Valid XHTML 1.1! Sock Monkeys 連載第?回

山の老人の絶望と孤独。

(『CUT』2003 年 6 月)

山形浩生



 実はつい先日、ウィリアム・バロウズの研究書『たかがバロウズ本。』をやっ と出しのだけれど、その中で十分に調べきれなかったのが、ウィリアム・バロウ ズのアイドルの一人であるハッサン・イ・サッバー、またはハッサン・サッバー フのことだった。知っている人もいるだろうけれど、この人はかつて暗殺教団と いうのを作り、要人暗殺によりイスラム世界を恐怖の底にたたき込んだ人物とし て知られる。かれは、暗殺者候補を大麻や覚醒剤によってたぶらかし、また食い 放題飲み放題ヤリ放題の地上の楽園を実際に作って味わせ、その後「おまえがこ の使命に成功したらまたあそこに戻れるぞ」と言い聞かせて、暗殺をさせたとか。 そのときに使ったハッシシが訛って、暗殺者を意味するアサシンということばが 生まれたのだ、という。かれの暗殺者たちは、逃げなかった。むしろ、その場に とどまって、衆目の集まる中で積極的に殺された。組織的自爆テロの走りだ。

 かれがなぜバロウズのアイドルかというと、かれがカットアップの祖だったか らだ。カットアップは、本のページを適当に切って切りつなぎ、新しい文章を作 る手法だ。ハッサン・イ・サッバーは、ある国の要人だったのだが、政敵の陰謀 で、王の前で発表すべき文章を切り刻まれてしまい、それをそのまま読んだとこ ろでたらめな文章になってしまった。それでかれは失脚し、その恨みを晴らすべ き暗殺教団を作ったのだ、というのがぼくの知っている話だった。

 さて、本書『サマルカンド年代記:「ルバイヤート」秘本を求めて』を手にとっ たとき、ぼくはこれがあのハッサン・イ・サッバーと何か関係があろうとはまっ たく思っていなかったのだった。なぜこれをわざわざ手に取ったのかは、まるで 覚えていない。なんか目先の変わったものを買うべか、と思ったような記憶が漠 然とある。

 ルバイヤートといえば、オマル・ハイヤームの名詩集として知られる。読んだ ことはないけれど。学者としても、数学者、天文学者としても名高かったハイヤー ムの四行詩集だ。本書の前半は、すでに稀代の碩学として若くして名声をとどろ かせていたハイヤームと、その直筆のルバイヤート手稿の運命を描くものとなる。 あるときかれと同宿して、相互の天才ぶりに意気投合したのが、後のハッサン・ イ・サッバーだった。そして、このハッサンがイスファハーンの名宰相ニザーム ・ル・ムルクの秘密警察長官に任命されるのは、まさにオマル・ハイヤームの紹 介によるものであり、そして後にかれが失脚したときにその助命を嘆願し、結果 として暗殺教団の成立の糸口を作るのも、オマル・ハイヤームなのだった。

 オマル・ハイヤームがこの四行詩集の手稿を書き始めたのは、このハッサンと の出会いと前後してのことだった。そしてその後数十年。かれは国立の天文台所 長として、政治的な力をある程度発揮しつつ(当時の天文台は、占星術のための ものだった。オマル・ハイヤームは占星術師として政府高官などにアドバイスす る立場にあった)暮らすが、やがてハッサンの暗躍する政変が生じ、かつての関 係を糾弾されたオマル・ハイヤームは街を追われ、そしてハッサンがオマルをア ラムートに呼び寄せようとして手稿を奪った後、かれは故郷に戻り、死ぬ。やが てアラムートの蒙古侵略の中で、オマル・ハイヤームの手稿は失われ……そして 舞台は後半の、19世紀末から20世紀初頭、激動のペルシャに移る。

 小説としてはすごくおもしろいんだが、前半と後半のつながりが薄いのが欠点。 後半になっての話は、両親が知り合うきっかけとなったオマル・ハイヤームにち なんで、ミドルネームにオマルを持つことになったアメリカ人の主人公が、その 手稿本を追ううちに、ペルシャの民主化運動とそれに反対する反動勢力との戦い にまきこまれる話。ここの部分に、かつてのイラン、いまのイラクなんかをめぐ る騒動を重ねて見るのは面白いだろう。そして諸外国の思惑をはらんだ戦いに翻 弄される主人公は、ある意味でかつてのオマル・ハイヤームと似てはいるんだけ れど……でも必ずしもその両者はうまく結びついていない。また、中心となるべ き手稿本があまり活躍しないのも残念ではある。手稿本は、最初にエサとして噂 に出てきて以後は、ずっと主人公の恋人の王女様が手元においているだけ。民主 化勢力は破れ、主人公は最後に、恋人でもある王女とともに手稿本をたずさえて タイタニック号にのるんだけれど、それもあざとい仕掛けだという気がしてなら ない(ただし著者の名誉のために書いておくと、本書が書かれたのはあの映画の ずっと前ではある)。

 ただ、メインの話よりぼくが惹かれたのは、第一部の最後のアラムートの歴史 なのだった。唯一の友人にして理解者だったオマル・ハイヤームを呼び寄せるの に失敗したハッサンは、その後三〇年にわたりアラムートはおろかその中の家を も一歩も出ることなく、極度の秘密主義と禁欲主義に基づく恐怖政治を敷く。そ の極端な禁欲主義の時代から、かれの死後に残されたオマルの手稿を読みふけっ たその後継者は、こんどはお救い様を名乗り、酒も認められるし祈りは必要ない どころかかえって不信心の徴とされるような極端な享楽主義の時代を創り出す。

 それは単に、ぼくがバロウズ経由でこの人に普通以上の興味を持っていたから かもしれないんだけれど、ぼくはなんだかここの、ほんの10ページほどの部分の ほうが興味深く思えるのだった。ただ一人の理解者から永遠に見放されて、深く 要塞にこもる天才。主人公よりも、サブ主人公のオマルハイヤームより、このハッ サン・イ・サッバーの絶望のほうが深く思えるのだった。この本を読んで、ぼく は初めてバロウズなんかがこの人に惹かれた理由がわかるような気がするのだ。 表だった政治ゲームよりも、ハッサンを中心とした動きこそが実は本書の本当の 深みをもたらしているような気がするのだ。

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