Valid HTML 4.0! Gas, Electricitym Sewage 連載第?回

求む! 職場で公然と読める小説――『公共事業三部作』。

(『CUT』 1998年4月発売号)

山形浩生



 小説の話をまとめてしようではないの。ここ何回か、ずいぶん生まじめな話ばっかで楽しく気楽に読み散らす話がないんだもの。

 小説の意義ってのは、それはもちろん暇つぶし以外にはないのだが、残念ながらぼくは最近とても忙しい……というのは上司をあざむくためのウソで、実はとっても暇なのだ。たとえばこんな文を書いたり、日本の不良債権処理方式がタコであることを異人さんに説明して国賊気分に浸ったり、名誉毀損で訴えられたり、余計なことはいくらでもやっている。

 ただ小説というのは、会社で読んでいると明らかに暇なのがばれてしまうのが困りもの。阿部和重『インディビジュアル・プロジェクション』は、表紙カバーの写真の女の子が乳がでかくてすばらしいので買いなんだが、それだけに会社で読むのははばかられる。最近、村上龍が量産してるスカスカした本は、通勤途中でほいほい読めてしまうから問題ないし(そもそも読む必要があるか?)、このところ久々にショックを受けるほどすごい中国の残雪の小説は、これまた短いのが多いので通勤中になんとかなる(でもこいつはとんでもない代物。近々なんか書く)。問題は長いやつで、買ったまま読めずに放ってあるエリアーデ『妖精たちの夜』とかムージル『特性のない男』とか、むずかしくて 5 ページで音をあげたトマス・ピンチョンの新作 Mason & Dickson。これはまとまった時間をとって読まないとつらいんだが、起きている時間の 70% 以上を会社で過ごす身の上としては、会社で読めない本はすべて出張か老後か入院時の楽しみにまわされてしまうのだ。

 が、久々の例外がこの本。

 題して『下水道、ガス、電気――公共事業三部作』。作者マット・ラフについては不詳。これが 7 年ぶりの 2 作目だって? 知らないね。ぼくが買ったのも、たまたま仕事で公共事業やインフラ整備の話をしているから、これなら会社で読んでいても「仕事の本です!」と強弁できると思ったから。あと裏表紙でニール・スティーブンソン(英米 SF 期待の星。処女作『スノークラッシュ』はアスキーの関連会社からとっくに翻訳が出ているべきなのに、一向にその気配がない。だれだ、グズな訳者は。おれにやらせろ! おれが名前だけとはいえ主人公の本なんだぞ!)とトマス・ピンチョンが絶賛していて、まあはずれではないだろうという程度の期待。

 だがこれは、並大抵の代物ではなかった。時は 2023 年、謎の疫病により黒人が死滅し、かわりに人間型アンドロイドが低賃金労働を行っている。そのアンドロイド製造で一大産業帝国を築いたハリー・ガント。その前妻で、ローマカソリック女性解放闘争の闘士の娘にしてニューヨークの下水道で巨大化したサメと死闘をくりひろげたジョーン。そしてハワード・ヒューズの潜水艦で環境破壊のガント帝国に戦いを挑むエコテロリスト、ファイロ・デュフレズネ。この三人が、アンドロイドの仕業とおぼしき殺人事件のなぞを、ソフトウェア化したスーパー資本主義信奉作家エイン・ランドと共に追ううちに、かのウォルト・ディズニーが遺した巨大人工知能による大陰謀がしだいにその全貌を現し、人工知能、産業資本主義者、エコロジスト、アンドロイド、そしてラヴェルのボレロとともにあらわれる巨大サメの、一大決戦が繰り広げられる……

 とうていまともな小説とは思えないでしょう。このむちゃくちゃな話にからめて人種、階級、資本主義、環境運動、ポピュラー文化、都市伝説、テクノロジー、自由意志と社会があたりかまわず論じ立てられ、しかもそれがすべて小説の中の重要なパーツになっているという力技。ついでに、「下水でワニと戦う話を書いた写真を撮らせない作家」の小話も縦横にちりばめて、450 ページまったくだれることなく続く。しかも全編爆笑もののコメディなんだよね、これ。フェミニスト軍団のバチカン突入シーンから、非暴力主義エコテロリストのメディア利用マニフェスト、エコロジストを密かに手伝うエリザベス女王のご登場まで、おバカなシーンがてんこ盛り。

 似たような感触の小説というと、唯一イリヤ・エレンブルグが、1920 年代あたりに書いた『トラスト DE』かな。ヨーロッパを愛するあまりそれを破壊してしまおうという衝動にとりつかれた男の物語。金融操作、政治的陰謀を縦横に駆使してヨーロッパ全土を焦土にし、ヨーロッパ唯一の男となって死ぬ一大コメディなんだけれど、これも『公共事業三部作』も何が共通しているかといえば、もっと大きな世界の動きがあって(思想的にも物質的にも金的にも)、それが人々の生に直接インパクトを与えているんだという認識と、そういう動きの一通りの理解ってとこ。それがこうした小説のスケールの大きさを生み出している。

 対する日本のいまの小説がなぜつまらないかといえば、それは風俗の話しか書けないからなんだ。村上龍の近作をみればわかるでしょう。ピアスにコギャルにウィルス話にってさ。阿部和重もそう。デス渋谷系だそうだけど、しょせん身辺風俗でしか勝負できてない。身の回りのことが中心になるという点では、さっき出た残雪も同じ。でも彼女の小説だと、登場人物たちにとってはその町内会や工場仲間の噂の世界が、どんなに努力してもその人たちの世界のすべてなのは容易に想像がつく。そして噂の背後にもっと大きな力があるらしきことが感じられる。でも日本の場合、それは絶対にかれらに知りうるすべてじゃない。登場人物(そして作者)がぐうたらで頭悪いからそれ以上の世界を勉強しようとしないだけなんだ。『IP』はプルトニウムを追いかけたりテロ集団が出てきたりするけれど、それは特に必然性のない、ただの話を進めるマクガフィンでしかない。テロにだって(というかそれにこそ)理論はあり、倉橋由美子の『スミヤキストQの冒険』みたいなすごい小説ができているけれど、そういうのを勉強した形跡はまったくうかがえない。登場人物は、わけわからずウロウロしてるだけ。

 なんでそうなんだろう。たとえば仕事では、アジア経済の先行きはすごく重要だし、不良債権処理は直接影響してくるし、いくつかの技術動向は目が離せないし、自分の外の広い世界が自分に直接関わってくる場面がいくらもある。小説にもそれがあるべきなの。それがないから、自閉した狭い、つまらない小説ばかりなんだ。なんかもっと、背景の世界の広がりを持った小説が出てくれないものか。もっと小説家は勉強しろ! この点、瀬名秀明はちゃんと勉強してるし(小説の評価は別だが)、その他 SF 系は、ある程度(偏った)勉強はしてる。でもそれ以外の人々はあまりに勉強不足ではないか。

 ただし矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん』はその数少ない例外らしい。これは構想力といい、田中角栄という日本有数の芸人への注目といい、すばらしい小説らしいんだけれど、うーん、これもまた会社で読める本ではないのが残念。来週からのロンドン出張でなんとか、ね。



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