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マインド

連載第?回

ソ連強制収容所の凄惨な歴史と教訓について。

(『CUT』2006 年 8 月)

山形浩生

要約: ソルジェニーツィン『収容所群島』に描かれた強制収容所を、その後のペレストロイカによる崩壊、そしてソ連経済における役割まで含めて綿密な調査により明らかにしたすばらしい力作。そして、これだけ凄惨で非人間的な装置を利用していた社会主義に対しては何ら批判が行われず、当時それを翼賛していた人は平然と口をぬぐい、各種アイテムがむしろレトロなファッションとして消費されていることに対する著者の批判も重要。



 もはや社会主義が崩壊し、あの強大だったソヴィエト連邦も存在しなくなった現在、もうシベリアの強制収容所なんてのはみんなの記憶の彼方に消えているのかもしれない。かつて強制収容所は、社会主義の暗部であり、その悪の象徴だった。でも、それがどんな形で誕生し、そしてソ連邦崩壊後にどうなったのか――それはさっぱりわからなかった。

 本書が出るまでは。

 『グラーグ』は、そのソ連の強制収容所(グラーグ)の歴史を、最初から最後までたんねんに追った本だ。淡々とした筆致、圧倒的な調査に基づく記述。そしてこのボリューム。ピューリッツァ賞の受賞も文句なしだし、またこうした本をきちんと評価できることは同賞の見識を如実に示すものでもある。

 もちろん、だれしもその概要は知っている。スターリン時代に生まれた恐怖の機関であり、住民同士の密告体制、秘密警察の暗躍。逮捕ノルマをこなすために、何の証拠もないまま人々は手当たり次第につかまり、一度つかまれば裁判などないも同然にシベリアの収容所に送られ、そして極寒の中、飢え死に寸前の状態ですさまじい重労働を何十年にもわたり強いられる。家族に消息が知らされることもなく、生きて帰ってこられれば奇跡に近い――アレクサンドル・ソルジェニーツィンをはじめ、それを実際に体験した人々の証言は多々存在するし、本書の中にもそれは十分すぎるくらいに活用されている。読み進むにつれて、そうした想像を絶する苦悶の細部が、読者の胸には重苦しくたちこめてくるのだ。

 だが本書の特色は、それらの証言とともに、ソ連体制側の資料を使ってそうした機関の存在意義等をきちんと示したことにある。従来の強制収容所のイメージは、政敵や反体制疑惑のある人々を隔離するという名目の施設ではあった。でも本書では、それがスターリン以前から存在し、シベリアのインフラ構築のために必要な労働力確保の機関としていかに積極的に位置づけられていたかということをはっきりと示す。強制収容所がなければ、ソヴィエト連邦という仕組みは成立できなかった。多くの論者は、社会主義自体は正しくて、強制収容所なんてのはスターリンが本来の社会主義からはずれて独裁的に作り上げたものだから、強制収容所は社会主義批判にはならない、といった議論をしたがる。でも、少なくともソ連邦という形式の社会主義は、少なくともその初期には強制収容所なしにはたちゆかなかった。この両者を分けることは――共産主義中国が各種の強制労働なしには成立しなかったように――ひょっとしたら不可能だったのかもしれない。スターリン個人に責任を押しつけるわけにはいかないのかもしれない。

 実はゴルバチョフは、かつてこの収容所システムに迫害された勢力の出身だったという。かれによるペレストロイカとともに、強制収容所は実質的に閉鎖されることとなる。さらにその後のソ連邦崩壊にともなって、もはやその存在すら過去のものとなりかけている。たぶん、まだ生き証人もおり、新しい資料も徐々に出てきたいまこそ、強制収容所の全貌を明らかにできる最も重要な時期だろう。本書はその端緒として実によい仕事をしてくれている。

 が、そこからぼくたちは何を読み取るべきなんだろう。日経新聞に本書の書評がのって、イラクのアブグレイブ捕虜収容所等で捕虜虐待が起きていることを挙げて、強制収容所の教訓が生かされていない、というピントはずれな議論をしていた。うーん、時事ネタでオチをつけたい気持ちはわかるんだが、アブグレイブやグアンタナモの問題は戦争捕虜の処遇の問題であって、それが完全に社会体制の一部として機能していたソ連の強制収容所とはぜーんぜん話がちがう。グラーグの問題は、囚人の待遇以前の問題なんだから。もしソ連の収容所から状況が改善されていないという話をするなら、むしろ挙げるべきは(いまなお存在し続けているとされる)中国の労改や北朝鮮の収容所だろう。この本の指摘する強制収容所の教訓が理解されていないことを、当の日経の書評自体が身をもって実証してしまったわけだ。

 そしてそれと関連してもう一つ学ぶべきことがある。それは、その強制収容所に対する知識人の態度だ。

 比較的淡々と書かれる本書の冒頭と最後の部分には、この強制収容所から目をそむけ、それを否定し隠蔽してきた、西側の左翼系知識人たちに対する批判が書かれている。社会主義はすばらしいといいつのり、そこで行われている決めつけでっちあげ裁判ですら肯定し、強制収容所についてはひたすらデマだウソだと言い続け、そしてそれが否定しようがなくなったときには適当に言葉を濁してごまかす。そこで名前を挙げられている知識人たちを見ると、今年の正月にこの欄で紹介した『マオ』にも登場した毛沢東による文革の虐殺を翼賛した人々とかなり重なっていたりする。日本でも類似の発言をして、類似の役割を果たした人々がいて、いまだに自己批判もなくサヨクちっくな「理想」を口走っていたりするのだ。そしてハーケンクロイツに目くじらをたてる人々が、それより遙かに多くの人々を迫害・殺害してきた体制のアイコンをファッション的に消費したりしている。本当に学ぶべきものは、いったい何なのか? 本書をきちんと読めば、それははっきりわかるはずなのだ。

 偶然だろうが、今月は世界にソ連強制収容所の実態を初めて詳細に報せ、西側世界に衝撃をもたらしたソルジェニーツィン『収容所群島』も(なんと当人の新しい序文つきで)復刊される。もし関心があれば、そちらも読んでみてほしいな。書き方は、『収容所群島』のほうが文学的、というより全編に、自分たちの身に起きたことなのに未だにそれが信じられないとでもいうような、自虐的な自嘲の雰囲気が満ちていて、それが悲痛な印象を創り出すとともに、当事者しか語れない迫力を創り出している。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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