Valid XHTML 1.1! オカルト、魔術、文化流行 連載第?回

かわいそうな星占いと現代人。

(『CUT』2001 年 1 月)

山形浩生



 長屋にこんどは星占いのコーナーが越してらしたのかい。じゃあいい機会だから、星占いのことを話しておこうか。ぼくはもちろん星占いなんか信じていない。でも、星占いに人が惹かれる、というのはおもしろいなと思う。でもそれは同時に悲しい。

 なぜ人は星占いに興味を持つのか? 「だってあたるから」? まさか。だれにでもあてはまるようなことを漠然と描いていれば、どれかはあたる。それだけの話だ。備えられる? どう備えるの? グランドクロスがノストラダムスが恐怖の大王とかすっていたのが意味ありげ? それがどうしたの? 「かすった」ってなんだい? それにそもそも恐怖の大王の日に、何か起きたっけ?

 なにもないでしょう。

 でも、人が星占いを信じるのは、そもそもそんな実利的なメリットのおかげではない。あたるから信じる、役にたつから信じる――そもそも星占いってのはそんなものじゃない。そういうアプローチは、星占いそのものを矮小化してしまう。星占いは、一種の宗教だ。そこには人の不合理な信仰すべてに共通する、祈りがある。

 ミルチャ・エリアーデは、その祈りを理解している。かれはルーマニア出身の大宗教学者だ。でも、ただの合理主義的で無味乾燥な宗教分析をしているだけじゃない。インドにいってヨガの修行をして、各種神秘主義にも精通。かれの本を読んでいると、なぜ人が信じるのか、なぜ人が神さまにすがるのか、という気持ちまで書き込まれている。そのかれが、オカルトブームやエセ科学ブーム、星占いの流行なんかについて書いたのが『オカルティズム・魔術・文化流行』(未来社)だ。

 かれは語る。昔々、星を信仰するのは人にとってごく自然なことだった。太陽や月や星は、世界を動かし、人に影響を与える。人は日の出とともに目覚め、日没とともに眠る。月の満ち欠けにつれて海は動き、女の肉体もうねり、星とともに耕作を行い、神々は星から降臨し、また天に帰る。そして星は、はるかかなたの地平線でこの世の地球とまじわり、流星となって地に降り注ぐ。そうやって人と星々は、深く関係を持っていた。人は星を祖先に持ち、星に守られて生きていた。星はぼくたちを見守ってぐるぐるとまわり、見上げる人々と視線をかわしていた。

 いまはちがう。

 それを破壊したのは、たとえばキリスト教。そこではもう星は特別なものじゃなくて、神さまがこしらえた、ただの光るものだ。キリスト教の兄弟であるイスラームは、神とまちがえて星や月や自然を拝んではならない、ときびしく戒めている。そしてもちろん、現代科学もそこにますます拍車をかける。星はただのでっかい水爆だ。ぼくたちのほうを見てもいないし、ぼくたちのまわりをまわってもいない。地球のほうが一人芝居でぐるぐる回っているだけで、星はそれに何のおかまいもなし。星から生まれたはずの祖先も、実は毛深いエテ公。ぼくたちと星を結ぶものは何一つない。

 それは、すばらしいことだと人々は言う。星がでっかい水爆だからって、夜空を見上げる神秘が減るだろうか、と科学者はいう。そしてぼくも、それに賛成ではある。あるんだけれど……でもそうじゃない部分があるのも知っている。星が、自分だけに意味のある形で自分をみおろしてくれているというのと、だれが見ても水爆だというのとでは、意味がちがうんだ。すごいことだけれど、そしてそれを解明した人々の意志や知力もすばらしいことだけれど、でもあの光がぼくを守ってくれていた時代とは、なにかが決定的に変わってしまったんだ。

 さらには現代社会。そして現代都市。人はますます孤立してしまう。自立しなきゃいけない、自己決定。すべては自分の意志。それもすばらしいことなんだけれど……そして人はそれを数千年かけて追い求めてきたんだけれど、でも一方で人はそれをばくぜんと不安に思っている。自分が、まったく何とも関係なく、何の束縛もなく生きている――すべては自分次第――それは重荷だ。失敗したら、それはすべて自分のせいだからだ。そして一方では、自分でどうにもならないことってのも決定的にあるからだ。自己決定しようのないところまで自己責任の自己決定を要求される――レムは「人はみんな、自由から解放されたいと思っている」と言うけれど、それはそういうことだ。人は束縛されたいと思っている。現にある束縛に、説明がほしいと思っている。そして昔失った、あの天との結びつきを取り戻したいと思っている。そうすることで、自分の居場所と、存在の意味とを復活させたいと思っている。

 そのあらわれが星占いの流行だ、とエリアーデは言う。星々と自分が結びついている、と人はだれかに言ってほしいのだ。それがあたるかどうかは問題ではない。星と自分の隠された関係をもう一度回復してもらえれば、人は満足する。星を通じて、孤独だった自分が他人と何かしら関係を持っているのだと言ってもらえれば、人はうれしい。自己決定できない(したくない)外部環境も、星のせいならあきらめもつく。そうやって星の力を借りて、自己決定の鎖、自由という鎖からのがれられれば、それでいいんだ、と。星占いっていうのは、実はそういう現代人の孤独、世界の意味から切り離された空疎さの裏返しで、現代人の絶望的な叫びなんだ、と。

 あなただって、それを感じているはずだ。星占いは、女のほうが好きだ。でもそれは女のほうが頭が悪くて迷信深いから、ではない。いまの社会で、女のほうがそういう負担を多くかかえているからだ。血液型占いがなぜ日本ではやるか。日本は血縁社会だからだ。血筋で人を判断してはいけません、といまの平等主義は言う。でも、人は血縁にすがりたいんだ。あの不平等な世界を、日本人はなつかしく思っているのだ。血に意味があり、血が人を左右する――日本人は、そう信じたくてたまらないんだ。

 星占いをバカにするのは簡単だ。でも、バカにされても星占いが衰えることはない。星占いがなくなっても、人はまた必死で、星々との結びつきを再生させようとするだろう。それは、空飛ぶ円盤や、科学のふりをした無意味な宇宙人探しSETIなんかにも通じる心の働きだし、一方でそれは、オウム真理教や人格改造セミナーにも通じる精神の作用でもある。星占いの背後には、実は現代人の深い孤独と黒々とした闇のような苦悩が口を開いているんだ。そしてその孤独と絶望の表現すら、かつての宗教儀式が持っていたような深みや豊かさを持つこともできずに、お手軽な消費の対象となってしまっているという絶望――世界のあらゆる宗教を調べつくしたエリアーデには、その絶望までがはっきりと見えていたんだ。

 ぼくは結構、星占い本なんかを見るんだ。でもこの絶望を知って星占い屋さんには、お目にかかったことがない。みんな頭が悪くて狡猾で、軽薄なだけだ。一人残らず。だれも自分のやっていることの真の意義を知らない。

 かわいそうに。

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