Valid XHTML 1.1! The Cat Inside 連載第?回

愛と悲しみのネコ談義:または、ネコ膳喰わぬは何とやら。

(『CUT』1994 年 8 月)

山形浩生



 昨年の春、支那は広州におもむいたぼくは、観光客としての務めを果たすべく、あの驚異のゲテモノ市場(と一部では称される)清平市場に出かけたのだった。そこには、牛やブタやヤギや、ヘビや犬やタヌキやサルに混じり、食用ネコも売られているのである。

 犬でもそうだけど、ネコでも食いネコと飼いネコは区別されているらしい。食いネコは、一辺 50 センチくらいのかごの中に、20 匹くらいがギュウギュウ詰めになっている。それが五つくらい積み重なって、その外を市場の飼いネコがウロウロしたりして、かごの中とケンカをしている。もちろん、かごの外は人間で異様にごったがえしているため、ウロウロしていると飼いネコといえどもすぐに蹴飛ばされてしまうので、そうそうのんびりケンカに興じているわけにもいかないようなのだけれど。

 一方のかごの中の食いネコどもは、さすがにネコだけあってしぶとく、朝八時半の山の手線並みの詰め込まれかたをしているのに、フーッだのミギャアだのとわめきたて、争いをたやす気配もない。が、そこへ地元の婆さんがやってきて、おもむろにその食いネコを指差して、なにやら店の人とひとしきりやりあっている。「ちょいとこのネコ一匹! それじゃないって、そっちの奥の活きのいいやつ! 皮は剥いで、ワタはとって別にちょうだいよ。後で取りにくるからね」てなことをわめいたらしい。が、これは推定。

 婆さんがまた人ごみにまぎれたあたりで、店のおばちゃんはそのかごに、手袋をはめた手を無造作につっこんで、ネコを一匹鷲づかみにした、と思う間もなくまな板に叩きつける。フギャー、と声をたてかけたところでネコは気絶。そこをおばちゃん、目にもとまらぬ早業で皮に切れ目を入れると、ビビッとネコ皮をあっさり(ヒェー!)一発で剥いでしまった。赤むけになったネコは、何が起きたかもわからぬ様子。ピクピクけいれんして、まな板の上でひきつっている。大国主尊のガマの穂でも、こうなっちゃあ手のほどこしようはあるめえよ。

 何だか知らないが、その時の広州にはフランス人の観光ツアーが群れていて、あちこちで日本の団体観光客と張り合ってたんだが、この時もまわりで「あふぉみだーぶる!」とかわめきつつ、あたりをビデオで撮りまくっていて、だけど生皮剥がれたネコを見た時には、こいつらがすんごい顔になって一瞬絶句してくれて、月並みな表現だけれど、ぼくは噴き出したいのをこらえるのにえらく苦労しましたとも、ええ。その絶句するフランス人の目の前で、おばちゃんは臆することもなく、ネコの解体作業にとりかかるのだった……と書きたいところだが、皮を剥いですぐ、おばちゃんはどっかに行ってしまって、ネコはいつまでもまな板の上でひきつっているばかり。あれは血抜きはしないのかしら。それともガチョウみたいに、苦しめて殺したほうがうまくなるってやつかしらね。

 同族がそういう目にあっているというのに、件の飼いネコのほうはと言えば、あまり気にする様子もなく顔を洗ってたりしたのだが、ネコとはやっぱそういうもんなのであろうか。それとも単に、見えなかっただけなんだろうか。ぼくはなんとなく前者のような気がするので、やっぱネコってやーね、と思うのである。

 それにしても、食料難にでもなれば、あの飼いネコも食いネコに早変わりするのであらふなあ。善哉、善哉。

 清平市場の出口には「広州市動物愛護協会」という垂れ幕がかかっていて、「猫」という字が目に入った。どうせ欧米かぶれの反革命黄色分子が、「対中感情改善のため、ネコを食うなどという野蛮な風習はやめましょう」みたいなことを言ってるにちがいない、と思ったら、これがまったくの猫ちがい。「大熊猫の毛皮を売る密猟商人には注意しましょう!」という表示で、いやいやおそれ入りました。

 出発まで 2 時間ほどしかなかったんだけれど、これはもう食いネコをどっかで食らうべえ、と船着き場近辺を探してみたんだが、よくわからなかった。犬なら狗鍋がどこにでもあるのだけれど、ヘビとかネコとかタヌキになると、さすがに日常的に食べるものではないらしい。前夜、ヘビを食ったらえらく高くついた(ちょっとつまむつもりが、一匹全部その場で食う羽目になっちまったもんで)こともあって、結局犬で我慢してしまった。ネコはまた次の機会に、というわけなんだが、それにしても狂信的ネコマニアのウィリアム・バロウズをここにつれてきたら、卒倒してそのまま天寿を全うしてしまうであらふか。この本を読むと、ついそう思ってしまうのである。

 天寿といえば今回紹介の「内なるネコ」、もとはウィリアム・バロウズの70歳記念出版。ゲップが出そうな愛ネコ談義が、赤面するほど赤裸々に(そして妙に物悲しく)語られてしまっていて、バロウズの一番お気楽な著書だろう。婦女子にも安心して薦められ、バロウズ入門としても最適かもしれない。ただし本書で入門した場合、次に何を読むべきかは非常に迷うところだ。邦訳近刊らしいが、一年前にも近刊だったなあ。なお、作者のバロウズじいさん、80にも手が届こうというのに、もうろくはしてきたけれど、まだ一向に天寿に達する気配もないという。あやかりたいものである。

 ウィリアム・バロウズを知らない人は最近は減ってきたようだけれど、アメリカで一番の、変人爺作家。すっごいジャンキーだったんだよ、とか、冷酷な顔のくせにホモの女役なんだよ、とか、奥さんを殺しちゃったんだよ、とか、ゴシップねたには困らない人で、だれにも読めない変な小説をたくさん書いてるうちに、いつの間にかアメリカのアングラ業界のゴッドファーザーになってしまった。究極の麻薬イェージを探しに南米のジャングルまで出かけてったり、旅行もいろいろしているけれど、どこへ行っても欧米式レストランでステーキを食べていた人だから、南米でもネコ肉など食ったことがないはず。もっとも南米にネコ喰いの習慣があるかどうかは知らないけど。本書の調子から見ると、ネコ喰い野郎なんざ屠殺せよってことになりそうだ。歳をとって、とみに偏屈ぶりを高めているというし。俗説に、阿片戦争の原因は犬だった、というのがあって、犬を愛するイギリス人が友好のしるしに猟犬をプレゼントしたら、支那側から「ありがとう、とてもおいしかったです」という返事がかえってきて、それでイギリスが逆上して「ぶち殺したれー!」ってことで阿片戦争が開戦いたしました、というのだけれど(ちなみにこれ、まったくの冗談よ。時々本気にする人がいるもんで、念のため)、あのいい加減で過激なウィリアム・バロウズだったらたぶん、あの市場での情景だけを根拠に(卒倒して死んでなければ)広州に戦術核兵器の使用をも辞さないのではないかしら、と考えるのは、楽しいことではある。ふっふっふ。次回は必ず喰ってやる。

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