barbarians 連載第?回

人を丸め込む手口解説します――悪用厳禁!

(『CUT』2005 年 6 月)

山形浩生



 この欄はふだんはあまり実用性のない本を採り上げているけれど、今回は珍しく絶対役にたつ本を紹介しよう。

 読者諸賢がいかに聡明でも、騙されたことのない人はいないだろう。そしてそれ以上に、はっと気がつくとやりたくもないことをいつの間にかやらなくてはならない状況に追い込まれているといった経験はどんな人にも絶対あるはずだ。押し売りに会うとか、やりたくもない仕事を押しつけられるとか、寄付を断れないとか。それは必ずしも、気弱な人や自分をしっかり保てない人が強引に押し切られる、というものじゃない。時には自分をしっかり保つ人がそれ故に身動きの取れないポジションに押し込められてしまうこともある。そして、みんな後悔する。いったいなんで、あたしはあのときウンと言ってしまったんだろうか? しかも、腹の底ではなんかイヤーな気持ちがまちがいなくしていたのに、なぜ断れなかったんだろう?

 この本、チャルディーニ『影響力の武器』(誠信書房)は、それを説明してくれる。人間にはその本性として、ある反応のパターンがすり込まれてしまっている。それは通常は、簡単に判断を下すための近道としてとても有効に機能する。でも、別の文脈でうまくそのスイッチを押されると、すり込まれたパターンが自動的に起動しちゃって、それが理性に反する行動を人にさせてしまう。本書が指摘するパターンは以下のようなものだ:

 これらどれも、たぶん思い当たる節があるはずだ。いやなことを引き受けたり、断るつもりだったものをつい買ってしまったりするときには、ほとんどの場合にこれらのどれかが当てはまっているはずだ。

 この本はもともと心理学の教科書なんだが、でもその内容は抽象的な心理学の屁理屈から出てくるものじゃない。著者はここに出てくる手口の多くを、実際にセールスマン見習いになったり、募金活動に参加して、そこで学んできた。多くの団体はここに書かれている手口を、意識的ではなくても熟知していて、それを実に見事に利用する。別に高度な教育も必要ない。どんな途上国の土産物屋や物乞いでも、これらのトリックのどれか(いやかなりのもの)は知っている。

 本書を読むと、これらの仕組みの作用、それを証明する心理学の実験、そしてそれを実際に使っている各種団体の手口がそれぞれについてきちんと述べられていて実にわかりやすい。そして、それに対抗するだけじゃなくて、その手口をあなたが利用することだってできないわけじゃない。ぼくは営業が下手なんだけれど、本書を読んで自分の説得法のどこがまずいかわかったように思う。もちろん、あまり阿漕な手口を使うのは望ましいことじゃないのだけれど。

 それに関連して本書の危険性というのもないわけじゃない。読み終わってすぐは、他人のあらゆる行為に下心があるような気がして、神経質な人はノイローゼになりかねないのだ。本書に書かれた手口をすべて避けることは実質的に不可能だ。そうしたパターンは人間の社会形成の中で有益な役割を果たしてきた。借りは返す、似た相手に親切にするという意識がコミュニティ形成に有効なのはだれが見ても明らかだろう。それをすべて否定したら社会でやっていけない。避けるべきなのはこうしたメカニズムの過度な悪用だけだ。途上国の旅行者でときどき見かけるのが、ぼられるのが怖いばっかりに、自分の欲しい物も買わずやりたいこともできなくなっている人たちだけれど、本書を読んでそうなってしまったら、それは不幸なことだ。

 それを防ぐには、自分が騙されるのを楽しんで眺めるような余裕というのがいるんだろう。ぼくは20代末になって、それがちょっとできるようになってきた。100円以下、1000円以下くらいなら、上手にだましてくれたおひねりで、くれてやれるようになってきた。だれか、そういう上手で有益なだまされかたの本、というのも書くべきだという気もするんだが。でも不本意にだまされたり丸め込まれたりすることがあまりに多いとお嘆きのあなた! 本書を読めば、後悔まみれの人生に終止符が打てるかもしれませんぞ。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>