それはどういうことだろうか。さらに、これで小説として完結しているということは、まだそこにいたことが何か重要性を持っているはずだ。なんだろう?

 この本のあとがきにもこの小説は(別の訳で)紹介されていて、訳者は恐竜が夢の中に出てきたのだと解釈している。だから、目が覚めたときに恐竜がいたので混乱しているのだ、と。でも、そういう解釈である必要はない。眠りに落ちる前に、恐竜はそこにいたのかもしれない。そして何かその恐竜を追い払う、始末する手を打って「これでよし、やれやれ」と思って寝込んで、そろそろいなくなったかと思って起きたら、恐竜はまだそこにいた、のかもしれない。両者の間には何があったのか――ちなみにぼくがここで想像する恐竜というのは、なんとはなしに草食系ののろまでまぬけな感じで、何となくのほほーんとした感じでそこに鎮座している感じだ。なんとなくこの話全体がちょっとユーモラスに読めるからだ。人によってはジュラシックパークのラプトルたちみたいな、俊敏で残酷な肉食恐竜を想像するかもしれない。「目をさまして、その一瞬後にあのハンターみたいに食べられちゃうんじゃないの?」という友人もいた。うん、そういう解釈もあるだろう。

 もちろん、これだけ読んで、何が正しいかなんてわかるわけがない。でも、この小説を読んだことで、いま書いたようないろいろな想像力の広がりが楽しめる。なんでもかんでも説明して映像化してしまうのとはちがう頭の働き方をうながす力がある。モンテロッソの小説は、そんな感じの小説だ。

 この『黒い羊他』も寓話集で、まさにそうした短い、でもその短さの中で極限まで想像力を引き延ばすような、そんな小説の集まりだ。余白の多いページに大きな字。読もうと思えばポテチを食うようにぱりぱり読めるけれど、でも正しい読み方は、一つずつ読んではとりあえずページをめくる手を止め(というより、ほとんどの作品がページ見開きにおさまるので、いちいちめくる必要もない)、それぞれの話が想像力の中でじわーっと広がるのを楽しむのが正しい読み方かもしれない。

 アウグスト・モンテロッソは、まとまった紹介は今回が初めてだけれど、ときどきラテンアメリカ系の短編集に収録されている(そしてかならず解説には上の「恐竜」が全文引用される)。メキシコの作家で、小学校中退、ほぼ独学でメキシコを代表する作家の地位にまで到達したという、なかなか経歴としてもおもしろい人物でもあるし、もっと読んでみたいなと思っていた作家の一人だった。やっと出てきた本書は、うーん、ぼくはもっと冒頭の「恐竜」っぽいものが百編くらい詰まったものを期待していたのだが、なかなかそうはいなかいか。寓話なんだが、ちょっと寓意が直接的すぎて、一般性のある寓話というよりは嫌味っぽくなったり、ものによっては批判が鋭すぎるようになって、笑えるんだけれど笑いがひきつる感じになっている。が、それがおそらく著者の意図したところでもあるんだろう。

 いずれも、イソップや、ラ・フォンテーヌの動物寓話をモデルにしつつ、そこに現代的な味付けをほどこしたもの。動物たちをモデルにしつつ、そのほとんどすべては、他人の視線に対してどう人々が行動するかを中心に組み立てられている。そしてイソップなどの寓話も、通常は人目を気にしたりこざかしい浅知恵を発揮してみたことで動物たちがかえって悪い境遇に陥ってしまう話を描くけれど、モンテロッソはそれをもう一段ひねる。浅知恵を発揮した動物たちを見ている世間、かれらを動かしてしまったその視線の持ち主――ひいては社会すら本書の寓話群は批判と諷刺の矢をむける。笑い、ひきつり、考え、その間を読者に行き来させてくれる、初秋の非常におもしろい読み物となることだろう。

 ところでもう一つおもしろいこと。本書を出している書肆山田というのは、詩の関係者しかふつうは知らないマイナーな出版社なんだけれど、本書を出すにあたって、メキシコ政府のメキシコ著作物翻訳支援計画(PROTARAD) から支援を受けているんだって。ふーん。実は最近になって、オクタビオ・パスというメキシコの誇る大詩人が書いた『ソル・フアナ・イネス・デ・ラ・クルスの生涯:信仰の罠』(土曜美術社出版販売)という分厚くて高い本が出たんだが、これも同じような助成金を受けていたっけ。日本も文化発信をこういう形で行ったりしていないんだろうか? すでに日本小説の一部(特に村上春樹)はアメリカやドイツでも無敵の人気を誇るけれど、次のタマがない。使えそうな書き手を外国に売り込むようなことを税金で支援するのもありではないかと思うのだけれど。このメキシコの二冊みたいに、比較的マイナーだけれど良質のものにお金をつければ、かなり底上げとして有効だと思うんだけれどね。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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