Valid XHTML 1.1! 危険な薬 連載第?回

エンドユーザのためのドラッグ入門……と言っても、敢えて勧めはしないけれど。

(『CUT』1993 年 2 月)

山形浩生



 「名著だ!」一読するなりこう叫んで、山形は即座にサボテン屋に走った。「すげえ!」庭にチョウセンアサガオが生えたという高野は、食い入るように本書を貪り読んだ。「そうだったのか!」酒に目薬を盛るのがナンパの決め技だった水野はうなだれた。ちなみに、酒に目薬ってのは、目薬で目の血行がよくなるのと同じ作用で体内の血行が一時的に増大して、酔いがすごくはやくまわる、という懐しい話なんだけれど(これがなぜナンパの手口かは言うまでもない)、すでに目薬にはその成分が使われなくなってるそうな。それにしても、いい歳こいてナンパをクスリに頼ってんじゃねえぞ。

 しかしそれはさておき、みんなこういう本を待っていた。まともな、エンドユーザとしての立場からのドラッグ・マニュアル! 下は酒やタバコから、上はヘロイン、LSDまで、右は砂糖にチョコレートから、左はトルエン、シンナーまで詳述。みんな実体験か、それに類する一次情報で構成されている。「マリファナをやると、バタートーストが涙が出るほどうまかった」なんていう瑣末なディテールの記述の嬉しさ! 聴きかじりの伝聞情報じゃあこれは出ない。本物だ。さっきの目薬の話も含め、こういう細部への細やかな振りが、著者の造詣を物語っていて味わい深い。

 これまでドラッグがらみの本ってのはいくらもあって、仕事がら(ウィリアム・バロウズなんかに代表されるジャンキー作家どもの翻訳のほうの仕事ね)、いろいろ目を通してきたけれど、だいたいが要領を得ない。一つは純粋医学的な書物で、やる側より中毒治療の医者のために書かれてるので、要するにどうなのかさっぱりわからない。病院に担ぎこまれてきてからの治療法や脳内での作用に重点がおかれてる。ついで、もともと反ドラッグの立場から書かれて、ドラッグなんかやると頭パーですよ、からだボロボロですよ、家庭崩壊ですよ、逮捕されちゃいますよ、といった話が書き連ねてある書物。最後に一番役に立たない、バカなアメリカ西海岸ヒッピーどもやオカルト・デマゴーグどもの著書。ドラッグごときで神の世界だのもう一つの現実だの口走ってみたり、ホモ・サピエンスから新しい種へ進化するだの、誇大妄想のたわごとばかり。ウーパールーパーに成長ホルモンくれてやるのとはわけがちがうんだぜ。頭がそこまでイカレるんなら、それこそドラッグなんか片っ端から禁止しちまうがいい。

 みんな知りたいのは、ヘロインなり LSD なりを試すと具体的にどうなるのか、という話なのだ。たとえばだれかが「マリファナを吸ってみた」と言ったとしよう。ふつうそこで真っ先に尋ねるのは(吸い飽きてる人は別だろうけれど)、「で? どうだった?」という話だろう。気持ちよかったのか、気持ち悪かったのか、その場はよかったけど、後で吐き気がしてつらかったのか。そういう話が知りたいんだ。そこで相手が、「一面の白い世界が訪れて、神さまが微笑んでいたわ」とか言う話を真顔でしたら、こいつぁ危ねえってんで、その類のもの(そしてしばらくはその人物)にも迂闊に近寄らないようにしよう、という判断をするだろう(この意味で、西海岸ヒッピーどものたわごとは、ドラッグの評判を総合的にはむしろ下げたと思う。本人たちはどういうつもりにせよ)。「結構よかった」となって、その人物に顕著な変化が見あたらないようなら、これは「もっと知りたい」という話になる。そうなったら、もう少し客観的で定量的な使用上の注意とリスク要因の解説、ついで入手法/ 加工法まであればすばらしい。それを知って、実際に手を出すかはまた次の別問題である。

 「危ない薬」は、そういうユーザのニーズにきっぱり応えてくれる。本当の実用書って、こうじゃなくちゃ。もちろん、作者の経験が第一の根拠になっているから、長期的な弊害についての記述はあまり徹底していない。たとえば本誌でも以前に翻訳記事が載った、クラック・ベビーの問題などは触れられていない。だから、当然のことだけど、一から十まで本書だけを鵜呑みにするのは考えものではある。また、本書の巻末数十ページにわたる「ナチュラル・ハイ」に関する記述は、あまりまじめには受け取れない。健康状態を最高に保たないと、ドラッグをやっても最高の効き目が得られないということで、呼吸法から食餌法からいろんな健康法が紹介されているんだけれど、一日タバコ4箱を自称する人間に、健康だのからだの浄化だの言われてもねえ。

 しかしこれまでこうしたニーズに応えてくれる本というのはほとんどなかった。かろうじて第三書館の数冊があるくらいか。本書一冊で、既成のドラッグ関連書物十冊分くらいの価値はある、と著者は豪語するけれど、百冊でもお釣りがくるかもしれない。「ドラッグ関連の人物とか名著といった周辺文化までは、紙幅の制限上どうしても扱えなった(ママ)」そうだけれど、そんなものはまったく不要。周辺文化をグルグルするだけのクズ本は、世の中いくらもある。その種のノイズに深入りしなかったのが、本書の成功要因なのだ。この調子で、執筆予定という「海外ドラッグ・ツアー・ガイド」と「世界カジノ・娼婦ガイド」、この二つを一日もはやく書き上げてほしい。「地球の歩き方」流の、世の中売春もドラッグもないような顔のキレイごと旅行ガイドには飽きてるもんでして。

 さて、サボテン屋で首尾よくウバタマを入手した山形は、とりあえず一人で試すのはこわいので、近々ペヨーテ宴会を催すべく志願者集めをしながら、霧吹き片手にサボテンを愛でつつニタつく日々を送っている。高野は、本書に書かれたチョウセンアサガオの記述を読んで、庭のブツには手を出さないことにしたらしい。水野は「そうか! いまはハルシオンか!」と相変わらず何の成長も見せていないようだ。いずれにしても、とうぶんナチュラル・ハイなんぞには縁のなさそうなこの連中、高野(かれも「世界娼婦ガイド」を書ける人物である)の第二の本拠地たるタイへ、この春にでもキノコをきめにいく思案中。その頃たぶんバリ島には、本書片手の日本人ツーリストがすでにチラホラと姿を見せはじめているはずである。善哉、善哉。

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