Valid HTML 4.0! 緒川たまきのまたたび紀行 連載第?回

旅行って、そういうもんじゃないと思う。

―― 落ちこぼれバックパッカーのやっかみ半分禁断症状的愚痴もどき。

(『CUT』1998 年 11 月)

山形浩生



 今年は夏休みがもらえなかった。あー旅行がしたい。きいたこともない、だれもいったことのないような場所にいってみたい。まず本屋にいって、ガイドブックの並んでいる棚にいくんだ。英語のガイドブックがたくさん並んでいるところで、ちょっとマイナーっぽいガイドブックシリーズの背をながめていると、ふといままでまったく関心外だった場所、そんなところに行く人がいるとも思わなかったような地名がぱっと目にとびこんできて、それが妙に気になって仕方なくなる。ナミビアとかね。ここはアフリカでドイツ領だったところなので、まざり具合がいろいろ変らしいよ。こないだまで内戦してたから、まだ旅行者も少ないみたいだし。あるいはイエメンとか。写真を見ると都市がぜんぜんコンクリートでできていなくて異様な雰囲気。そういえば昔、旅先で会った女の子が「イエメンはなにもないところよ」と言ってたけど。

 ブルガリアのバラ祭のことを聞かされたのも、その旅行のときだっけ。プラハのゲストハウスのドーミトリーで同室の三人が、これからどうすんのってことで、一人はバカで「これからボスニアに入りたいんだけど、おまえ日本人だろ、明石代表に紹介してくれよ」とのたまって(日本人が全員知り合い同士だと思ってるのかよ、オメーは)、あきれているところへ残り一人が「バラのフェスティバル」に行きたい、と口走ったんだ。

 ブルガリアで、バラのフェスティバルがあるんだって。かなり観光化されちゃってるけど、でも結構いいんだって。そこらじゅうバラだらけなんだって。そこはバラの谷っていうところなんだって。まだ日程とかぜんぜん調べてないんだけど、ちょうど今くらいのはずなんだって。

 それはスウェーデン人で、珍しく英語がうまくないヤツで、このくらいの話をポツポツとして、その翌日にはぼくが出発だったのでそいつが結局どうしたのかはわからない。Good luck. あいつはバラ祭にいけたのかな。ぼくも惹かれるものはあって、ベルリンで迷ったんだけれど、ブルガリアはヴィサがいるので(空港で落ちるそうだけど)、結局戦争を見にクロアチアにいった。クロアチアは、それはそれは美しいところで、ドゥブロヴニクもスプリットもザグレブも、街も女の子も発狂したようにかっこよくて美しかったのだけれど(ただしクラブの音楽の趣味は最低)、いたるところに国連軍がいて、ちょっと物騒で、観光客がぜんぜんいないので珍しがられて楽しかったんだけれど、そういえばあのバラ祭っていうのもよかったかな、とときどきふと思ったりもして、だからあとでブルガリアのガイドブックなんかも買い込んだりはしたんだ。

 緒川たまきの『またたび紀行:ブルガリア編』(ロッキングオン)はそのバラ祭旅行記だと広告で読んで、すぐにそういう記憶がよみがえってきて、うらやましいようなねたましいような(人が自分の知らないところにいった話をきくときはいつもそうだ)、でもそれより「どうだったどうだった?」という好奇心にかられて、ぼくは昔買ったガイドブックを引っぱり出していろいろ想像をたくましくしていて、そして 9 月の末に本が出た。

 さてまず序文を見ると、結局バラ祭には間に合ってないんじゃないか! ソレハズルイデスヨ。しかしまあそれは大目に見るとしてだ。この本でいけないのは、ちゃんとした旅行記になってないこと。写真集だもーん、と言われればそれまでですけどね。でも紀行を名乗るんなら、地図はどこだ、地図は! 本の後半は緒川たまきの(よくもわるくも)ふわふわした印象談話になっているんだが、地名がほとんど出てこない! 彼女は一切ルーティングとか見てないな。でも、それでも読みとれるものはかなりある。まずソフィアについてホテルまでバスで 3~4 時間……ん? ちょっと遠すぎるんじゃない? ソフィアの空港は都心から5キロほど。これはバスですぐにカザリンクまで移動したな。宿がサナトリウムもどきだというのも、そのせいだろう。

 さらに、折り込みになってる街の俯瞰写真(ぼくはこれと裏表紙の写真がいちばん好き)の裏にスケジュールが出ている。全行程が…… 1998 年 6 月 6 日から 9 日の三泊四日!?!! フランクフルト経由で初日は夕方にソフィア空港着で、最終日は午前中に移動を開始してるから、実質中二日だけだな、まともに動けたのは。許可がとれなくてシプカ教会にいけなかったってことは、シプカ峠に行かなかったわけか。バカだなあ。ブルガリアで最高の眺めがあるはずの場所じゃないか。撮影以外で動かないのかよ、許可がなくてもとりあえずいくとかできないのかよ、でもできないんだろうな。このスケジュールじゃ、そういうリスクは冒せないんだろうな。プロヴディフ(ブルガリアで最高に美しい街といわれるところ)にたったの三時間?!! かわいそうに。ソフィアもいっさい見ていないんだなぁ。それでこれだけ光のあるうちに、何回彼女は衣替えをしてるんだ? ほとんど息をつく暇もない感じじゃない?

 そうじゃないだろ。そうつぶやきながら、ぼくはまたこの写真集をながめている。ちなみにこの写真集では、バラのほうが緒川たまきよりきれいだ。なんでかな。うーんと、彼女が全体に浮いてるのね。バラはあるべくしてそこにあるけれど、緒川たまきは違和感があるんだ。旅行して僻地にいくと、自分とその街や村に相互に警戒心があって、それが数日のうちにゆっくりとけていく。そういう感覚がある。香港とかニューヨークとか異人の多い都市では、かえってその警戒心や違和感があったほうが都会らしいんだけどね。この写真ではそれがまだぜんぜんとけてない。もちろん芸能人の撮影ツアーなんてこんなものなんだろうけれど、でも……でもこんなもんなの? 宝の山の目前までいって、それをすべてのがしてない? じっと体をなじませて、一瞬でもそこの一部になってみなきゃいけない。それにはどうしても時間がいるんだ。そういう楽しみとか快感とかが、この本ではほとんどぶっとばされてる。ぼくにはわかんないな。

 とはいいつつも、ぼくは昔買ったガイドブックをいろいろ引っぱり出して、いろんなルート推定までして、それなりに楽しんだ。そうやって読み込めるという意味では、楽しい本なんだ。けれど惜しいな、と思う。そしてそうはいいつつも、ちくしょう、いいなあ。ブルガリアっていえば黒海側にも出たいよなあ。そこからトルコに船で出るとかいろいろ可能性があるし、この写真の岬の張り出し具合にそそられるじゃないか。そうやって旅行マニアは、いついくとも知れない旅のルートを練る。そういうのをホントに刺激してくれる写真集ってできないのかな。そういえばこの冬から来春にかけて、かなりながくバングラディッシュとミャンマーに行くんだ。ちょっと身分は不自由だけれど、これはおもしろいかも。バングラからシッキムやアッサムに入るルートって開いてないのかな、あのダージリンってここにあるんだ……


CUT編集部 稲田さま

どうですかね。問題ありますかね。ダメなら連絡ください。バックアップは特に考えてませんが、なんか思いつくかもしれません。

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