(『CUT』2005 年 3 月)
山形浩生
以前、この欄でビョルン・ロンボルグの The Skeptical Environmentalist を紹介した。世の中の環境問題と言われるものを総ざらいして、実は環境保護団体なんかがあれこれ脅す話(環境ホルモンや人口爆発)はほとんどが無根拠だったり誇張されていたり、ひどいときにはデータを故意にゆがめたりすることでかなり歪曲されていること、そしてほとんどの「問題」は実はかなり改善されてきていて、またすでにできる限りのことが行われているんだということを、各種主張をすべて出所にあたってチェックしなおしてまとめることで示した驚異の書物で、世のエコロ団体を震え上がらせた一冊だった。その後、ぼくの訳で『環境危機をあおってはいけない』(文藝春秋)として出版されたので、お読みになった方もいるかもしれない。
この本の主張は、現状でも環境はよくなっているんだ、ということだった。多くの環境保護団体は、地球環境はいまにも崩壊寸前、という脅しばかりをかけて、大したことのない問題に過大なお金を使わせたり、ほとんどだれも死んだり病気になったりしていないような問題(環境ホルモンとか農薬とか化学肥料とか)で大騒ぎして、それらの有益な部分さえ無視して百年前の生活に戻れなんていうむちゃくちゃを言う。でもそれは、世界の人間半分に死ねというに等しい話だ。環境はよくなっているんだから、あわててバカな真似をしないでも考える時間はある。世界をよくしたいんなら、本当に何が重要な問題なのかをまずきちんとみきわめよう。そしてその順番にしたがってお金や頭脳を割り振っていこう。それが『環境危機をあおってはいけない』の主張だった。
ところが……環境保護団体やエコロな人々の多くは、この本がお気に召さなかった。そして「環境がよくなっているなんていったら、みんな安心して何もしなくなってしまう。ロンボルグの議論は、優先順位をつけようと言いつつ、実は何もしないでいいと人に思わせる陰謀だ! 具体的に何をすればいいか、ロンボルグは全然明らかにしないじゃないか!」というひどい批判があちこちで展開されていた。
ふつうの人なら、こういう揚げ足取りは無視する。が、ロンボルグのすごいところは、それを真正面から受けてたったことだった。よろしい。それなら、その優先順位を明らかにしようじゃないか。いま地球で何が最大の問題かを、きちんと順位づけしようじゃないか!
そしてかれはこのために、すさまじいプロジェクトを立ち上げた。通称コペンハーゲンコンセンサス(ロンボルグはデンマークの人ですから)。まず大きな問題をグループインタビューや国連会議のテーマなどから十個選びだした:気候変動、伝染病、紛争、教育、金融安定、行政、栄養失調、移民、衛生と上水道、貿易。そしてそれぞれについて、世界トップクラスの専門家を呼んで、各分野で特に重要な問題の状況とそれに対して取れる対策を見積もらせる。さらに別の立場の専門家にコメントと批判をしてもらい、見積もりを修正。そしてそれらを並べてみて、世界最高の経済学者たちに、費用便益的な観点からそれらを順位づけしてもらう。
結果はきわめておもしろいものだった。いま地球上で最大の問題で、しかもすぐに効果のある対策が存在しているのは、HIV/AIDSだ。特にアフリカを中心に毎年死んでいる数百万人が、ほんのちょっとの費用で救える。二番目に重要なのが、微栄養素の失調からくる各種の疾患だ。ヨウ素やナトリウムみたいな微栄養素は、子供の成長や知能なんかに大きな影響を与える。そしてちょっと錠剤をあげれば、これはすぐに解決できるし、健康で知能の高い子が増えればその国の未来は大きく開ける。一方……満場一致でやっても無駄なダメなプロジェクトに挙げられたのが、地球温暖化対策。地球温暖化は起きているけれど、もともと数百年規模の問題なので、いますぐチマチマ何かしたところでほとんど何も変わらない。そして特に京都議定書みたいなもので世界の経済活動をしぼれば、豊かになって健康で幸せな生活が送れたはずの人々が、停滞をよぎなくされる。
二〇〇四年の夏から秋にかけてこの結果が発表されたとき、地球温暖化で大騒ぎしている環境団体はもちろんブーブー文句を言った。検討のプロセスが不明確だとか、中身がわからないとか。でもそこで出てきたのがこの本、Global Crisis, Global Solutions だった。最初の専門家によるペーパー、それに対するコメントと修正ペーパー、さらにはその順位づけプロセスまでが詳細に記述された大部の一冊。ほとんど文句のつけようがない、正統派ストロングスタイルの優先順位づけだ。これが出たら、地球温暖化の順位が低いのはけしからん、という人は、じゃあ地球温暖化対策は HIV/AIDS 対策に優先するほど重要なのか、という問題に定量的に応えなきゃいけない。そしてそれをやった人は、いまのところだれもいない。
そしてこれは、これからの環境運動やもっと広い市民社会のあり方を示唆するものでもある。これまでは、社会的にいろんな問題の優先順位をつけるのは、誰もコントロールできない市場というものを除けば、政府の特に予算配分を決めるところだった。でも多くの人は政府を信用しないという。政府があの問題に注目しないのはけしからん、この問題をもっと重視すべきだ、と自分の関心ある問題についてだけ騒ぎ立ててケチをつけてきた。そして結局は、扇情的で声のでかいところがなにやら勝つというトホホな光景が展開されてきた。でも、これからは別のやり方があるかもしれない。もし政府のつけた優先順位が気に入らないなら、自分でこうやって説得力ある形で優先順位をつけてみせる、という方法があるだろう。そのうえでそれを政府とかの順位づけと比べれば、いったいどこにゆがみがあるのか、というのも明らかになる。そういう理性的な社会的合意のつくりかたを、この本に描かれた試みは提案している。
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