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ハーンのクレオール料理読本

連載第?回

小泉八雲が時間と空間を超えて届ける味わいの一冊。

(『CUT』2002 年 7 月, p.131)

山形浩生

要約: かの小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが、日本にくる直前に駐在していたニューオリンズで書いた、クレオール料理/ケイジャン料理のレシピ集。もうちょっと解説が詳しければよかったんだけれど、それはないものねだり。日本での印象とはまったくちがう、饒舌で熱いハーンのすがたが垣間見えるし、料理自体もかなりおいしそうで腹が減る。また当時の雰囲気やハーンのおしゃべるもとても楽しい。



 最近、知り合いにウニの塩漬けをもらったのがきっかけで、自炊を始めたのだ。やはりウニの塩漬けなら炊きたてのご飯だし、ご飯とウニの塩漬けだけなのも寂しいし、というわけでいろいろ買い込むうちに、自炊スパイラルに入ってしまったのである。おかげで最近は冷蔵庫に生活が規定されてる状況で「あのほうれん草を今日食わないと」と思って宴会を断ったり。あと、スーパーの閉店間際の半額セールがいかに魅惑的なものかもわかってきた。40円ほどのもやしが半値になったところで、大騒ぎすることはないんだけれど、でも半値シールが貼ってあると、買わないと損な気分になるのは不思議なもの。

 そんなこともあって、料理の本なんかあれこれ買ったりしている中で見つけたのがこの変わり種。『ラフカディオ・ハーンのクレオール料理読本』だ。

 ラフカディオ・ハーン? どこかで聞いたことがあるはずだ。小泉八雲と言えばわかるかな? 「耳なし芳一」などの入った『怪談』を編纂英訳した、明治の日本にやってきて、はまって帰化してしまった、あのラフカディオ・ハーンだ。ぼくもこの本を読むまで知らなかったことだけれど、ラフカディオ・ハーンはギリシャ生まれで、イギリス、アメリカを転々とし、一家の破産や両親の離婚であまり幸せとは言えない状況に育ち、しかも弱視で、強い劣等感に苛まれていた。そしてその彼が、ジャーナリストとして一時暮らしていたのが、ニューオリンズ。日本にくる直前の話だ。そこで彼が書いたのが、この『クレオール料理読本』だったんだって。

 クレオイール料理といってぴんとこない人は、ケイジャン料理と言えばわかるかもしれないな。フランスと、黒人奴隷経由のアフリカ料理と、スペイン系の料理が入り交じった、洗練されたというよりは泥臭い料理だ。ナマズとかザリガニ、オクラや豆や米、濃いめのスパイスを多用した料理だ。

 そして本書の書き方も、単純に作り方が書いてあるだけじゃない。その効用とか、一口アドバイスとかがいたるところにちりばめられているのも楽しいし、客観的な記録というよりは、かなり主観的になっていて、その料理の意味にまで触れられていて、読んでいると確実に腹が減ってくるようになっている。ハーン自身も、おそらく自分でここの料理の相当部分を食べているはずだ(さすがに作りはしなかったんじゃないかなあ)。あとハーンというと、『怪談』とか日本論なんかの物静かな感じを連想するんだけれど、ここのハーンは、若いってこともあるし、ニューオリンズの気候もあるんだろうけれど、ユーモアたっぷりで結構熱い。それが結構意外で楽しい。ハーンが日本料理でこんな本を書いたらどういうことになっただろうか? こんなふうに、いろいろ楽しい想像を広げさせてくれるよい本だ。

 監修者の解説は、文芸書の解説としてはまあまあではあるんだけれど、でもその域を超えていないのは残念。あと「発行当時は別として、この料理本はその後、あまり読まれてこなかった」というのはあまり本当ではない。それなりに読まれて1990年には再刊されているし、またそんなに入手困難な本でもない。原著でもせいぜい300ドルくらいかな。「ハーンの研究者でさえ、原書を手に取って読む機会にはめったに恵まれないほどの珍しい本」というのは誇張にしてもひどいんじゃないか。

 また訳者解説は、ニューオリンズの19世紀の状況がわかっていない。どれもかなり大量に作ることになっているのね。ザリガニを50匹とか、シギを14羽とか。それを見て「ああなんという食欲、なんというダイナミズム」という見当違いの感激を訳者はしているんだけれど、あのさ、当時は大家族だったのだ。5人10人くらいは平気でいたはず。ザリガニ50匹くらい、軽いもんだ。そして、本書の記述が「不親切きわまりない」と言うんだけれど、この本の想定読者は新米主婦とはいえ、当時の新米主婦ならいまの連中みたいに、何一つ知らないなんてことはない。それに本の構成さえ理解していれば、そんなにわかりにくいこともないだろう。この本は、スープ、前菜、主菜、デザート、という具合に、出す順に各種料理が集められている。ここに書かれてるのは、単品の料理を集めたものじゃなくて、むしろ一貫したコースとしての料理なのね。

 ぼくは料理の専門家に本書の解説を書いてほしかった。いま出てきた本書の構成にも係わる話なんだけれど、当時の料理は、サラダは最後のデザートの前に出てきたらしい。これって、当時はどこでもそうだったの? いまではサラダは前菜の一種でスープかサラダか、という選択になっているけれど、こうなったのはいつからなの? 111ページを見ると、「マカロニは一時間水につけて、それからさらに一時間ゆでる」となっているんだけれど、これってゆですぎというか、ほとんど溶けちゃわない? 当時のマカロニって何かちがったの? あるいは、当時の社会習俗みたいな話。たとえば195ページに「子供に干しぶどうを与えるのに反対な向きは……」というくだりがある。これ何? 当時、子供に干しぶどうを与えてはいけないという何かがあったんだろうか?

 そういう不満は、まあある。が、それは本そのものというよりは、むしろその周辺の処理についてだ(ちなみに、これは抄訳なんだそうだが、全体のどのくらいの抄訳なのか、書いておいてほしかったな)。逆にいえば、そういうちょっとした時代的な齟齬をきちんと伝えてくれるのは、この本の記録としての優秀さを示すものでもある。一方で、ハーンの書いたクレオール関連の記事の抜粋や各種のイラスト、ことわざ集なんかがあちこちにちりばめられているのは吉。これは本書の雰囲気を作るのに、大いに貢献している。見ているだけで、ある時代、ある地方の雰囲気と味わいが伝わってくるすてきな保安だ。もちろぼくがこの本の中の料理を作って見ることはないだろうけれど……いやまて。そういやオクラが100円でこないだ売ってたし、それを使えばこのスープくらいは……

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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