Sock Monkeys 連載第?回

クルーグマンのコラムがつきつける現代マスコミの問題など。

(『CUT』2003 年 10 月)

山形浩生



 ここしばらく、世界最高の経済学者二人(そしておそらくは、最も口の悪い経済学者二人)、ジョセフ/スティグリッツとポール・クルーグマンが、相次いでアメリカの近年の政治経済政策についてきわめて批判的な本を出している。スティグリッツのほうはもうすぐに邦訳が出るらしい(この文をみなさんが目にする頃にはすでに出ているだろう)。だからスティグリッツはそれを待つことにして、今回はクルーグマンだけにしておこう。それに、クルーグマンのほうは、ちょっとおもしろい問題をはらんでいるのだし。

 というわけで、クルーグマン『The Great Unraveling』だ。これはかれがニューヨーク・タイムズ紙に掲載しているコラムを中心にまとめた本なのだった。かれが2000年頃からNYTに連載を始めたときには、同紙はなにやら利害対立を非常に気にするところだとかで、企業のアドバイザーをするとか、他のところに文章を書いたり、講演をしたりとか、とにかく彼が書くことに何か影響を与えるかもしれないその他のコミットメントをすべて切るように求められたそうな。おかげで、一時はクルーグマンが他のところに書く各種の文章が減ったうえに、コラムのほうもネタに明らかに苦労しているようすがはっきりわかり、これはちょっと失敗だったんじゃないか、と思ったりもした。ところが……ブッシュさんちのぼんぼんが、なんと大統領に当選。黒字だから減税、テロがあったから減税、戦争だから減税、と理屈も何もない減税を繰り返し、一方でテロに戦争を口実に、支出はやたらにふやしてそれまでの財政黒字を一気にとてつもない赤字にたたき込み、まともなテロ対策はしてないし、アフガンやイラクは爆弾だけ落としてろくに面倒見てないし、とひどい状況。エンロンやワールドコムのスキャンダルも、ろくに調査もせずにお茶を濁し、身内企業の権益ばかりを重視。クルーグマンのコラムはそれを次々に指摘していった。そして、他のマスコミが、ちょっとでも現政権に批判的なことを書くと非国民呼ばわりされるのを恐れて、追従的な記述に終始している中(そして一方のリベラル派のコラムニストなどが旧態然とした感情的な批判文に終始している中)、具体的な数字や証拠を挙げつつ、しかも言葉を濁さずに各種政策のまちがいやごまかしを指摘するクルーグマンは、いつの間にやらアメリカで最も重要なコラムニストと呼ばれる存在にまで躍り出てしまったのだった。

 本書はそのコラムのベスト版であると同時に、テーマ別にまとめて解説をつけた、現代アメリカ政治経済の課題別総覧みたいなものになっている。そしてそこに書かれている内容は、実に的確に今のアメリカの各種政策が持っている問題点を指摘している。ただ、ここではその中身に細かく触れている余裕はない。むしろいちばんこの本でおもしろいのは、なぜクルーグマンにはここまできちんとした現政権批判ができて、いろんな問題点を発見することが可能で、なぜ他の人たちにはそれができなかったのか、ということだ。そして本書の序文でクルーグマンは、それは自分が "the gang" の一員ではなかったからだ、と書いている。

 かれが言っているのは、ワシントンにいる政治部記者たちのことだ。この人たちにとっては、たとえば大統領やその側近のインタビューやコメント、あるいはその考え方についてのタレコミなんかが重要だ。結果として、そういうのが出そうなところ――記者会見やその手の人々のパーティーなんかに、みんなが顔を出すようになる。逆に、そうしたところに招かれなくなることは情報源の枯渇を意味するようになる。そして、それを維持するためには、その情報源――つまりは現政権――について批判的なことは報道しないほうがいい。むしろ現政権に好意的だと思われたら、小ネタも随時流してもらえるし、お互い持ちつ持たれつの「よい」関係が維持できる。

 もちろん、そうなってしまったらそれは単なる御用メディアでしかなくなってしまう。でも、アメリカで起きていたのは、まさにそういうことだった。

 そういう雰囲気は、たぶんどこにでもある。かつて本宮ひろしが国会議員に立候補する、と言ってマンガを書いたことがある(結局でなかったけれど)。そのときかれは、国会の様子をマンガにしたい、と言っていた。国会のトイレで、田中角栄が赤いハンカチで手をふいていた、その赤さに何かすごい真理が見えるかも、それをマンガにしたいんだ、と。かれがそう言いたい気持ちはわからなくもなかった。でも……そんなのが、何の意味もないことは、人は当然わかってしかるべきじゃないか。もちろん、ハンター・トンプソンがニクソンについてやったように、そういう些事の積み重ねが何かを迫力を持って語ることは、ないわけじゃなかろう。でも一方で有名コラムニストP・J・オロークが述べているように、それはえらい政治家なりなんなりが他の人にはだれも言わなかった秘密を自分にだけは打ち明けてくれる、という変な思い上がりでもある。何様だよ、そんなうまい話、あるわけないだろうに。記者なんて、そんなにえらくないんだもの。

 クルーグマンは、そうしたサークルの中にいなかった。かれは、すべてのネタを公開情報から得ている。そのかれが、一番鋭いブッシュ批判を書き続けられているということは、一方で従来のマスコミがまともな批判機能を失うと同時に、何やら秘密情報ばかりに血道をあげるうちに、普通の公開情報をきちんと評価する能力すら失ってしまったということでもある。実はこの本がつきつける問題というのは、単なるブッシュ政権批判にとどまらない、いまのメディアのあり方そのものに対する疑問でもあるのだ。そしてそれはたぶん、いまの日本のマスコミにだってそっくりそのままあてはまる、大きな疑問でもある。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>