『夢の書――わが教育』訳者あとがき

山形浩生 (1998年4月4日)
 
 

1. 書誌

本書はWilliam S. Burroughs My Education: A Book of Dreams (New York, Viking Books, 1995) 全訳である。

 本書はまた、著者の生前に出版された最後の本となった。今後、未発表作品などはちょろちょろ刊行されてくるだろう。メモなどは、まだまだ大量に残されているし、カットアップの残り物なども山ほど残っているそうだから。しかしながら、バロウズが出すつもりで自ら(ある程度は)書いたり編集したり目を通したりしたものは、本書が最後である。本書の発表と前後して行われたあるインタビューで、かれはもうすでに外部への刊行用には文を書いていない、と述べていた。

 本書も、まとまった形で通して書かれたものではない。謝辞にもあるように、これまで断片的に書かれてきたものを、とりまきたちが集めて編集したものである。でも、たぶんこの本を書いている時点で、バロウズとしても言うべきことは全部言っておくつもりでいるな、これでうちどめにするかはさておき、一回きれいに清算しておこうとしているな、というのはかなりはっきり読みとれると思う。これまで、ノスタルジックな形以外ではあまり触れられなかった家族との関係(特に老いてからの父母や兄との関係)、先立たれた息子に対する感情が、かなりストレートに出ているし、昔の恋人たちに関する記述も無防備なまでにはっきりしている。

 その意味で、本書はバロウズの諸作の中でもっとも内省的かつ自伝的要素の強いものとなっている。

 本書に唯一出ていないのはかれが誤って射殺した(そしてついに最後までかれが、「悪霊に憑かれた」とごまかし続けた)妻のジョーンのことだけだ。


作者について

ウィリアム・シュワード・バロウズ。二〇世紀後半の反体制アメリカ小説とアメリカ文化は、かれをぬきにしては語れない。一九一四年に良家の息子として生まれ、高い教育を受けながらも定職につかずにふらふらとモラトリアムを貫きとおし、そして当時まだ口にするだにおぞましいと思われていた、同性愛と麻薬中毒をはやくから公言。妻をパーティーの席上で(誤って)射殺、その後世界中を転々としつつ、大した小説も書いていなかったのに、ギンズバーグやケルアックとつるんでいたことでアメリカのビート世代の代表格の一人としてその名をとどろかせ、その後も時代の文化シーンの最先端をゆく都市には必ずといっていいほど姿を見せ、『裸のランチ』を皮切りにアングラ世界の俗語と、だれにも読めない言語実験の入り交じった小説を続々と発表し続けた。

 かれの影響には非常に大きなものがある。ギンズバーグやケルアックにとって、バロウズは自分たちのライフスタイルを先取りして実践していた大先人だった。ある人々は、反良識だから、モラトリアムだからというだけで、かれの作品にとびついた。さらになんとでも解釈可能なかれの言語実験が、一部の高踏的文芸理論と多少の共通性を持っていたため、ポストモダンを体現する大作家としてまつりあげられたりもした。そしてもちろん、不当な抑圧に苦しんでいたゲイにとっては、いちはやくカミングアウトしていたバロウズの存在がどれほど心強かったことか。

 このすべてを含めて、かれに影響された(あるいは親近感を公言する)作家やアーティスト、ミュージシャンは数知れない。そのすべてがいい影響だったとは言わない。非常に安易な垂れ流しや、言語実験と称するクズ以下の代物の量産を助長した側面は、ないわけではない・・・が、それはその当人たちの問題だろう。

 人はいつまでも若くはいられない。だが、バロウズだけは例外とも思える時期があった。一九五〇ー六〇年代にかれと行動をともにしていた人々は、ある人はクスリの濫用で死に、ある人は自殺、ある人はみっともなく中年化し、ある人は宗教にはまり、ある人は見苦しくボケ老人と化して、九〇年代に入ってからなだれをうったように続々と死んでいった。が、バロウズだけはカンサス州ローレンスに隠居しつつも、映画に出てみたり、コマーシャルに出てみたり、CDを出してみたり、絵に手をそめたりと、やりたい限りを尽くしていた。

 だがそのかれも、一応は人の子、老いと死は避け得ぬ身だったようだ(もっとも処女作『ジャンキー』で、かれはヘロインやモルヒネとその禁断症状が、細胞を飢餓状態にすることで若返らせるのだ、という珍説(念のため申し上げておくが、こんな説にはなんの根拠も裏付けもない、まったくのデタラメであるので、真に受けてクスリに手を出したりしないように!})を述べていて、それを自ら体現しているという見方もごく一部にはあったのだが)。一九九七年八月、かれは心不全で倒れ、翌日死亡。享年八十三歳。文句なしの大往生、であろう。


2. 本書の位置づけ

 バロウズの小説は、おおむねその執筆時期によっていくつかにグルーピングできる。

 まずは写実的な客観描写によるフツーの作家を目指していた『ジャンキー』『おかま』。後のバロウズに頻出する各種のモチーフやフレーズがすでにここに現れてはいる。これが五〇年代初頭のこと。

 これらの作品があまり売れなかったことで、バロウズは作家としてのキャリアに絶望する。そして妻の誤射殺を経て、モルヒネ中毒やその立ち直りと前後して、かなり強烈な被害妄想にとらわれることとなる。『裸のランチ』『ソフトマシーン』『ノヴァ急報』『爆発した切符』は、この現実が異星生命体に支配されている、麻薬のように中毒させられては禁断症状に苦しめられるように操作されているのだ、そしてそれが言語というウィルスとしてわれわれに寄生しているのだ、という説が、繰り返し唱えられている。そしてそれの対抗手段として、その後のバロウズの代名詞ともなるカットアップ、フォールドインという手法が使われている。文を手当たり次第に切ったり折ったりして並べ替えることで、新しい組み合わせの中から文に隠された(人々を無意識的に操作する)意味やメッセージを暴露しよう、というのがこの手法である。できあがった代物はほとんど(本人ですら)読むに耐えないものだったが、当時のバロウズは一日中この作業を続けていたそこらじゅうの文を切っては並べ、折っては並べているだけという、ほとんど自閉症に近い暮らしを続けていた。

 これだけであれば、バロウズも六〇年代にはいくらでもいた、ただの前衛実験小説作家として忘れられていっただろう。たが、この『裸のランチ』がボストンで発禁に近い扱いを受けたことと、有力書評紙で罵倒されたことから(いずれも手法などよりは、その同性愛描写が問題とされたのだが)、逆にバロウズは注目をあつめ、いちやくアメリカ前衛小説の代表格となってしまう。

 一九七〇年代にかれが多用したのは、『ワイルドボーイズ』『ダッチ・シュルツ最期の言葉』『映画ブレードランナー』など、映画のモチーフと、『おぼえていないときもある』などにおさめられた短編の形式である。

 そして一九八〇年代に入って、かれは『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』『デッド・ロード』『ウェスタン・ランド』というB級冒険活劇小説三部作を発表する。発表当時は、「カットアップからの手法的後退」「いや成熟だ」といった議論がなされていたが、実はこれこそバロウズがもともと書きたいと思っていた種類の作品であり、これが本来のバロウズのデビュー作だろう、という柳下毅一郎の指摘は重要。
 バロウズ研究者の多くは、バロウズの前衛性や理論的な高踏性を強調したくてたまらないので、なかなかバロウズがB級作家志望だったこと(そしてそういう資質を持っていたこと)を認めようとしないけれど、確かに少年時代のバロウズのあこがれは、少年向け冒険小説だったのだから。その意味で、この三部作が書けたことは、バロウズにとってはまさに本望だったのだろう。

 だから、なのかもしれない。その後のかれの作品は、妙に血の気の薄い、おとなしいものとなってくる。かれの興味も、絵やその他メディアへのゲスト出演など、小説以外の方向にばかり向けられる。
 その間をぬってぽつぽつ発表されたのが、『内なるネコ』『ゴースト』、そして本書だった。自分のネコたちにかつての知り合いたちや思い出を投影し、あるいはそうした動物たちの死を悼みつつ、世をはかなむ、あるいは本書のように、夢をねたにして回想にふけるといった、自伝的な要素をからめつつ、後ろ向きといえば非常に後ろ向きな、そして感傷的な思索にふけるのが、最近の作品に共通した特徴である。

 かつてのカットアップ時代にも、懐かしさや後悔は作品の大きな部分を占めてはいたけれど、でもこういう露骨なセンチメンタリズム(そして一種狂信的とも言えるような動物愛護論)は、『ノヴァ急報』のファンにしてみればいささか面食らうものではあった。もう、書きたいことを書き終えてしまったのではないだろうか。もう、書くことがなかったんじゃないだろうか。本書を読んで、そう思った人は多いのではないか。

 そしてまさにそれを裏付けるように、かれは二十一世紀を待たずして、次の世界へと旅だった。We are here to go――われわれは出発するためにここにいる、というのはブライオン・ガイシンのせりふで、バロウズお気に入りの一句だったが、数十年かけてかれはようやくこれを果たしたわけだ。


3. 本書の評価

というわけで、本書は一通り本望を果たしたバロウズが、やり残したことを片づけるためのシリーズ最終巻である。だが、かれが、この最期の三冊で行ったことは、いずれも深い回顧、懐かしさと後悔とノスタルジーに満ちた回想だった。そしてそれがいちばん色濃く出ているのが本書である。

だが、それは決して過去をきれいに清算して、すべてを許そう、というたぐいの老成したものではない。かつての恋人に対する嫉妬を語るときでも、まったく円熟したところが見られないのが、本書を読むときの大きな驚きだろう。夢の話だというので安心したのか、昔の嫉妬をむきだしにしている。悲しみはひたすら悲しく涙を流すだけ。

 だから本書から読みとれるバロウズは、決して幸せという感じではない。この世界でのいろんな居心地の悪さ、昔のいろんな人間関係の後悔やとりかえしのつかなさが次々に出てくる。ほったらかしにして、死なせてしまった息子。すねをかじりたおしつつ、何も孝行らしきこともせずに臨終すら看取ってやれなかった母。最期まで和解できずにぎくしゃくしたままだった父。両親の世話を押しつけっぱなしだった兄。言えなかったあの一言。

 が、その一方で、別にそれを暴露することについては、あまり深い感情を持っていないようだ。この世にもう未練はないし、別にもう昔の人とのことが明らかになって、それを世間の人がどう思おうと、どうでもいいや、という感じだ。かれがどこかで語っているように、かれにとってはもうこの現実よりも夢の世界のほうが、リアルで現実的なものになっているのだ。

いちばん深い感情がこもっているのは、献辞とラストに登場する取り巻きの若者の一人、エマートンの話をする時だけかもしれない。

 しかし夢のほうがリアルなのは、ある意味で当然だろう。本書で、かれが夢でいちばん多く出入りするのは、「死者の国」である。そこには、死んだ人々しか出てこない。でも、すでにかれの数多い仲間たちはすでに死に絶え、もはやこの世にはいない。バロウズにとってこの世にあるのは、悲しさと後悔とネコたちだけになっている。一方で夢を通じて訪れる「死者の国」には、かつての知り合いたちすべてがいる。前に書いたように、ここ数年でバロウズの仲間たちは続々と死んでいった。ティモシー・リアリー、ハーバート・ハンケ、アレン・ギンズバーグなど。かれらがすべて、夢のなかの「死者の国」にはいる。かつての恋人たちも、親も兄弟も子供も。飯がないと文句を言いつつも、かれはそこで非常に居心地よさそうである。

 老いとはそういうものなのかもしれない。人はそうやって、だんだん回想と思い出に引きこもり、死を受け入れる準備を整えるのかもしれない。ぼくにはまだよくわからない。
 ただ、バロウズ自身は、本書を書いたことでもう書くべきことや書きたいことはすべて書いた、と思ったようだ。あるいはもはや、完全に意識が死者の国のほうに入って、こちらの現実に向けて何か語ることに興味を失ったのかも知れない。かれが本書の後で書いていたのは、習慣でつけている日記だけだったようだ。

 しかし、とぼくらは考える。バロウズは、あれだけやりたい放題の限りをつくしてきた人間ではないか。クスリも、お稚児さん趣味も、旅行も、仕事につかないことも、映画出演もCDも。それが最期には、こうして悲しみをむきだしにしつつ、夢の世界に引きこもることになるのか。それしかなかったんだろうか。本書はぼくたちに、こういう疑問をいやおうなくつきつける。


4. ぼくたちとバロウズと

 これを書いているのは、一九九八年の四月。昨年後半、ぼくは何本バロウズの追悼文を書いたろう。それらはこの本の翻訳と並行して書いたので、いきおいその多くは、いまの疑問を繰り返すものとなっている。あんなうらやましいほど自由で無責任な一生を送ってきたバロウズが、最期に徘徊していたのは後悔と悲しみに満ちた思い出と夢の中だったとは。なぜだろう。それしかなかったんだろうか。

 結局はそれは、敗北だったのかもしれない。自由と無責任を捨てて大人になり、家庭を築いて親を看取り、子供を育てて孫に囲まれて往生――実はそれが本当の幸せというものであり、モラトリアムには後悔と悲しみしか運命づけられていないのかもしれない。

 でも、敗北であるにしても、それは偉大な敗北であった。バロウズ以外の人間が、前に述べたようにだれもそれをここまでつきつめることはできなかったんだから。ほかの連中はドラッグに殺され、宗教で首を絞められ、ボケに襲われ、耐えきれずに自殺――バロウズだけが、自由と無責任をつらぬきつつ、最後の最後までピンピンして生き続け、大往生をとげることができたのだ。少なくともかれは、そこまではやってみせてくれたのだ。

 バロウズの同時代人はもとより、かれのもっとも正統的な後継者と目されていたキャシー・アッカーでさえ、それはできなかった。彼女が乳ガンで一九九七年暮れに死亡したことをぼくたちは報されたのだけれど、それがメキシコかどこかのインチキ・ニューエージ・ヒーリングクリニックだったことには少なからず驚かされた。あの(必ずしも頭はよくなかったけれど)パワーに満ちたやりたい放題の姐ちゃんが、いざとなるとそういう無様で見苦しいうろたえ方を見せるとは。アッカーはどこで道をはずれてしまったんだろうか。ぼくたちはそれを考えてみなくてはならない。知性と、意志と、立ち回りと、ほんのちょっとの運さえあればだれにでもできそうなバロウズのまねが、なぜこんなにもむずかしいんだろう。それをきちんと考えてみる必要がある。自分たち自身のために。

 だからぼくたちはこの本を、哀悼とある種の失望をこめて読む。しかし同時に、きわめて具体的なテキスト/ 教科書としてじっくり読みもするだろう。ウィリアム・バロウズはここまで(しか?)くることができた(できなかった?)。その先へはどうすれば行けるのだろうか、と思って読むやりかたと、バロウズですらこうだった。いわんや―― と読むやり方と。ぼくたちは、どういう選択をするのだろうか。どちらが正しいわけではない。しかしそこでの一人一人の選択が、日本の、そして世界の文化的な方向性を決定することになる。

 さて、ウィリアム・バロウズにはいろんなことを教わった。でもここらで、バロウズにさよならを言おうと思う。バロウズの主要な未訳書は、まだ何冊か残っていて、一部は翻訳の予定もある(はいはい、なるべくはやくあげますので)。残った草稿やらなんやらの権利をめぐって、かつてのとりまきどもがそろそろみっともない動きを見せはじめているらしい話も、ちょっと聞こえてきてはいる。でも、何かまったく新しいものを期待しちゃいけない。エラリー・クイーンではないけれど、もはや証拠は日本語で出そろっていて、残った本はそれを補強するだけのものなのだ。本書も含めてかれの小説から、あるいはライフスタイルから、ぼくたちは何を読みとる(あるいは応用する)のだろうか。バロウズはすでに次に旅立ってしまったけれど、ぼくたちはまだここにいる。そしてWe are here to go. まだ時間はある。われわれすべてがくたばるまで。

 本書の編集は、小川哲氏が担当された。
 

一九九八年四月
ニューデリー/大森にて

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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@mailhost.net)