フリアとシナリオライター 連載第?回

現実に勝てるフィクションの力。

(『CUT』2004 年 8 月)

山形浩生



 やっとやっと出ました、という感じの本書。初めて予告が出てからもう十五年にはなるだろう。国書刊行会の近刊予告に載るようになって、でも一向にでない。収録されるはずのシリーズも、最初に予告が出た第一期から、第二期、第三期と進んでも、相変わらずでない。これはもう、見込みないかナー、と思っていたところへ、いきなり出たのがこのバルガス・リョサ『フリアとシナリオライター』(国書刊行会)。

 これだけ翻訳に苦労したんだから、よっぽど奇々怪々な代物なのかと思っていた。言語実験やことば遊び使いまくりとか、異様に入り組んだ構成とか。何度か英語版で読もうかと思いつつも手を出さなかったのも、それが一つの理由だ。ただバルガス・リョサは、それなりの技巧もこらすし長く凝った構成も特徴だけれど、基本はリアリズムの人ではある。だからそんなに訳しにくいはずもない気はしたけれど。それともう一つ、バルガス・リョサの小説ってシリアスなものが多いんだよね。『緑の家』にしても『ラ・カテドラルでの対話』にしても。それを英語で読むのはしんどいかも、と思ったこともある。そしてやっと出た本書を読んでみて、ほとんど拍子抜けする思いだった。だってそこにあったのは、かなりストレートなコミックノベルだったのだもの。

 ストーリー的にはきわめて単純。十八歳の主人公はあるラジオ局で、各種新聞の切り抜きをもとに扇情的なニュースを書くという仕事をしつつ、小説化になるのを夢見て習作を手がけている。その局が人気アップを狙ってボリビアから天才(と言われる)シナリオライターのペドロ・カマーチョを引き抜いてくる。それと同時に、主人公の義理のおばさんフリア(というっても三十そこそこ)が離婚して家に戻ってくる。天才シナリオライターは、すぐにその才能を遺憾なく発揮し、自分の作品は芸術だと宣言して次々に奇想天外と言っていいほどのシナリオを次々に書き上げ、それはペルー中の話題をさらい、かれのドラマの時間は町が機能を停止してしまうほどの人気を博する。一方、主人公はフリアおばさんとあちこち出歩るくうちに、だんだん彼女に惹かれてゆく。そして、最初は主人公を子供扱いしていたおばさんのほうもだんだんその気になり……そしてそのあたりから、だんだんシナリオライターの書くシナリオが変になりはじめる。奇想天外だったシナリオは、だんだん破天荒になり、やがて支離滅裂になってくる。死んだ人が生き返り、かつて出てきた登場人物がいきなり顔を出し、名前はごっちゃになり……そして当人の行動も、登場人物になりきるためと称するコスプレをはじめ、ますます常軌を逸したものになる。一方、フリアおばさんと主人公は、やがて結婚したいとまで思うようになるものの、家族中の猛反対にあい、年齢を詐称してまで結婚手続きをしようとする主人公の旅は、これまた得体のしれない大混乱に陥る。さあこの二人の運命やいかに、そしてシナリオライターは起死回生一発逆転の最終回シナリオを書き上げることができるのでありましょうか!

 この小説は、リョサの半自伝的な小説だ。かれは本当に自分のおばさんとかけおち同然の結婚をしている(その後離婚)。そしてそのときの経験をもとに本書を書き上げたところ、フリアおばさんは名誉毀損と称してリョサを訴えたりもしたうえ、反論の手記まで出したとか。別に本書でおばさんはまったく悪く書かれておらず、むしろ魅力的に書かれているので訴えるべき理由というのはよくわからないし、何を反論したのかはさっぱり理解できないのだけれど。彼女は若く美人で言い寄る男たちを手玉にとりつつ、多少通俗的ながら、主人公の書く頭でっかちでスノッブな小説をあっさりと否定する知性を擁している。一方のシナリオライターは、これは本当にあり得ないくらいめちゃくちゃ。

 で、これってまったく翻訳に苦労しそうなところってないんだよね。いったいなんでこんなもんに十五年もかかったんだ! これなら英訳で読んでおけばよかった。

 とはいえ、十五年待ったせいで別に本書の価値が下がったということは特にない。『パンタレオン大尉と女たち』が楽しく読めるのと同じように、本書もとても楽しく読める。半人前の作家の、いわば成長物語として。かれは自分の失敗と、ペドロ・カマーチョの変な創作を通じて、少し書くということの中身について考え直すようになる。その一方で、かれのおばさんとのエピソード自体が、ペドロ・カマーチョの変なシナリオの一つのような、ある種のあり得ないばかばかしさを備えるようになっている。フィクションと現実が模倣しあい、お互いを笑いあうような、そんな楽しい小説にしあがっている。

 ただ……欠点、というか困ったところなんだけれど、奇想天外からだんだんデタラメになっていくはずのペドロ・カマーチョのシナリオというのがたくさん挿入されているんだけれど、どれもやたらにおもしろいんだよね。新婚初夜に実の兄との不義の子をみごもっていることがわかった娘の運命とは! ネズミとりに一生を捧げた男はどうなるのか! いまのご都合主義のきわみみたいなテレビドラマをわんさか見させられているぼくたちにしてみれば、登場人物が多少つじつまあわなかったり、死んだ翌週に平気で生き返ってまた死んだり、なんてことが多少起きたくらいでは、別にどうとも思わない。だから最後のほうで、シナリオがデタラメになっていく様子を読み取るべきところで、それがちょっとピンとこない。そんなものどうでもいいから、この続きをもっと読ませろ! と思えてしまう。その結果、多少きちんとまとまってオチのつくフリアおばさんとのエピソード(そしてシナリオライターの後日談)が、むしろ陳腐でつまらなく思えてしまうのだ。リョサもこんど、おばさん抜きの『シナリオライター』という本を書いてくれないかなあ。そんな本なら、もう十五年待ってもいいかも……いや、それなら英訳で読むか。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>