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『ウィリアム・バロウズと夕食を』訳者(の片方)の後書き



山形浩生<hiyori13@alum.mit.edu>



 今回ぼくは、ただの三割翻訳者(印税的に)なので、解説も共訳者である梅沢の三割程度におさめておくのが慎みある態度と言えよう。従来のぼくに慎みを求めるのは八百屋に魚を売れというに等しいのだが、そこはそれ、ぼくも本書の刊行を待たずして社会人と化してしまったわけだし、いつまでもわがままを言っているわけにも行くまい。そう、人間あまり慎みがないと、本書の編者であるヴィクター・ボクリス氏のようになってしまうのである。

 できればぼくは、ブン屋でもないのに「奥さんを射殺したときのご感想は?」なんてきくような人間にはなりたくない。この人があっちこっちでやっている、変なへつらいめいた日和見もしたくない。幽体離脱体験がどうしたとかいうあたりに、特にそのケが強く出ている。「わたしは幽体離脱の経験はありません」「そうか、それじゃきみが泊まってるホテルの部屋を思い出してご覧。ホレそれが幽体離脱じゃよ」「おお、確かに離脱して、ホテルの部屋の真ん中に立ってました」。バカ言うんじゃねえ。まあ、へつらうのは当人の勝手だし、別にどうでもいいんだけれど、そのために突っ込みが浅くなってしまっているのはすごく残念だ。チャールズ・プラットというSF作家がいて、その人がバロウズにインタビューしたときは、バロウズの無茶苦茶な答にいちいち突っ込みを入れてもっと無茶苦茶な答を得ている。うとましがられていはいたけれど、バロウズのきちがいぶりをよく伝えていておもしろかった。適当に調子をあわせることでいろんな話を引き出すという戦術はわからないでもないけれど、おしまいのほうになればなるほど散漫なエピソードの集積になってゆくのは鼻白む。ちゃんと編集者についてもらって、枝葉は(まあいたるところ枝葉ではあるけど)刈り込むようにすべきではなかろうか。

 ありがたいことに、この日本では井口かおりという優秀な編集者がついて、本来なら原著出版段階で処理すべきこの刈り込み作業を引き受けてくれた。これによって、後半を中心に二割ほど削除された。というと、「なぜ全訳にしなかった!」と顔をしかめる方もおいでだろう。ぼくも高校生の頃はそうだった。でも、つまんなかろうと何だろうと全部出すなんて、編集の怠慢ではないか。あなたは本気で、「バロウズは今朝九時に起きて、ドーナツとコーヒーを飲んだ」だの「きょう、ばろうずさんがぼくにぷれぜんとをくれました。あけてみると、なかみはつえでした。とってもうれしかったです」みたいな文章を読みたいだろうか。おっかけじゃあるまいし、こんな些末な身辺雑記など読む必要はまったくない。しかもバロウズの身辺雑記ならまだしも、ほとんどがボクリスの身辺雑記なのだ。これはもう、ブロック削除一発しかあるまい。

 内容については、特に解説の必要もあるまい。バロウズが気楽にしゃべっている気楽な本だし、読む方としても好きなところから気楽に読んでいただければよろしい。いささか気楽すぎるのが本書の欠点だ、とは先に述べた通りだが、気楽でなくなるとバロウズというじいさんは黙ってしまうので、まあしかたないかな。そういう本だと思ってあきらめてほしい。もっと気楽でないインタビュー集として「お仕事」(The Job)という本があるし、最近になって日本のいろんな出版社がバロウズの版権に殺到しているというから(誰が訳すんだろうねぇ)、これもいずれ翻訳が出るのではないかしら。

 本書に関して言えば、ぼくはバロウズが好き勝手に昔話しているあたりが好きだ。特にテネシー・ウィリアムズとの会話は好き。「二〇年代のウィーンはよかったよなー」「うんうん、忘れられないねー。あのローマ風呂とかさ」「ああ、あったあった。よく行ったよ」。嫌いなのは、ボクリスとかマランガとかが、つまらない抽象的な質問を一生懸命しているあたり。「バロウズさん、恐怖って何でしょう」。んなもん、人に聞くなよな。「書くってどういうことなんでしょう」。知るかよ。こういうノリってほとんど新興宗教だよね。

 あと、多彩な登場人物が、はからずもその性格を露呈させているのもおもしろい。たとえばスーザン・ソンタグ。この女は基本的にでしゃばり。いつも自分がしゃべることばっかり考えている。ウォーホールは、横から茶々を入れてるのが一番好きみたい。ギンズバーグは、何だかんだ言いつつ、一番生真面目だ、等々。ここらへん、なまじボクリスに編集能力がなかったために、うまく雰囲気が保存されているのは拾いもの。

 さて、この本は完成にあたって、ハイ・タイムズというマリワナ雑誌と、アメリカ芸術委員会NEAからの補助金とを受けている。ハイ・タイムズと言えばアメリカ最大級のイカガワ雑誌、一方のNEA補助金と言えば、日本で言えば文化庁の奨励金に匹敵するようなエライ代物だ。どうしてこういうものが共存できるのかはわからない。バロウズのネーム・バリューのなせる技か、あるいはボクリスの政治的立ち回りのうまさ故の結果なのか。そういえば、イギリスでもバロウズの出版は、アーツ・カウンシルの補助を受けている。イギリスのアーツ・カウンシルというのは、機能的にはアメリカのNEAと同じようなもの。ただ、こっちはかつて倒産寸前のSF雑誌「ニュー・ワールズ」に金を出したりしているし、バロウズの出版物への出資もこれと似たようなものかもしれない。

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 さて、訳の三:七の分担についてふれておく。もともと本書は梅沢による全訳があり、思潮社から刊行が決まった時点で、梅沢の依頼によりぼくがそれに修正を加えるという形で訳を完成させた。本来なら共訳者として名を連ねるのはおこがましいのだが、ぼくは元来おこがましい人間だし、梅沢の希望もあってこういう形になっている。三:七というのは、訳への貢献度と、印税が収入源として各人にとってどれほど主要なものか(なんといっても梅沢は本職だが、ぼくはしょせん片手間翻訳者でしかない)を協議したうえで決定された数字である。訳の処理についても、最終的な決定権は梅沢に譲った。こうして長幼の序をわきまえているあたり、さすがに儒教的倫理の生き残る東洋の神国である。したがって、翻訳上の思わぬ誤りや事実の歪曲も多少はあろうかと思うが、ぼくは残念ながらそのうちの三割に対してしか責任がとれないという道理になる。そこらへん、関係各位のご理解をいただいた上で、お気づきの点があれば、ぜひご教示をたまわりたい。

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 おっと、許された「三割程度」の枠をすでに大幅に超えてしまったようだ。この文も、いささかとりとめがなくなってきた。ここらでvzエディタからぬけて、ダイナブックのスイッチを切ることにする(セーブしてからね)。


平成二年六月
山形浩生

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