――めずらしくふつうの書評、おまけにギブスンの新作
(『CUT』2000 年 03 月)
山形浩生
去年だったか、『痛快! 経済学』というぬるい本が出て、しかもそれがえらく売れたりしたので、見識ある人は「チッチッチッ」と言って顔をしかめていたのだった。だって、だめなんだもん。まともに理論の勉強ができるのは最初のほうだけで、あとの方はただの雑文集じゃないのさ。「わかりやすい」なんて、わかるべき内容が薄いんだからあたりまえだし、そもそもあれを読んだ人ってなにを「わかった」の?「あんなものをふつうの人が読んでも何の役にもたたない」と宮崎哲弥がSPA!で書いていた(ついでに中谷巌が昔は護送船団方式推進者だったことも。勉強になりました)けど、その通りだと思う。でも一方で、じゃあなにを読めば、というのもなかなか説明がむずかしい。ミクロは比較的見方が定まっていて、どれを読んでもそんな極端な差はない感じだし。たとえ話や実例をたくさん使うか、あるいはゴリゴリ純粋理論で攻めるかの差くらいで、なんでもいいから腰をすえて手を動かして、グラフなんかを描きながら勉強しろ!というくらいのアドバイスがせいぜいだった。
だから同僚の柏木が、『経済セミナー』連載時から絶賛していたこの梶井&松井「ミクロ経済学:戦略的アプローチ」(日本評論社)にだって、そう大した期待をしていたわけではない。冒頭部で、町のパン屋さんの小話が始まって、ああまたか、という感じだった。
が、その後がまったくちがった。
どんなミクロ経済学の教科書でも真っ先に出てくる需要関数と供給関数のグラフが、こいつだとしばらく先まで出てこない。こいつは、全編ミクロ経済学をゲーム理論的なアプローチでまとめなおした経済学の入門書という、少なくともこれまで日本ではお目にかかったことのない代物なのだもの。
だいたい人が何かをやるときには相手がいて、こっちはその相手が何を考えているか、この先どう出るかを計算しながらこっちの動きを塩梅する。で、向こうはこっちの考えやら行動やらを計算しつつ、自分の動きを決める。ゲーム理論というのは、まあそういうお互いのさぐり合いから出てくる行動をモデルにしたものだと思ってほしい。
世の中の経済的な取引というのは、実はすべてそういうものではある。でも、経済学だとまあそれをひとまとめにして、「市場」というものがあって、そこでなにやら見えざる手が働いて需給バランスがとれて価格が決まる、とかいうことになっている。そして逆にそれに影響されすぎて、たとえばMBAなんかの連中は時々、市場を参照しないで自分で値段をつけるってことができなくなってることさえある。
でもそれをベースにして成立しているこれまでのミクロ経済学はもうすでにかなり確立した体系になっていて、今さらそれを新しい形で説明しなおすなんて、できんのかな、という感じだった。でも、結構なところまでカバーしているんだよ、これが。寡占の理屈からはじめて、ポートフォリオ理論やオプションまでかじってるし、進化論的ゲーム理論(これは取引ってのが一回だけじゃなくて、先々も続くものだと考えたときにどういうことを人が考えるか、という理屈。二度と会わない相手なら、だましてもいいやと思うけど、これからもつきあいがありそうな相手なら、あとあと仕返しがくるかもしれないからあまりあこぎな真似はできないでしょう)まで入ってて、かなりのところまできている。すごいね。
ただしえーと、ぼくは経済学は我流で勉強したので(「わが拳は我流! 我流に型はないわぁっ!」というのが昔あったなぁ)、通常の経済学の講義でどこまでやるのかはよく知らないんだけれど、ふつうはミクロ経済学でやるような中身が一部は見あたらないのは事実。限界費用と平均費用が云々という話とか、価格の下方硬直性とか、エッジワース・ボックスとか。でもまぁ、そういうのは後からやればいいか。
あとこの教科書では、頭に町のパン屋さん一家を主人公にした小話がついていて、それをとっかかりに理屈に入っていくようになっている。ふつうだとこういう小話って浮くんだけれど、本書はゲーム理論的なアプローチのおかげでそれが十分役にたってる。ゲーム理論的では具体的な交渉場面が思い描けたほうがわかりやすいんだけれど、それを小話が受け持ってるんだ。この小話部分だけざっと読み物的に読んでも、まあどんな話をしようとしているかは見当がつくし、おおざっぱな理解には役にたつだろう。さらにこのアプローチで、理論の現実への適用(たとえば談合とかね)もやりやすくなっているのには感心。
知っている人は、いろんな概念をまったくちがうアプローチで説明してくれているのがとてもおもしろいだろう。知らない人は、ゲーム理論とミクロ経済学が一挙に勉強できるからお買い得。流し読みも十分できるし、本文もそんなにむずかしい算数は使わずにいちばんのエッセンスだけを教えてくれる。もうちょっと理論的なつめが欲しければ、補論まで読めばいい。まあ唯一気になる点としては、これで入った人はそれを普通のミクロ経済学の内容とすりあわせるのに、ちょっと苦労するかもしれない。でもまあ、そのくらいの手間は惜しみなさんな。買いでしょう。
それにしても、近々これを教科書にして勉強してきた連中がやってくるのか。このくらい(小話の部分だけでも)わかっている連中がきてくれると、仕事も楽になるだろうけれど、その一方でぼくもそろそろ、まじめにゲーム理論を付け焼き刃しておかないと……
さてまったく関係ないが、ウィリアム「ニューロマンサー」ギブスンの新作(といってもしばらく前に出ているんだけど)「All Tomorrow's Parties」について一言。これは前二作「ヴァーチャル・ライト」と「あいどる」の続編にあたる。「ヴァーチャル・ライト」も「あいどる」も、いまにして思うと、読んだけれどあまりよく覚えていない。覚えているのは、巨大スクワッターと化した橋と何人かの登場人物だけ。そして特に「あいどる」は、ラストでいったい何がどうなったのかさっぱりわからなかったことくらいだ(ある雑誌で「あいどる」書評を依頼されたんだけれど、「あらすじがわからない、最後のバーチャルあいどると人間がどうやって結婚できるんだ」という理由でボツにされたっけ)。そしてこの「All Tomorrow*s Parties」は、その前二作の登場人物たち総出の小説なんだけれど……
やっぱりよくわからないままに話が進み、終わる。人々は、理由もよくわからないままに動く。「すべてが変化する結節点(ノード)がやってこようとしている」とある登場人物は言う。「1911年以来の大変革点。みんな、それに向かって集まりつつあるんだ」と。でも、何が変わるのか? 1906年のピエール・キュリーの死に始まって1911年に訪れたノードとはなんだったのか? そして今回のノードとは? なにもわからない。なにもわからず、人々は集まって、交差して、去る。
それだけだ。
CUT編集部 稲田さま
えらく遅くなってすみません。なんかふつうの書評になってしまいました。ひねってオチをつけようとあれこれ工夫しましたが、今回はそのまま素直にいきます。
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