(『CUT』1999 年 12 月 #95)
山形浩生
まずは前回の訂正から。P3 はトヨタじゃなくてホンダだ。もうしわけない。訂正とともに、関係各位におわびを。指摘してくださったタニグチリウイチ氏を含む 1 名ほどの方には、心からお礼を申し上げます。
このように、ぼくの書くことにはウソやまちがいがたくさん含まれるので、書いてあることをいちいち真に受けてはいけないし、いろいろ引用するときにはきちんと裏をとらなくてはならないし、そのためにも厳密な情報源とその検証はきわめて重要である。
たとえば、である。
あなたは紅茶の正しいいれかたを知っているだろうか。
紅茶の正しいいれかた、とか言うと、なんかすぐにどっかのお料理教室だの紅茶ばばあだのが出てきてあーだこーだときいたふうな能書きをたれるわけだが、ぼくの言ってるのはそんなレベルの話じゃない。グローバルスタンダードとして世界的に認められた、唯一無二の基準に照らして正しいいれかた、という意味だ。
紅茶のいれかたなんかに、そんな基準があるのか? あるのだ。それはBS6008:1990/ISO3103 Preparation of a Liquor of Tea for Use in Sensory Testsである。
ISO というのは、International Organization of Standards, 国際標準化機構である。ここが標準と言ったら、それが世界の標準だ。そういうところがちゃんと、正式な紅茶のいれかたを規定しているのである。
国際標準だけあって、中身はきわめて細かい。そもそもの「紅茶溶液」の定義からはじまり、使う溶媒、その温度、浸出させるべき時間、その間の処置が詳細に定められている。また容器も規定されており、白の磁器か、上薬をかけた陶器の器のみが認められる(サイズも補遺に推奨値が明記されており、あまり逸脱することは望ましくない)。
紅茶というきわめて身近な分野なのに、この世界邸な標準規格は残念なことに、これまであまり注目されてこなかった。「ISO3103準拠」を掲げた喫茶店はほとんどなく、都内でもわずか5軒以下。世界的にも3桁台以下しかない。わが国はおろか、世界的にまともな紅茶が飲めないのはこのせいとも言われる。それがこの夏、大きく変わることとなった。
そのきっかけとなったのが、このAnnals of Improbable Research(略称 AIR)と、同誌の主催するIgNoble賞である。
この雑誌は、編集顧問としてノーベル賞受賞者多数(その一人、1976年化学賞受賞者のリプスコムは最新号の表紙をかざっている)を含む、世界有数の科学者を擁する名門研究雑誌といえよう。同誌の過去数年にわたる調査の末に、この国際標準の存在が晃かとなり、最新号の「紅茶・コーヒー特集」で大きく紹介されている。さらにはこれを定めたイギリス標準規格協会(日本でいえばJISですな)は、今年度のIgNoble賞受賞の栄誉に輝き、この重要な標準規格の存在にようやく光があたったことになる。
ちなみに今年のその他の受賞者は、「紅茶にビスケットを浸す最適回数」を数学的に計算した数学者が、数学賞を、そして浮気調査用に亭主のパンツの精液のあとを探知するスプレー「Sチェック」を開発した、セーフティー探偵社(大阪)の牧野氏が化学部門での受賞となり、数年前にナマズのしっぽと地震の関係を7年にわたって調べたという偉大な学問的功績で同賞を受賞した気象庁と、ミニ恐竜化石を発見し続けながらも学会に無視されている名古屋の大考古学者奥村氏、ハトにピカソとモネの絵を見分ける訓練をほどこした慶応大学の渡辺茂研究室に続き、この分野での日本の知的貢献を見せつけている。
このAIRは、こうした価値ある(しかしともすれば見落とされがちな)研究を、世界各地の専門誌から選りすぐり、短評を添えて紹介するとともに、多数のオリジナルな論文投稿を受けて、ノーベル賞級科学者たちによる厳正な査読を経て出版している雑誌である。
近年では、ポテトチップスの滑空距離について(どっかの飛行機研究用風洞まで使って)調査した某大学チームの研究、リスがどこまで人に近づくかを指数化し、大学の「親しみやすさ」水準を計測した著名な「リス指数」研究、「なぜおれが飲もうとしたときに限ってコーヒーが切れているのか」を2日に及ぶ精緻な観察により解明しようとした研究、そして世界各国の英知を結集した、著者総勢100名以上におよぶ脅威の大論文「地球の公転とピーナツバターの関係に関する研究」など、だれでも一度は耳にしたことのある名研究でこの研究誌に発表されたものは数知れない。
毎号掲載のノーベル賞科学者のインタビューもすばらしい。スーパーモデル科学者シメトラの恋愛相談も秀逸。
「質問:愛し合うぼくらの心は揺れています。ときにお互いを狂おしく求め、とくにはお互いをうとましく思って傷つけあう。ぼくたちはこの先どうなってしまうのでしょうか?」
「おこたえ:自分たちの動きをみなおして見ることです。そしてそれを波動関数で記述してみましょう。t→∞でその関数が発散するかどうかで、あなたたちの未来はすぐにわかりますよ。ちなみに通常の振動の発散条件は……」
これほど論理的な回答は、ベベ・ビュエルでもできやしめぇよ。
こうした優れた知的結節点となるべき雑誌が日本にないことを、ぼくはとても憂慮している。すでに述べた通り、わが国でもこうした分野への知的貢献は数知れない。おそらくは言語の壁などのために、AIR誌でも発掘できていない貴重な論文は、国内に多数眠っているはずなのである。
この雑誌に難があるとすれば、かれらが探してくる実際の可笑的真剣な研究論文のほうが、かれらの考案する真剣におばかな論文よりはるかにムチャクチャだということだ。毒ヘビにかまれて自分のバイクからの電気ショック療法を強硬に主張した患者Xと、そしてそれが(当然)失敗するさまを淡々と記録したとんでもない論文は、まじめなだけに爆笑するしかない代物だし、世界中の科学者(男性のみ)の涙をさそった数年前のIgNobel賞受賞研究「ジッパーにはさまったペニスの適切な処置方法」なんていう発想が実際にあることさえ、ちょっと信じられない。しかし、こうした研究に陽の目を見せるという点でも、この雑誌の意義ははかりしれないといえよう。
ちなみにこの雑誌への掲載と、IgNobel賞受賞にともなって、いままではあまり注目されてこなかったISO3103はがぜん注目を集めるようになっている。いま、いろんな企業が品質基準としてISO9000シリーズの取得をめざしているけれど、同じように、各種の外食産業では、ISO3103準拠の紅茶の導入について急速な取り組みが見られ、来年早々にも某外食チェーンにてアイスティーならぬISOティーの販売が開始されるときく。こうした現実の産業インパクトという点でも、この雑誌にわれわれが学ぶべきところは大きい。科学者、および科学とその研究に興味のある人は必読。いますぐ http://www.improb.com/で購読手続きをとることが、わが国の科学の未来にとってはきわめて重要である。本稿が微力ながらもその一助となれば、評者としてこれに勝る喜びはない。
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