Valid XHTML 1.1! Taboo 連載第?回

人種とスポーツと差別について。

(『CUT』2000 年 12 月)

山形浩生



 こないだオリンピックとかいう行事があったそうで、ぼくは見ていないけど、でもおそらく陸上系の競技の多く(いやそれ以外も)は、黒人選手が上位を独占したはずだ。

 これはオリンピックに限らない。最近日本で人気が出てきた、アメリカのバスケットボール。黒人だらけ。野球もそうだ。フットボールもそうだ。アメリカは、いろんな人種の人がたくさん混じっている。その中で、どうして黒人だけが、スポーツの世界では有力なんだろうか。これが成績や進学率なら、「白人のほうが金持ちが多いから経済的にも進学する余裕がある」という議論もなりたつ。でもいまのスポーツは金もかかるし、競争は熾烈だ。敢えて黒人だけを選びだす社会的なメカニズムというのは考えにくい。

 黒人のほうが、先天的にスポーツに優れた遺伝子を持っているのではないか。これは、だれもが当然考えることだ。

 だけれど、これは特にアメリカでは、これまでふれてはいけない話題だった。そのタブーに挑んだのがJon Entine Taboo: Why Black Athletes Dominate Sports and Why We Are Afraid to Talk About It (Public Affairs) だ。

 なぜ黒人はスポーツに優れていると指摘するのがいけないのか? それは「黒人が肉体的に優れているのは獣に近い証拠で、だからやつらは頭が悪いのである」という人種差別レトリックが普及していたからだ。さらに、いまの反差別運動の核心部分には、巨大なドグマがある。あらゆる人間はうまれつき平等で、何の差もなく、その後の条件付けによってどんなふうにでも育てられるはずだ、というドグマだ。うまれながらにしての差というのがあると、このドグマは大きく揺らいでしまうのだ。

 これは人種だけじゃない。性差の話でも顔を出す。日本の物書きの中で、フェミニズムとカルチュラル・スタディーズの最良の部分を取り入れてすばらしい成果をあげている斉藤美奈子(ちなみにこの両分野とも、ほかのほとんどの連中はだめなところばっかり取り入れてクズみたいなことをして悦に入っている。トホホホ)も、話が男女の生物学的な差になったとたんに、急に硬直する。そんなことになんだってみんな興味を持つんだ、と彼女は、本の雑誌かどこかにうんざりしたように書いていたっけ。社会における男女差は、すべて後天的な環境要因なのは明白、といわんばかり。

 でもそれは変だ。人には先天的な差がある。男女の生物学的な差がないはずがない。そして、人種に由来する特性は絶対に存在する。それは競技場を見れば証拠はそろっているのだ。この本はそこから出発する。

 これまでも、人種とスポーツでの優秀性の問題に興味をもった人はいたし、研究をした人もいた。そしてその多くはボコボコのバッシングに遭っている。だからこの本は、そうならないように念には念を入れて議論を進める。まずは、人種とか「黒人」「白人」「黄色人」といった区切りそのものの検討から。黒人、白人と一言でいうけれど、それをきちんと定義することはできるのか? たとえばみんな、タイガー・ウッズは文句なしの黒人だと思っているけれど、実際には、父親が1/2アフリカ系アメリカ人、1/4アメリカインディアンで1/4シナ人、母親は1/2タイ人で1/4シナ人、1/4白人なんだって。するとなんだ、むしろ血の混じり具合からいえば、アジア系というべきなのか。それに人種ごとの遺伝子の差はほとんどなくて、人間の遺伝子は99.9%は同じだ。

 あるいはここで抜群の名著『銃、病原菌、鉄』(邦訳は草思社)を紹介したジャレド・ダイアモンドは、これまたとってもおもしろい『人間はどこまでチンパンジーか』(新曜社)の中で、人種という考え方に対して「遺伝子レベルで見たら、ある部分では白人は日本にいるアイヌ人と近いし、ある部分ではカリブの住民たちに近いし、いろんな要因がありすぎて、人種というくくりはあまり意味がないよ」と言う。

 本書では、こういう議論についても反論を出している。遺伝子がほとんど同じだから、というのは、別に人種を否定する議論にはならない。それを言ったら、人間とチンパンジーだってほとんど同じだ。白人、黒人、アジア系といったくくりは、細かいところはさておき、非常に大きな遺伝的な分類ときちんと対応ができている。人々は混交を繰り返しているから、人種にはっきりした境界線をひくことは確かにできない。でも、おおざっぱなくくりとしては十分に考えることができる。

 その後本書は、優生学の歴史をたんねんにたどり、生物学的な差や先天的な差という議論がどのようにこれまで優生学に利用されてきたかを克明に描き出す。どういった論調には気をつけなきゃいけないか、そもそも科学的には何が言えて何が言えていないのか。これを著者は、ダーウィンまでさかのぼって説明する。一方では、反差別論者の極論についても、本書はためらわずに指摘してゆく。ここらへんのバランス感覚が、この本のすばらしいところ。

 そして本書は、スポーツ選手に関する研究をいろいろ説明する。これはむちゃくちゃにおもしろい。たとえば短距離走の有力な選手はすべて、その起源を東アフリカにたどることができる。長距離は西アフリカだ。しかも、短距離を見ると、ケニアの、その中でもほんの一部の地方出身者が圧倒的な優位を占めているのが実にはっきりわかる。

 ふむふむ。で、確かにアフリカ系の人々が、遺伝的にスポーツに向いた肉体を持っていることは事実なのだ、ということはわかった。さらに特にアメリカでは、人種差別への配慮や平等への過度の配慮のために、そうしたことに関心を持つことさえ弾圧されてしまったという不幸な経緯もわかった。さらにスポーツの、特にトップクラスの世界というのは、通常はまったく問題にならないようなほんのコンマゼロ何秒かの反応の差が勝敗をわける分野だ。遺伝的な優位性は、そのコンマゼロ何秒程度の優位性でしかない。ふむふむ。さらに日本においては、人種差別についての考え方の変遷をめぐる好著としても、とっても役にたつはずだ。皮相的な焚書運動みたいなのをきちんと考える資料としても。

 でも。たとえば、本書では、結論保留のまま放置されている、知能の問題。もし運動能力にそういう差があるならば、知力には? 知力は、そんなコンマ一秒の差が問題になる世界ではない……かな? どうなんだろう。そして性差はどうだろう? それはどんな影響を持っているだろうか。著者は「人はいろんな形で、いろんな面で優れている。その多様性こそが人をおもしろくしているし、さらにこれだけ多様でありながら、人は共通性のほうがずっとずっと大きいのだ。これこそがこのTabooの唯一のメッセージである」と書く。うん、それはそれで教科書的な結論なんだが……でもぼくの本書の読後感は、奇妙に入り交じったものだった。あなたはどうだろうか。

CUT 2000 インデックス YAMAGATA Hirooトップに戻る


Valid XHTML 1.1! YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>