Valid HTML 4.0! Giant Robot 連載第?回

The Magazine for you:『ジャイアントロボ』、新しい文化の生成現場。

(『CUT』1998 年 10 月)

山形浩生



 あなたは、自分が日本人(またはそれ以外)だというのを誇りに思ってるだろうか。

 ぼくはあんまりない。アジア顔した人間だというのは、まあ意識するかな。旅行先や会議なんかで、日本代表っぽい口をきかなきゃいけないこともある。でも、「オレは日本人だ!」なんて誇りはない。恥とも思わない。それはぼくが関東中央病院で生まれた [註] のを恥とも誇りとも思わないのと同じこと。だってただの偶然にすぎないんだもん。宝くじにあたった人は、それを喜びこそすれ、誇りに思ったりはしないだろう。

 こんなことを考えているのは、福田和也という保守反動ヒョーロンカの駄本『近代の拘束、日本の宿命』なんかを見てしまったせいだ。

 うっとうしい本だった。日本は、日本人は、とうるさいこと。バカの一つおぼえでなんでもカッコに入れるダサさ。論理展開はゲロゲロ。こんな感じ。「『日本』は『近代国家』に『なる』ために、『『資源』確保』が『必要』であった。したがって『それ』を目指した『大東亜戦争』はまさに『近代』の『超克』である」。別に超えてないじゃん。近代国家(の大国)になろうとして無理しただけじゃん。「日本にとっての近代は『近代』が勝つか『日本』が勝つかという戦い」? 近代も日本も、仲良く残ってるんですけど。

 そもそも日本とか日本人ってなんだろう。日本で育つこと、親が日本人であること、日本語をしゃべること、日本国籍を持つこと、日本のパスポートを持つこと、日本に税金を払うこと、東アジア顔をしてること、日本政府のやること――これはすべて、全然別。同じく保守反動の宮崎哲弥は、日本人は日本文化を受け継いでいるから戦争責任があると論じていた。じゃあ、日韓混血の人は? 日本語と英語を同じくらい話せるぼくは?

 福田自身、たぶん皆目見当ついてない。それで大風呂敷でごまかそうとする。「国家」ではない「共同体」の保存を、とか言うんだが、じゃあ「共同体」ってなんだい。何を守るの? こいつはそれをまったく示せない。「(日本人は)尊王攘夷、文明開化、一等国、大東亜共栄圏、経済大国という連鎖をつらぬく自己と、その開花を見ていない」だって。尊王攘夷! いつの話だよ。全部、昔の他人がやったことじゃん。そんなものを今頃ほじくって、いまここにいるぼくたちの自己なんか出てくるわけないのに。先人の業績を土台に新たに何か積み上げたとき、はじめてその人の歴史的な意味が出てくる。ぼくたちの自己は、ぼくたちの行動で決まるんだ。そんなこともわからないのか。

 「共同体」は、もともと国家とは関係ない。利害が一致して利用しあったりはするけれど。たとえばぼくはフリーソフトのコミュニティに微力ながら貢献している。アングラっぽいオルタナ文化みたいなものにも貢献している、かな。仲間は全世界にいる。国家なんか、枷をはめる以外の何の関係もないんだ。

 福田みたいに、どこにもなにも貢献していない人間は、そりゃ何の帰属感もなかろう。開花してないのは、福田自身の貧相な自己だ。かれは自分の空っぽさを外に投影して、日本には風景がないだの、日本文化は実体がないだの、日本は何もつくりだせないだのと愚痴をたれる。イタリア人との会話で「美術に話が及んで、私の勝利は確定的になった」だって。かわいそうに。会話って勝ち負けじゃないのに。ワインだの美術史だのをお勉強したのはなんのため? 美術が好きなんじゃなかったの? もっとおいしくワインを飲むためじゃなかったの? それをうんちく合戦なんかで悦に入って、ただの見栄かよ。くだんねえ。

 なんか悲しくなってきたので話題を変えよう。『ジャイアントロボ』とゆーすばらしい雑誌があるのを、あんたらは知らんだろー、わっはっは。これを見よ。エリック中村とゆー日系アメリカ人が、趣味全開でつくってる、わけ不知雑誌。アジア系おたくネタが多いけど、他にもアイスキャンデー総まくりとか、辛いソース完全レビューとか、何考えてんのかさっぱりわかんねーよー! 「ウルトラマンランド紀行」「北京ツアコン:バカたれ観光客大罵倒」「ロサンゼルスの金魚業者」「サンリオピューロランドに鉄槌を」「ブラックパンサーとアジア人」……脈絡皆無。そしてこの表紙のすばらしさ。トニー・レオン! マギー・チャン! そして最新号は、うぉー、ジェニー・シミズだ! くぁあっっこよすぎ! このマッチョな美しさ! インタビューも、メカニック出身の彼女のぞんざいで下品なもの言い全開。『カット』はただちにこいつの版権をとって、ぼくに訳させるように。トニー・レオンのだって、『カット』負けてるぞ! この裏表紙の広告も、毎号死ぬほどクール。すごいよね。数号前は、コピーのホチキス製本同人誌だったのに。

 さて、この雑誌はどの文化に、何の共同体に属しているんだろうか。でも『ジャイアントロボ』は、そもそもそんなことを考えない。発行者が日系だというのは、ネタの選択には影響している。でもかれは、自分の文化的な位置づけなんかに興味はない。「文化が云々」と人が能書きたれるのは、まさにその文化や共同体が傾いてきたときなんだから。本当にその文化・共同体を生きている人は、そんなことを考える必要がないんだ。自分が惹かれ、興味を持ち、あるいは嫌うものの一つ一つが、その場で新しい「文化」の一部になる。バランスなんか無視。自分の選び取るすべて――ジェニー・シミズのかっこよさも、ブラックパンサーに協力した日系人たちも、ピューロランドのつまらなさも、アイスキャンデー総まくりも――は、何にどう影響されたものにせよ、自分がおもしろいと思った一点で正当化される。いずれだれかがそれに脈絡をつけて、したり顔で文化を語るかもしれない。が、知ったことか。

 わからないのか。かつて知識人どもが「近代と日本」なんて言い出したとき、そこには守るべき「日本」なんかなかったんだということが。変化の速度におびえて、年寄りが過去にしがみつこうとしただけなんだよ。知識人が、国家にへつらって「日本」をねつ造しようとしただけなんだってことが。福田は、えらきゃ勝手に近代でもなんでも超克すればいい(どうせ自分じゃ何もしないで愚痴るだけだろう)。ぼくたちは『ジャイアントロボ』や(一段下がって)『カット』を読み、つくり、フリーソフトに手を貸す。感じないのか。その一歩一歩が、まだ名前すらついていない新しい文化を、文明を造り上げてるのを。帰るところはないけれど、でもすすむ先はそれこそ無数にある。こいつの表紙を見てごらん。これが何の雑誌だか。おとなのための雑誌でもなければ、アメリカ人のための雑誌でもない。日本人のための雑誌でもないしおたく雑誌でもない。ほら、書いてあるだろう。これはThe Magazine for you: あなたのための雑誌、なのだ。


 遅くなりました。前半は福田の本の話が中心ですが、これはクールでない書物なので、写真なんか載せるこたぁありません。ジャイアント・ロボは最近の数号を送りましたが、裏表紙の広告もカッコいいので、表紙だけじゃなくて一号くらいは開いて載せてもいいかもしれません。
 あと、最新号は雨に降られて少しよれているので、タワーレコード7階でパリッとしたのを買ってきたほうがいいかもしれません。新聞の入ってる棚の真っ正面に平積みしてありました。


註:掲載後に母親から電話があり「あんたは関東中央病院で生まれたんじゃない! 練馬で生まれたんだ!」とのこと。ここに訂正するとともに、関係者のみなさまにお詫びいたします。訴えちゃいやよ。

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