中央公論 2002/02号。 時評 2001 第 2 段

ジンジャー/セグウェイと新しい都市の可能性

(『中央公論2002 年 2 月号 第 117 年第 2 号 pp.54-57)

山形浩生



 テレビも新聞も見ないぼくとはちがって、たぶんみなさんはここ数ヶ月で、二 〇世紀の都市のステロタイプ――垂直にそそりたつ摩天楼群――をいやというほ どアップでごらんになったことと思う。今回は、それとは別の都市風景の話をし よう。都市の平面的な広がり、という意味での風景だ。

 二〇世紀において、都市の平面的な風景を決定的に変えたのはまちがいなく自 動車だ。鉄道は確かにすごかったし、航空機も相当なものだけれど、生活のすみ ずみまでの入り込み方で車にかなうものはない。都市構造そのものまで変えた点 でも、車以上のものはない。

 もちろん車の害は今更言うまでもない。車はでかい、危険、うるさい、排ガス。 いまの住宅地とかの設計の基本になっている、近隣住区という考え方があって、 これは基本的に住宅地内を車が通過しないようにするための設計思想だ。

 でも一方で、車の圧倒的便利さ、自由度は無敵だ。建物の入り口前の道路は、 幅が四メートルなきゃいけないといういまの日本の法律も、防災的な配慮も含め て車が使えないとまともな生活はできないという思想のあらわれでもある。二〇 世紀都市計画の最大の課題の一つは、都市を車にどう適応させるか、ということ だ。その結果としてロサンゼルスみたいな新しい都市は、土地の最大部分が車の ために提供されていて人はその残りをうろちょろしているだけになってしまった し、フェニックスみたいな、中心らしきものがなくて茫漠と広がる理論通りの都 市も車があってはじめて可能になっている。さらに付随的に、郊外型の大ショッ ピングセンターや各種ロードサイド店、インターチェンジまわりのラブホテルと いった、車がなければあり得なかった人の生活圏の広がりはだれの目にも明らか だ。

 そして車の困ったところというのは、人間と完全に分離するわけにはいかない、 というところだ。人間が自由にのりおりできて、初めて車は価値を発揮する。都 心に車を入れるべきか、入れざるべきか――これはもう昔から死ぬほど繰り返さ れている議論で、未だに結論がない。車を閉め出して歩行者天国にしたら栄えた 都心部、逆にそれをやって廃れた都心部、それぞれ事例はいっぱい出てくる。  とはいえ、車が便利で安くて増えすぎたために、多くの既存都市はもうすでに 限界に近づいていて、対応しようにも道路の整備が追いつかなくなってきている。 新しい道路の建設にはますますコストがかかるようになっている。だもんで、ヨー ロッパやアジアではだんだん車を市内に入れない、あるいは制限するような方針 が進んでいるのだけれど、でもその一方で、車なきあとの市内移動をどうしよう か、というのに対しては、だれも答えが出せていない。交通専門家にきくと「新 交通システム」という答えが出てくる。それはモノレールか、東京のお台場にあ る「ゆりかもめ」みたいなやつだ。でもモノレールの高架がぐちゃぐちゃに並ぶ 千葉駅前の惨状を見た人なら、どうしても二の足を踏むし、まして車の柔軟性や 小回りにはまったく太刀打ちできない。小型で、だれにも使えて、安くて、安全 な市内移動方式ってないものか――みんながそう思っていたところに出てきたの が、先日発表されたジンジャー/セグウェイだった。

 ジンジャー/セグウェイを知らない人のために説明しておくと、これは立ち乗 り型の電動二輪スクータだ。芝刈り機みたいな格好で、姿勢の細かい変化を検出 して動く。有名な発明家(なんていうのがいまだにいたこと自体が驚きではある けれど。発明家というと、いまやドクター中松のおかげでただの冗談以下の存在 になってしまっているから)カーメン氏がなにやらすごいものを開発していると いうことで、しばらく前から話題になっていたのが12月頭に公表されたものだ。 従来のスクーターや車椅子に比べて非常にコンパクトで、しかも操作も無意識の からだの動きを拾うから簡単。予定価格は三千ドルで、高いにゃ高いが今後の工 夫で安くもなるだろう。かなりの段差も結構あっさり越えられる。

 もしこれが普及すれば……そしてもうちょっと機能的にアップすれば、都市内 交通の問題はかなり解決できてしまうんじゃないか。いまの自動車の三割くらい でもこれで置き換えられれば、市内の渋滞や事故のかなりの部分は削減できる。 既存の都市も、道路の拡幅で悩まなくてもすむ。たとえば、がんばって道路整備 するより、あるいは新交通システムなんかつくるよりも、ああいうものを駅前で 貸し出すようにしたら。見ているだけで、いろんな新しい都市のありかたが頭に 浮かんでくるじゃないか。うまくいけば、これは現在の自動車中心の都市づくり だって変えられるかもしれない。都市の平面的な広がりに、これは決定的な影響 をもてるかもしれない。

 もちろんジンジャーがそういう存在になれるかどうかはわからない。ほんのちょっ とした違和感が、ああいうものの普及には大きく影響してくるから。ただ、だん だん下地はできはじめている。市内を車輪付きののりもので歩行者にまじって使 うのは、すでにかなり一般的になってきている。ただしローラースケートやイン ラインスケートはまだかなり違和感があって装着が面倒だ。スケートボードに乗 るのは結構難しい。あれで段差を超えるには、オリー(あのボードごとジャンプ する技)が必要だけれど、あれはガキでもかなりの練習が必要だ。三十五歳すぎ てスケートボードを始めたぼくなんか、数年たってもまだできないほどだ。でも、 ここ数年のキックボードのブームで、技術も不要になってきた。ジンジャー/セ グウェイが受け入れられる基盤はできている。もちろん最初の頃は、駅でのセグ ウェイの使用はほかのお客様のご迷惑になります、とか、セグウェイはペースメー カーに影響を与えるかもしれないとか、だらないデマやプロパガンダでにじゃま をされるかもしれない。でも、いずれそれも変わる。

 ……と、ここまで煽っておいてなんだが、それがかなり遅れる可能性はある。 実はこのカーメン氏の作った四輪駆動車椅子がある。すごいのだ、これが。いま の車椅子は、ちょっとした段差でも立ち往生、階段なんかあった日には断崖絶壁 にも等しい。ところがこの車椅子は段差なんかへっちゃらで、階段だってガシガ シ昇り降りしてしまう。

 さらにすごいのは、この車椅子は立てる! 四輪駆動の前の二輪だけでバラン スを取り、後ろのタイヤを持ち上げることで、椅子部分をぐっと高くできる。そ んなことに何の意味があるのか? 車椅子にすわっている人は、いつも立ってい る人に見下ろされるので、それが劣等感の一つの原因になるんだって。車椅子が 「立つ」ことで、目線の位置が立った人に近くなる。それが車椅子使用者にとっ ては、すごくうれしいのだそうだ。かっこいい。歩けるぼくだって、こんなもの が出たら買って日々使うかもしれない。そうなったら、車椅子に乗ることに対す る社会の見方はまったく変わるだろう。身障者「差別」とかいうものも一部は無 意味になるし、それが実現されれば、バリアーフリーなんてことを敢えて唱える 必要さえなくなるかもしれない。すごい社会的な意味を持った発明だ。

 でも、この車椅子は、開発から一年以上たっても発売の見込みがたっていない。 安全テストをあれもこれもと追加されて、いつまでたってもお役所の認可がおり ないからなんだって。やれやれ、もしいま自動車がなくて、それが初めて開発さ れたら、これもぜーったいに認可されなかっただろうね。

 でも、これも絶対的な影響にはならないだろう。アメリカや、あるいは日本で それが普及しなくても、いずれどこかでこれに似たものが普及するようになるだ ろう。それはジンジャー/セグウェイではないかもしれない。でもそれは、動力 と車輪をつけた簡単な移動手段であるはずだ。そしていずれその新しいテクノロ ジーを前提にした建物が生まれ、そして自動車を前提にしたアメリカ都市のよう に、この移動手段を前提にした都市が生まれるだろう。いくつかの既存都市も車 に無理に適応せずに十分な移動手段を提供できるようになって新しい命を獲得す るだろう。歴史を変え、人々の生活を変えてきたのは、いつの時代だってまずテ クノロジーだった。このジンジャー/セグウェイには、そういう変化の可能性の 萌芽が感じられる。

 近くのものはでかく見える。いま尋ねたら、多くの人は二〇〇一年のあのテロ 事件が歴史的な大事件だと真顔で答えることだろう。それが歴史の転回点だとか なんとか。でもぼくはそうは思わない。あと二〇年もしないうちに、あんな事件 はだれの意識からも消え去って「そんなこともあったな」くらいの扱いになるだ ろう。第一次世界大戦のきっかけになった、どっかの皇太子暗殺くらいの一エピ ソードになるだろう。そしてその頃、アメリカは、いま火事場泥棒的に成立させ ている減税の影響で財政赤字にヒイコラ言って、そしてその責任をなすりつける か、あるいはそこから目をそらせるために、別のスケープゴート探しを始めてい るかもしれない。アフガニスタンはその頃になってもまだ世界の最貧国の一つで あり続け、散発的な内戦状態が続いているかもしれない。テロは相変わらず、ほ とぼりがさめるたびにあちこちで散発し続けているだろう。政治は、社会は、ほ とんど何も変わっていないだろう。

 でもその頃に、世界の都市は少しずつ目に見える形で決定的に変わっているだ ろう。自動車がちょっと存在感を薄めて、人はいまとぜんぜんちがう形で動き回っ ているはずだ。そしていまから百年後のある日、二十一世紀をふりかえったみて、 人は思うかもしれない。ああ、二〇〇一年はT型フォードの量産が始まったのに 匹敵する転機だったんだな、と。二〇〇一年は、あのジンジャー/セグウェイが 初めて登場した、歴史的な年だったんだな、と。



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