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連載第?回

星に願いを:天文台に人々が託した想い。

(『CUT』2005 年 12 月)

山形浩生

要約: 天文台に寄せられた人々の手紙は、その書き手のキチガイぶりを明らかに示していて笑える一方で、星にすがりたがる人々の恐れと願いを反映していてしんみりさせられるものがある。



 最近、『はい、こちら国立天文台―星空の電話相談室』(長沢工、新潮文庫)という本がちょっと人気だと聞いて読んで見た。うん、まあなかなか楽しい本ではある。日々天文台にはいろんな問い合わせがくる。小中学生の宿題相談から、仕事をしない無知なジャーナリストの馬鹿な問い合わせの相手、その他あれやこれやの苦労話の中に各種の天文ネタをちりばめて、日常エッセイと天文エッセイの中間くらいのところをねらっている。なかなか高尚な意図を持った本で、しかもそれがかなり成功しているよい本になっている。

 ただ、ぼくが「天文台の相談室の話だよ」ときいたときに予想していたのは、ちょっと別のものだったのだ。

 ぼくが期待していたのは、この No One May Ever Have the Same Knowledge Again みたいなものだったのだ。

 この本が出たのはかなり前で、いまはちょっと手に入れにくい。もともとふつうの本というよりは、ある博物館の展覧会カタログのような本だからだ。そしてその博物館というのが、ロサンゼルスの茫漠とした郊外にある、ジュラシック技術博物館と訳していいものやら。ここを知っている人は、日本に何人いることやら。いや、知っている人はそこそこいるかもしれない。というのも、ここについて書かれた本が(なんとみすず書房から)邦訳されているからだ。ウェシュラー『ウィルソン氏の脅威の陳列室』は、まさにこの博物館に関して書かれた本で、その生い立ちから館長のデヴィッド・ウィルソンのうんちくから各種展示物の解説まで実に詳細に解説されている。されてはいるんだけれど……この本を読んだ人で、この博物館が実在すると思う人はほとんどいないんじゃないか。鉛の固まりのなかに捉えられた不思議なコウモリ。プルースト式記憶回復装置(わかるでしょ)。得体の知れない忘却理論の解説。髪の毛に彫刻をする変な亡命アルメニア人の作品。どれも、なにやら変わった小説家の小説には出てきそうだけれど、そんなものばかりを陳列した博物館なんてあるわけないんじゃないの? 普通の人はそう思う。『陳列室』の訳者でさえ、どうもこの博物館の実在を確信してないらしい。「本書はノンフィクションとフィクションの垣根を軽々と飛び越えてしまった」と訳者は書いている。でもこれはひたすらノンフィクションでしかない。この本に書かれているものは、全部そのまま寸分違わずにそこにあるんだもの。

 そしてこのジュラシック技術博物館であるとき開催されたのが、アメリカのウィルソン山の頂上にある、ウィルソン山天文台に届いた手紙の展示なのだった。

 この天文台は、20世紀初頭に創設され、開設当時は世界屈指の大型天文台としてかなりマスコミなどでも話題になったそうな。当時は天文学もかなり大幅な進歩を遂げつつあった時代で、人々も天文に関心があった。だから一般から各種問い合わせなども多かったんだが、それに混じって変な手紙が増えてきた。

 自分が宇宙人からのメッセージを受けているので、その返信を送ってくれ、という種類の手紙だ。あるいは世界の真理に気がつき、それを一刻もはやく宇宙人に報せて、地球を攻撃しないようにさせなくてはならない、という人もいた。あるいは、月にどんな生物がいるかを天文台に教えてくれる手紙。いやはっきりいえば、キXXイの手紙だ。

 本書は、そういう手紙を集めたコレクションだ。

 もちろん、そのすべては荒唐無稽なでたらめでしかない。天文台は見るだけで、送るのはできないんですよという理屈もわからない人たちだ。したがってそれを読んで、いやあ得体の知れないことを思いつくもんだ、と笑うのは簡単なんだけれど……でもしばらく読むうちに、そこに共通する悲しさが見えてくるんだ。かれらはみんな、孤独を抱えている。そしてその孤独を解消するための手段として、なんとか星に語りかけようとする。そして、なぜ自分の思いが決してだれにも伝わらないのか、とわらにもすがる思いでこの天文台を頼ってきているんだ。

 それはまた、人間の悲しい性のあらわれでもある。前にこの欄で、エリアーデ『オカルティズム・魔術・文化流行』の中の占星術に関する議論を紹介した。かつて人は、星々と直結した世界に暮らしていた。人はある星の元にうまれ、星の定めにしたがって生きていた。科学はそのつながりを否定し、人々は嫌々ながらも、星が自分とは何の関係もない火の玉だということを受け入れつつある。でも人はかつての星とのつながりをなつかしく思っている、だからこそ、自分が星と関係あるという占星術に惹かれるんだ、と。そのキXXイたちの手紙も、そうした心の働きによるもので、だからぼくたちはそれを読んで、ちょっと身につまされるところがあるのだ。

 こうした人々はいつの時代にも一定の確率をもって登場する。この天文台も、開設当初から現代に至るまで、絶え間なくこの種の手紙を受け取ってきた。でも、その一方で時代背景がそこには大きく影響したという。この種の手紙の件数がはねあがったのが、両世界大戦の間の期間だったという。その理由は……まあ見当つくでしょう。不穏な世界情勢、いやそれより、アメリカの経済が大不況に突入し、人々が本当に不安におびえていた時代だ。いまの日本はどうだろう、とぼくは思う。今の日本でも、日銀の無策のおかげもあって不安は徐々に増している。人々は天文台を通じて星にかたりかけようとしているんだろうか? ぼくはそれが知りたい。そしてかれらは星にどんな願いを伝えようとするんだろう。

 今年もあとわずか。皆様がよいお年を迎えられますよう、スリランカの星空にお願いしておこう。ではまた来年。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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