Valid XHTML 1.1! a handbook of hanging 連載第?回

アートとしての絞首刑――その理論、実践、および独立採算性の時代における経 営理念について。

(『CUT』2001 年 12 月)

山形浩生



 死刑執行――それはアートである、と本書 Duff 『絞首刑ハンドブック (A Handbook on Hanging)』 は主張する。「望ましからぬ人物を殺害したいと望ん だ場合に、かかる人物を強制収容所において静かに死に至らしめるのがよいか、死ぬまで殴打を繰り返すのがよろしいか、断崖絶壁から投げ落とすのが適切か、焼き殺すか、溺らしむるか、絞殺させるのがよろしいかは、これまでも人それぞれの意見があり、いまなおそうである:あるいは生き埋めにして墓の沈黙の中で静かに消滅していただくのが望ましいか、死の部屋にて苦悶のうちに窒息せしめるのがいいか、圧殺するのがよろしいか、はたまた首をちょん切るのが望ましいであろうか。あるいは電流によってかかる人物のあちこちをグリルに仕立てることで昏睡状態を引き起こし、しかる後に検屍の名において医者たちに最後の始末を任せるのがよろしいのか(中略)はたまたわれらがイギリス人のように、絞首台で締め落として首の骨をばへし折るのが望ましいのであろうか」という一文から始まるこの本は、古代シナの死刑の技法や各種の拷問方法を比較したあげくに、イギリス式の(そして日本でも採用している)絞首刑こそが最も審美的な死刑の方法であると結論する。素人くさい首吊り自殺とはわけがちがう。ちゃんと落とし戸をつけて、しかるべき距離を落下させて首の骨を折る――ここにこそ、イギリス式死刑の極意と美学が存在する、と著者(もちろんイギリス人)は胸を張って唱える。

 ちなみに鶴見済は、窒息型の素人くさい首吊りもすぐに死ねると言うが、あれは事実であろうか? ナチスは政治犯を絞首刑に処する際、針金で政治犯たちをゆっくり吊し、かれらが苦悶するのを見物して楽しんだという。が、閑話休題。

 もちろんアートたるもの、日々のたゆまぬ技の鍛錬と学習、メンテナンス、創意工夫と精進なくしては成り立たない。絞首刑においてその任を一手に引き受けるのは、死刑執行人である(被執行人のほうは残念ながらあまり鍛錬を積む機会がない)。死刑執行人たるもの、教養豊かであり、人間性にあふれ、魅力的な人格を持ち、肉体的にも頑強さを備え、器具のメンテナンスにも精通し、さらには物理法則や縄の材料、解剖学、法学まであらゆる分野に精通した生え抜きでなくてはなるまい。人の死に立ち会い、被執行人を観念させるだけの迫力と無言の説得力を持ち、さらには首が折れるよう(だがちぎれぬよう)縄の長さを調整し(ちなみに本書には、体重と落下距離から首を折るのに必要十分な追加重量が計算できる簡便な表までついている。首吊りの際に是非活用されんことを!)、法 手続の正当性を確認する――さらに首が折れなかったときには自ら被執行人の肩に飛び降りて首尾よくへし折る、といった当意即妙の技までが必要とされるこの任に、それ以下の人物をばあてがうことなど正当化され得るものであろうか?

 にもかかわらず、死刑執行人は社会的な偏見にさらされ、給料も安く、さらには最近の政府予算削減のため、縄の品質低下や落とし戸のメンテナンス不足などが多発する状況となっている。また、一部の心ない人権派と称する文化の理解に不自由で過度に感情的な輩の暗躍により、最近は死刑そのものがめっきり減って、このアートも、実現機会は減る一方。これでは腕も落とし戸もさびつこうというもの。さらに、かつては公開の場で多くの市民に感銘を与えてきたこの技芸は最近とみに密室化し、我が日本国でも100年以上前に、デートスポットとして名高いお台場からどこか北国にその現場が移されて、多くのカップルたちの逢い引きの口実を奪ってしまっていることは周知のごとくである。これを国家的損害といわずしてなんと言おうか。

 そもそも絞首刑は、ことば本来の意味でアートである、と著者は声高に唱える。なんとなれば、それは何の役にもたっていないからだ。死刑によって殺人が減るかといえば、そんなことはない。ほとんどの殺人はカッとなった結果で、激情は罰則でコントロールできないからだ。統計的に見ても、死刑廃止をした国で殺人が増えたという事実はないのだ、と著者はデータを豊富に提示する。さらに見せしめといいつつ、ちっとも見せていないではないか。したがって死刑は何の役にもたたぬ純粋芸術以外のなにものでもない! したがって死刑は文化政策の一環である!

 かかる事態に対して、著者はきわめて啓発的なる提案を行う。公開死刑を復活させよう。そうすれば、見せしめ効果は明らかに高まる。アメリカ人どもは、死刑を被害者の遺族たちに見物させて、かれらが溜飲を下げられるよう手配しているが、もし社会として人を死刑に処するのであれば、社会全体がその結果を目撃し、確認することこそ政府のアカウンタビリティであろう。同時に、それは人々 が芸術鑑賞として死刑見物を行う文化行事ともなり、死刑執行人の腕の見せ場となって、かれらは一転、映画俳優真っ青の人気者として本誌CUTの表紙や巻頭インタビューにも毎号登場することだろう。「死刑執行人の歌:生と死を見つめて」てなもんである。さらにはもちろん、死刑入場料を取ろうではないか。サッチャー政権が推進した民営化と独立採算路線を死刑執行にも導入しよう。加えてテレビ放映権や映画化権、キャラクターグッズ――可能性は果てしない。死刑は国家の一大収益源となるであろう! 死刑はかくして国家に真の便益をもたらすのである!

 おおお。これだけの見事な立論と提案を、200ページにも見たぬ小冊子に簡潔にまとめきった著者の知力と筆力には感服せざるを得ない。初版刊行1928年の本書ではあるが、死刑の現状を憂う人すべてにとって、いまなお必読の名著と言えよう。この名著が今年に入って復刊されたことは、まことに喜ばしいことである。死刑囚および死刑執行人必携の一冊*注

*注: ここまで読んで、この本がイギリス流のブラックユーモアの形をとった死刑反対の書であることに気がつかなかったキミ、ちったぁ反省しなさいよ。なお、山形は別に死刑反対の立場をとるものではない。

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