Valid XHTML 1.1! 磁力と重力の発見 連載第?回

マグル科学の魔術的起源と魔術界の衰退に関する一考察。

(『CUT』2003 年 7 月)

山形浩生



 近年におけるマグル科学の進歩には著しいものがある。過去数世紀――われわ れ魔術師においてはほんの2世代ほどの間――にかれらの科学が実現した各種成 果の驚異についてはここで改めて述べるまでもないであろう。電球や電話といっ た道具は、マグル科学のほんの片鱗でしかないが、それが一部の魔術師たちをも 魅了するとともに、便利に利用されていることはまぎれもない事実である。もち ろんこれらを上回る魔術は存在するものの、日常的に利用できるものではなく、 このため魔術界では未だにランプや伝書動物などの前近代的なツールが生き残っ ている有様である。

 その一方で、学問としての魔術の進歩はきわめて遅々たるものであったと言わ ざるを得ない。手法的な面においては、マグル科学における体系的な実験・検証 手法はまったく採用されず、時代ごとの傑出した魔術師たちによる経験則の記述 の散漫な集積のみが、魔術領域における各種の「学」と称して提示されるのみ。 なぜ魔術がそうした力を持つのかに関する説明の努力がいささかも払われていな いのである。

 その結果としてホグワーツを頂点とする各種の魔術学校においてすら「なぜ」 と問うことが未だに許されておらず、リベラル派として名高いアルバス・ダンブ ルドアですらこうした旧弊を奨励しているのは驚くべきことである。マグル科学 の成果学習が禁じられているのも、その内容よりはむしろ、「なぜ」を積極的に 問うかれらの手法に対する恐怖のなせる技であろう。教師自身が、自らの教える 魔術の本質についてはその生徒たちに負けず劣らず無知なのである。結果として こうした学校はただの職業訓練校と化し、ひたすら丸暗記を強要するだけのつめ こみ教育が横行し、このため学生の魔術習熟度の差はすべて才能、ひいては血筋 に帰せられる。近年これらの魔術学校に見られる、いじめや不登校、ひきこもり、 退学、反マグルの純潔主義などの急増の大きな原因もここにある。

 多くの魔術師たちは、ほんの数世代前の偉大な魔術師たちの経験、ときには自 分自身の経験すらも忘れ果て、マグル界やその科学と魔術が相容れないものであ り、敵対するものであったという誤った先入観に毒されている。しかしながら、 近年東洋の日本において、その先入観を問い直す本が刊行された。それが山本義 隆『磁力と重力の発見』I, II, III(みすず書房)である。

 この本の洞察は驚くべきものである。マグル科学の偉人とされるアイザックニュートンが錬金術など魔術に通じる研究をしていたことは、マグル界では有名 であるが、それは通常はかれの時代的限界として言及されることが多い。しかし ながら現代マグル物理学の成立の根底にある、重力や磁力という概念は、もとも とは魔力と同じ性格のものであった。なぜ磁石が鉄を引きつけるのか? あらゆ るものの間に働くとされる万有引力とは何物か? このような、遠くから媒介物 なしに作用する不思議な力は、マグル科学においては説明不能のいかがわしいも のとして大きな反発を買ってきた。それはむしろ、錬金術や魔術の世界で受け入 れられてきた概念であった。それがマグル物理学の中に取り入れられることで飛 躍的な発展がもたらされたのであった。マグル科学と魔術は、相反するものでは ない。どちらも世の中の働きを理解しようとする同じ努力の一環だったのである。 本書はその思考の流れを、はるかギリシャ時代にさかのぼって丁寧に記述する。 現代の科学観でそれらの記述を見下すことなく、その時代の世界観の中で磁力が どう位置づけられてきたかを描く。そこで描かれる各種の思考は、現代的な意義 はさておき、われら魔術界の先達たちの試みとも相通じる刺激的なものである。  残念なことに魔術界はその努力をあっさり忘れてしまった。そして過去数世紀 にわたる停滞に安住し、あげくに己の衰退をマグルのせいにするという自堕落な 思考を自らに許している。本書で論じられている、古代・中世・近代の論者の中 には、かのパラケルススをはじめわれら魔術界における先達たちの名も散見され る。だが、かれらの最良の精神を受け継いだのは、実はその子孫たる魔術界では なく、マグル界であった。これをわれら魔術界は大いに恥じねばならないのであ る。

 ごく最近になって、魔術界にもようやく新しい研究の萌芽がみられるようになっ た。磁力の理解に倣って魔力線の概念を導入し、魔束密度とその力との関係につ いて定量的な検討を行おうとする気運が高まってきたことは喜ばしい。しかしも しマグル科学が示唆となるのであれば、おそらくこうした試みはまだ幼い水準に とどまっていることが早晩明らかになるであろう。そしていずれ、磁力や重力と 同じく、魔力も場としての理解を行わねばならないであろう(これについては山 本の旧著『重力と力学的世界』を参照のこと)。またポーランドの大魔術師スタ ニスワフ・レムによる、竜を虚数的存在として理解しようという一連の試みは、 近年におけるきわめて重大な成果であり、魔術的存在の様態そのものへの洞察を 開く画期的な成果である。

 残念ながら、こうした成果への正当な評価を、筆者は寡聞にして知らない。見 られるのは相も変わらぬ血統崇拝(近年のポッター氏をめぐる騒動などはその最 たるものである)とそれに伴うゴシップばかり。このままでは魔術界に将来はな いであろう。

 思えばこの私もかつて秘密裏にマグル科学を学び、「なぜ」と問うたがために 魔術界では異端視された存在ではあった。魔術界はその問いに直面しようとしな いまま私を排斥し続けており、一方で私を崇拝するものですら、わけもわからず 反マグル主義などに走る有様。こうした状況にあって、魔術がかつてマグル科学 と共有していたものを取り戻さねばならない。磁力、重力に続き、魔力もまた発 見しなおされなければならないのだ。魔術界よ、この山本義隆の労作三巻セット を熟読するがよい! そして初心に返り、魔術の持つ力と世界へのまなざしを再 び我がものとしようではないか!

ヴォルデモート識

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