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City Road の文章



 若い子たちは知らないだろう。その昔、「ぴあ」と張り合ってた「City Road」という雑誌があったのを。「ぴあ」は隔週刊で(とちゅうで週刊になったが)、CR は月刊で、お金のない高校生は 200 円を惜しんでシティロードを買って、恵比寿地球座(日本で最後のオール木造映画館だったのだ)の「女教師」シリーズ三本立をいっしょうめんめい見に行ったのである。ところでこの種の成人映画では「女教師」は「じょきょうし」ではなく「おんなきょうし」と読むのだ。これもシティロードの映画索引をみてておぼえたこと。

 「ぴあ」の魅力はなんといってもはみだしで、いまのはみだしは、ほんとにどうしようもなく間延びしててつまらないけれど、10 年前のはみだしといったら、それはそれはもう、抱腹絶倒のギャグの純粋爆笑エキスのかたまりみたいなものだった。一方、シティロードはコラムがよかった。秋本鉄次の「銀幕ねーちゃん品定め」のショーゲキは、いまだに忘れない。しかし、かなり頭のいい事業展開をくりひろげた「ぴあ」に対して、「シティロード」は商売っ気がまったくなかった。だからメジャーのぴあに対して、マイナー/サブカル路線的なポジショニングがだんだんかたまってきちゃったんだ。

 ここの末期に、ぼくもしばらく文章を書いたりした。ということはまあ、ぼくもサブカルライターなんだね。だけど、やがてここは資金繰りに行きづまって(それがずいぶんせこい金額で、東大 SF 研の社長と「いっそわれわれで買収しちまおうか」とかなり真剣に相談してたんだ)、やがて福岡でタウン誌(なつかしいことばだ)をやってた西アドという会社に買収された。そこで大幅な誌面刷新をやって、もっとメジャー路線をめざそうってことになった。

 ぼくもその際に切られたんだ。しかも名指しで。新社長が「これからは明るいメジャー路線を狙うんだ! わけのわからん物書きはもう載せない! 特にあのバロウズとかなんとかのヤツは!」とのたまったそうな。この話をきいたときは、ほぉ、この福岡くんだりの山だしのくされ田舎もんが、上等じゃねーかよぉ、てめえなんぞに何がわかる、と思ったものの、自分の物書きとしての市場性にいささか自信をなくしたのも事実。

 なお、このメジャー路線とやらが見事にこけて、新生”明るいメジャーな”「シティロード」は既存の市場から捨てられ、新しい市場を獲得することもできず、一瞬のうちに消滅したのは、すでに歴史が示したとおり。わははは、ざまぁ見さらせ、くされ田舎者めが思い知ったか!

 しかし、これはぼくに書かせてすぐにつぶれた、数多い雑誌の中でも個人的には特に思い出深いものではある。むかしから読んでたあの雑誌に書けるなんて! それだけに、なくなったのも残念。復活しないかなぁ。無理だろうなあ。


マリアンヌ・フェイスフル コンサート (1990.06)

 「キングインク」刊行記念で飲み会をやったときに CR の仲俣氏がきてて、そのときにニューヨークでたまたまマリアンヌ・フェイスフルのコンサートにいった話をしたら後日、それについて書いてくれと頼まれた。

ヤプーの教え (1992.03)

 「家畜人ヤプー」評。これはいい文だったんだ、われながら。後日、「家畜人ヤプー」の完全版が出たときに、あとがきで言及してもらえて、すっごい幸せだった。もっとも、ある程度以上の長さのレビューはほとんどとりあげられてたみたいだけど。
 また、この中でデブとして言及された中森明夫はあまり嬉しくなかったらしい。それと、その周辺泡沫ライターの赤田という人が、この文章をタネにどっかで「山形の文は嫌味っぽくて嫌い」とか書いていた。
 ついでに、文中で「これが SF 業界とは関係ない」と力説しているのは、巽孝之が SF マガジンで「家畜人ヤプー」について、「日本 SF 界の最大の成果」とか持ち上げていたから。これは最高の SF ではあるけれど、日本 SF 業界とは全然関係ない。それははっきりさせておきたかった。なお、この文を読んだだれかが SF マガジンに投書して、「確かに日本の SF はあたりさわりなくてダメだ」と書いていた。あれは驚いた。そしたら編集部は「ものの感じ方は個人の自由ですから」なんて答えていた。バーカ。

「ウォーフィーバー」レビュー (1992.04)

B級ホラーの王道映画 「ヘルハザード」レビュー (1992.06)

 レビューがのったときにはすでに公開がうちきりになってたとゆー……でも読者の評判はよくて「シティロードらくてよろしい」との評価。これってほめられてたのかなー。

Off (1992)

 死んだ人とかをテーマに、隔月の連載。辛気クセえ連載ではあったが、そうそう都合良く人は死んでくれないので、なんか勝手なことを書いてた。今読んで見ると、すっごい若気の至りみたいなことばかり書いている。あまりできはよくない。ごめんなさい。

連載書評 (1992-1993)

 これは、自分でも気に入ってた連載。やってたのは、CUT の連載と同じようなことなんだけど、短い分きれがよかった、ような気がする。「言葉の夢 夢の言葉」の回とか、「ふくろう模様の皿」の回とか。

ファミコンは勝ち目のない親の切り札である (1993.3?)

 CRが西アドに買われることが確実になって、次号から紙面刷新とかで、そのために依頼された原稿。ちょうど遊びで香港マカオ旅行中だったので、そこでなんとか書いた。ワープロ(当時はラップトップで書くより多くの人はワープロ専用機なぞを使っておりました)は当然もっていかなかったので、手書き。ところが、書き上げて送ったら荒木さんから連絡があって、実は社長の直々のご氏名で山形みたいなのは切る、とのお達しで、この原稿も没になった。やれやれ。むかしのファイルを整理していたら出てきたのであげておく。



YAMAGATA Hiroo J-Index


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