『内なるネコ』

「内なるネコ」解説

(ウィリアム・バロウズ『内なるネコ』1994、河出書房新社)
山形浩生



 1985 年 5 月 4 日。ウィリアム・バロウズは、七〇歳記念出版となる「ネコの本」のうちあわせのため、住まいのコロラド州ボウルダーからニューヨークに飛ぼうとしていた。うちあわせの相手はブライオン・ガイシン。画家。一九五〇年代にタンジールで出会って以来、バロウズの最大の友人の一人だった人物である。もちろん、その「ネコの本」とは本書(の原形)のことだ。

 作者のウィリアム・バロウズは 1914 年生まれ。アメリカで一番変わり者の、おじいさん作家だ。むかしはすっごいジャンキーだったんだよ、とか、冷酷な顔のくせにホモの女役なんだよ、とか、奥さんを殺しちゃったんだよ、とか、ゴシップねたには困らない人で、だれにも読めない変な小説をたくさん書いてるうちに、いつの間にかアメリカのアングラ業界のゴッドファーザーになってしまった。最近、代表作『裸のランチ』が映画になったので、観て混乱した人も多いと思う。この映画の原作も河出書房新社から訳が出ていて、たぶんこの本のとなりにあると思う。ほら、その変な泣いてるみたいな顔のついた本。

 幼少時のバロウズは、病弱で内向的で陰気な子だった。両親はアメリカ中西部の新興成金一家で、庭師や家庭教師や女中を雇えるくらいの資産家だったが、上流階級に入り込もうとしては今一つ受け入れられずにいた。母親はもともと神経質だったこともあり、それをかなり気に病んでいたようだが、詳しくはわからない。おそらく幼いウィリアムの性向も、そうした環境に影響された面があったのだろう。当時、熱にうかされて幻覚をしばしば見た話はあちこちで書かれている。本書にも、その当時見た小人や鹿の幻覚の話が登場する。

 内向的な性格はその後も続き、スポーツや野外活動などにはまったく無関心。親に言われて入学した全寮制のロス・アラモス農場高校とはまったくなじまず、中退している。この学校のアウトドア指向の教育方針には、今でもかなり怨みを抱いているらしい。しつこい爺さんだ。学校やその教員に対する悪口は作品中に無数に登場するし、本書も例外ではない。無邪気なアライグマを無意味かつぶざまに射殺する教員の描き方にこめられた悪意は、半端ではない。しかし一方、かれが自分の同性愛指向に目覚めたのはこの学校でのことだった。冒頭近くの「生き物を抱きしめる夢」に感じられる何やら性的な雰囲気は、おそらく当時のものだ。

 親の希望でハーバード大学に入学。卒業してからも定職につかず、親にたかってヨーロッパに旅行。さらに大学院、メキシコ大と学生生活を続け、その過程で麻薬や娼婦・男娼買いを覚える。バロウズはおかまではあるが、女ではどうしてもダメというわけではない。むしろ男寄りの両刀遣いという感じだ。本書に登場するパンタポン・ローズは実家の近所の娼館のマダムで、朝帰りのバロウズが、父親の友人たちと顔を会わさないよう配慮してくれたりと、非常に気の利く人物だったようだ。バロウズ作品の常連である。

 同時に、この頃同性愛指向が親の知るところとなる。気まずい沈黙。

 しかしそれ以外ではうまいこと徴兵も逃れ、気楽な暮らしを続けつつ、バロウズは各地を転々としつつ、一九四三年にシカゴに赴く。そこで出会ったのが作家志望のジャック・ケルアック、詩人のアレン・ギンズバーグ、そして後の内縁の妻ジョーン・ヴォルマーだった。

 ジョーンは非常に知的で繊細な女性だったが、セックス方面の経験も豊富で、いずれの方面でも非常にバロウズとウマがあった。数年後に妊娠、出産。その後バロウズはさらにあちこちを転々とするが、いつもジョーンがいっしょだった。そして落ち着いたのが、メキシコ・シティである。本書でも、メキシコ・シティのお稚児さんだったアンヘロの話がチラッと登場している。ある日、ボーイフレンドにつれなくされて落ち込んでいたバロウズは、パーティーの席上でジョーンの頭にシャンペングラスを乗せ、それをピストルで撃とうとする。射撃の名手として知られていたバロウズを止める者はだれもいなかった。狙いははずれ、弾はジョーンにあたる。時に一九五二年。

 この事件で、もちろん息子のウィリアム・バロウズ・ジュニアは祖母に引き取られることになる(もっとも、それまでだってほとんど預けっぱなしに近い状態だったとは言うが)。バロウズは親の金で保釈。しばらくメキシコや南米でうろうろしてから、一九五四年にかれはモロッコのタンジールに向かう。これには、その直前にギンズバーグにふられたことも大きく作用していたらしい。

 当時のタンジールは、国際統治区域であり、法人税も関税も皆無。白人たちがわがもの顔で幅をきかせ、現地人たちはそれにたかるのが一番楽な暮らし道だった。そこに形成されていた、一種の知識人サークルの中心にいたのがポール・ボウルズ、そしてその妻ジェーン・ボウルズである。

 ジェーン・ボウルズは、一部によれば、ジョーン・ヴォルマーと似たところがあったという。繊細で、知的。それ以外の特徴としては自分に自身が持てず(作家としては後発の夫が、『シェルタリング・スカイ』で圧倒的な成功をおさめたこともその一因ではあった)、感情的にも不安定。バロウズは、ポール・ボウルズとはあまりウマがあわなかった(これは世間体をえらく気にするポール・ボウルズが、ホモで麻薬中毒の人間とのつきあいを恐れたためとも言われる。とはいえポール自身、モロッコ人のお稚児さんに熱をあげている最中だったのだが)が、狭い世界でもあり、ボウルズ夫妻とはしばしば顔をあわせていた。

 この頃のバロウズの愛人がキキだった。モロッコ人。その人となりについては、本書に登場する程度のことしかわからない。バロウズの小説の常連の一人であり、いつも深い喪失感と結びつけて語られる。あるとき突然いなくなってしまった、ペットのような愛人。風の噂で死んだと聞いた昔の恋人。

 ブライオン・ガイシン。画家。モロッコ時代に出会ってはいたが、バロウズと本格的なつきあいが始まるのは、バロウズがモルヒネ中毒を脱してパリに移った一九五八年からのことだった。ここでかれらはカットアップの理論を編み出し、バロウズが夢中になってそれを物書きに応用し始める。そこから生まれたのが『裸のランチ』、そして『ソフトマシーン』『ノヴァ急報』・・・

 一九六一年、ロンドンに移住。一九六三年、ボーイフレンドのイアン・サマーヴィルとともにタンジールに戻っている。だがこの町は、すでにかつての活気を(少なくとも白人たちにとっては)失っていた。国際統治都市の地位を失い、モロッコの一港湾都市となったタンジールは、かつてのバブルじみた経済的活況など跡形もなくなっていたのだ。バロウズにとってのタンジールは、かつては犯罪者で麻薬中毒でおかまの自分をそのまま受け入れてくれる、自由とエキゾチズムの象徴だったが、今回は変化と失望を象徴する場所となったわけだ。本書にも当時の話が何度か登場している。

 一九七四年、かれはロンドンからニューヨークに戻る。一九八一年、久々の大作『紅夜の都市』(邦題:シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト)出版。翌一九八二年、カンサス州ローレンスに移り、『どんづまり』(邦題:デッド・ロード)、『西部の地』(邦題:ウェスタン・ランド)の執筆を続ける。

 本書に描かれたネコたちとの暮らしは、『紅夜の都市』から『西部の地』が書かれる八〇年代前半、カンサス州ローレンスでのものがほとんどだ。『西部の地』(邦題:ウェスタン・ランド)以来、バロウズはこれといった作品を書いていない。旧作や未発表作のコレクションを除けば、わずかに超短編集『竜巻横丁』(邦題:トルネイド・アレイ)と、次の長編の一部と言われる短編「マダガスカルの幽霊レムール」「キリストと絶滅動物博物館」だけである。いずれも本書と似たテーマを扱ってはいる。絶滅した(しかかった)動物。後戻りできないほど破壊された地球。絶望と喪失感。

 こうした絶望は、たいがいがバロウズ個人の、特に家庭的な後悔と並置されて語られる。最後まで父親とうまくいかなかったこと、老いた母親の世話を全部兄に押しつけ、自分は好き勝手に遊び歩いていたこと。息子の世話を放りだして、結局何もしてやれないまま死なせてしまったこと。そして何よりも妻を射殺してしまったこと。絶滅した動物、あるいは本書の場合はか弱いネコたちが、こうしたバロウズの人生における人々と重ねあわされて、深い失望を伴なって登場する。

 それぞれのネコが、本当にこの人たちと似ているのか、それはだれにもわからない。年寄りが感傷的になって、見たいものを見たいところに見ているだけなのかもしれない。人間は勝手なものに勝手なイメージを重ね、勝手なストーリーをつくりあげてしまう。そういえばバロウズ(そしてガイシン)の理論であるカット・アップも、偶然隣り合ったものが何か意味を持ってしまうというものだった。が、これはあまりに深読みが過ぎる。

 とはいえ、失望感とは裏腹に、本書に披露されたネコ好きぶりは、ほとんど気はずかしくなるほど天真爛漫でほほえましいのも事実である。

 さて、いい加減、愛ネコ談義が続いてゲップが出そうなので、口直しにこんなお話を。

 今年の春、支那は広州におもむいたぼくは、観光客としての務めを果たすべく、あの驚異のゲテモノ市場(と一部では称される)清平市場に出かけたのだった。そこには、牛やブタやヤギや、ヘビや犬やタヌキに混じり、食用ネコも売られているのである。

 面白いことに、犬でもそうだけど、ネコでも食いネコと飼いネコは区別されているらしい。食いネコは、一辺五〇センチくらいのかごの中に、二〇匹くらいがギュウギュウ詰めになっている。それが五つくらい積み重ねられているのだけれど、その外を市場の飼いネコがウロウロしたりして、かごの中とケンカをしている。もちろん、かごの外は人間で異様にごったがえしているため、あんまりウロウロしていると飼いネコといえどもすぐに蹴飛ばされてしまうので、そうそうのんびりケンカに興じているわけにもいかないようなのだけれど。

 一方のかごの中の食いネコどもは、さすがにネコだけあってしぶとく、朝八時半の山の手線並みの詰め込まれかたをしているのに、フーッだのミギャアだのとわめきたて、争いをたやす気配もない。が、そこへ地元の婆さんがやってきて、おもむろにその食いネコを指差して、なにやら店の人とひとしきりやりあっている。「ちょいとこのネコ一匹! それじゃないって、そっちの奥の活きのいいやつ! 皮は剥いで、ワタはとって別にちょうだいよ。後で取りにくるからね」てなことをわめいたらしい。が、これは推定。

 婆さんがまた人ごみにまぎれたあたりで、店のおばさんはそのかごに、手袋をはめた手を無造作につっこんで、ネコを一匹鷲づかみにした、と思う間もなくまな板に叩きつける。フギャー、と声をたてかけたところでネコは気絶。そこをおばさん、目にもとまらぬ早業で皮に切れ目を入れると、ビビッとネコ皮をあっさり(ヒェー!)一発で剥いでしまった。赤むけになったネコは、何が起きたかもわからぬ様子。ピクピクけいれんして、まな板の上でひきつっている。大国主尊のガマの穂でも、こうなっちゃあ手のほどこしようはないだろう。

 何だか知らないが、その時の広州にはフランス人の観光ツアーが群れていて、あちこちで日本の団体観光客と張り合ってたんだが、この時もまわりで「あふぉみだーぶる!」とかわめきつつ、あたりをビデオで撮りまくっていて、だけど生皮剥がれたネコを見た時には、こいつらがすんごい顔になって一瞬絶句してくれて、月並みな表現だけれど、ぼくは噴き出したいのをこらえるのにえらく苦労しましたとも、ええ。その絶句するフランス人の目の前で、店のおばさんは臆することもなく、ネコの解体作業にとりかかるのだった・・・と書きたいところだが、皮を剥いですぐ、おばさんはどっかに行ってしまって、ネコはいつまでもまな板の上でひきつっているばかり。あれは血抜きはしないのかしら。それともガチョウみたいに、苦しめて殺したほうがうまくなるってやつかしらね。

 同族がそういう目にあっているというのに、件の飼いネコのほうはと言えば、あまり気にする様子もなく顔を洗ってたりしたのだが、ネコとはやっぱそういうもんなのであろうか。それとも単に、見えなかっただけなんだろうか。ぼくはなんとなく前者のような気がするので、やっぱネコってやーね、と思うのである。

 それにしても、食料難にでもなれば、あの飼いネコも食いネコに早変わりするのであらふなあ。善哉、善哉。

 清平市場の出口のところには、「広州市動物愛護協会」という垂れ幕がかかっていて、「猫」という字が目に入った。どうせ欧米かぶれの反革命黄色分子が、「対中感情改善のため、ネコを食うなどという野蛮な風習はやめましょう」みたいなことを言ってるにちがいない、と思ったら、これがまったくの猫ちがい。「大熊猫の毛皮を売る密猟商人には注意しましょう!」という表示で、いやいやおそれ入りました。

 出発まで二時間ほどしかなかったんだけれど、これはもう食いネコをどっかで食らうべえ、と思ってちょっとあたりを探してみたんだが、よくわからなかった。犬なら狗鍋がどこにでもあるのだけれど、ヘビとかネコとかタヌキになると、さすがに日常的に食べるものではないらしい。前の晩、ヘビを食ったらえらく高くついた(ちょっとつまむってわけにはいかなくて、一匹全部その場で食べなきゃならないのよ)こともあって、結局犬で我慢してしまった。ネコはまた次の機会に、というわけなんだが、それにしてもウィリアム・バロウズをここにつれてきたら、そのまま卒倒して天寿を全うしてしまうかしら、というのが、本書を訳し終えたいまのぼくとしては、ぜひとも知りたいところである。


 天寿といえば本書の原著の原形は、ウィリアム・バロウズの七〇歳記念か何かで、1986 年に限定 133 部で発行された手刷り手製本だったんだっけ。それに多少の加筆を行って 1992 年に刊行されたものが、訳にあたっての底本だ。バロウズの著書の中では、これまでで一番お気楽にかかれた本だろう。婦女子にも安心して薦められる、バロウズ入門としても最適な本かもしれない。ただし、本書で入門した場合、次に何を読むべきかは非常に迷うところだ。なお、作者のバロウズじいさん、八〇にも手が届こうというのに、もうろくはしてきたらしいけれど、まだ一向に天寿に達する気配もないという。あやかりたいものである。


 バロウズは、旅行経験が豊富な人ではあるけれど、別に「地球の歩き方」的な旅行をしていたわけじゃなくて、どこへ行っても欧米式のレストランでステーキを食べていた人だから、たぶんメキシコでもネコ肉などは食ったことがないはず。もっともメキシコにネコ喰いの習慣があるかどうかは知らないけど。本書の調子から見ると、ネコ食い野郎なんざ殺してもいいってことになりそうだ。歳をとって、とみに偏屈ぶりを高めているというし。俗説に、阿片戦争の原因は犬だった、というのがあって、犬を愛するイギリス人が友好のしるしに猟犬をプレゼントしたら、支那側から「ありがとう、とてもおいしかったです」という返事がかえってきて、それでイギリスが逆上して「ぶち殺したれー!」ってことで阿片戦争が開戦いたしました、というのだけれど(ちなみにこれ、まったくの冗談よ。時々本気にする人がいるもんで、念のため)、あのいい加減で過激なウィリアム・バロウズだったらたぶん、あの市場での情景だけを根拠として(卒倒して死んでなければ)広州に戦術核兵器の使用をも辞さないのではないかしら、と考えるのは、楽しいことではあるなぁ。ね。


 本書の翻訳は、明石綾子氏による PC-9801VM2+一太郎Ver4.3+ATOK7 上で作成された下訳をもとに、J3100GT+VzEditor Ver.1.57+WX2 Ver.2.51 で修正と改訂を施している。明石氏の尽力に感謝する。ありがとう。

 本書の編集は、小川哲氏が担当された。

平成五年の黄金週間
品川にて


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