「ラスベガスびくびくゲロゲロ紀行」(ハンター・トンプソン)訳者あとがき



 本書はHunter S. Thompson Fear and Loathing in Las Vegas: A Savage Journy to the Heart of the American Dream全訳である。翻訳の底本としてはVintage版のペーパーバックを使用。辞書は使っていない。ばかやろう、こんな勢いだけの本を、チマチマ辞書なんかひいて訳してられっか。死んでしまえ。わかんないとこは(4カ所)みんな人にきいた。


この本について

 この本はもともと、『スポーツ・イラストレイテッド』用の250語の写真キャプションだったそうな。ちょうど、著者が警察によるメキシコ系新聞記者の殺害についての記事にとりくんでいるところで、精神的にもきつい状態で、なにか軽い仕事を、ということで手をつけた仕事だった。

 この記者殺害の件でつきあいのあった弁護士が、メキシコ系移民(のヤバイほう)とのつながりが深かった、オスカー・アコスタという男で、もちろんこいつが本書の「弁護士」のモデルだ。当時は、この事件もあって反白人感情がメキシコ系移民の間に高まっていた頃。特にこの弁護士は、チカーノ地位向上運動の主要人物で、白人とへたにつるんでいると野合していると思われかねないし、さらにこのトンプソンが信用できるやつかも確信が持てなかったらしい。だからこの弁護士は、密約をしていたという疑惑がかからないように、かならずまわりにだれかいるところでハンター・トンプソンと話をしたんだそうな。トンプソン側としては、まわりに反白人感情を露骨に見せている連中がたむろしているところでは、仕事がやりにくいことこのうえない。そこで、『スポーツ・イラストレイテッド』の話がきたときに、弁護士もいっしょにつれていって、骨休めもして、ついでに取材もゆっくり落ち着いてやろうではないか、と考えた……かくして二人は、一路ラスベガスを目指したのだった。

 さて、目的通りゆっくり落ち着いて取材ができたか。どう思うね、この本を読んで。もちろん、この本に書いてあることすべてが実話だなんて思っちゃいけない。でもかなりのバカ騒ぎはやっている。赤いコンバーチブルであちこち乗り回すというのもやっている。その他、アレとかコレとか。んでもって、かなりちゃんと話はきけたらしいのだ。「赤いコンバーチブルで砂漠を走り回ってると、盗聴器の心配もないし、だれかに聞かれるおそれもないし、やっとアコスタもしゃべるようになった」とのこと。で、かれが出廷するために先に帰って、ハンター・トンプソンはホテルの勘定書がたまりすぎてどうしていいかわからずにおろおろしつつ、36 時間ぶっ通しで部屋にこもり、この本のネタとなるメモを書き続けた。もちろん、勘定は踏み倒して逃げたのは、本当らしい。

  さて、作者はなぜこんな本を書いたのでしょうか。『スポーツ・イラストレイテッド』に頼まれたから、というのは、きっかけではあるけれど理由ではない。ちなみにハンター・トンプソンは、『スポーツ・イラストレイテッド』には予定分量の 10 倍の原稿を送りつけたために即座に却下、経費ももらえなかったそうな。わおう。んでもって、書き上がった部分を『ローリングストーン』に持っていって、編集者が気に入ってくれて、それでやっと出版のめどがついた。

  同時にかれは、記者殺害事件の記事のほうも書いていて、この『ラスベガス』は、その骨休めという意味合いも強かったらしい。昼間は一日中寝ていて、夜になると猛然と殺害時件の記事を書き始める。こっちはかなりまともな記事で、ふつうのジャーナリズム的な配慮も要求されて、かなり気をつかったらしい。そして夜明け頃に、1 時間くらい、ひたすらこのラスベガスの発狂した妄想を書き連ねる。「気を静めるために」これを書くって……

  そして作者はまたこれを、60 年代ドラッグカルチャーへの醜悪な墓碑銘、とも呼んでいる。これを理解するには、ちょっと時代背景を考えてやる必要がある。


時代背景

 時代は 1971 年。60 年代の熱狂がおさまり、すでにヒッピー革命もドラッグ革命も、みんなが期待したような形では起こらないのが明らかになりつつあった。まだ、敗北感というほどのものではなかったかもしれない。でも、すでにピークは過ぎた雰囲気は確実にあった。楽屋裏では、ニクソンが民主党本部の盗聴をやったりして、さらにキッシンジャーがニクソン訪中の手はずを整え、一方でベトナム戦争も本格的に泥沼化。きれいなすっぱりした勝利があり得ないのは、もうだれの目にも明らかになってきて、国内でも反戦運動が盛り上がってはいた。さらにニューヨークでは、本書の不肖訳者めが小学校に通っていたりしたのだが、それはまた別の話だ。

  もちろん日本では、大阪万博が終わってなんだか日本がいっちょまえに経済大国できますたい、という気分になりはじめていた頃。新宿の花園神社では、寺山修司だったか唐十郎だったかが……というようなはなしは、ぼくが知るよしもない。まあでも、べ平連とか全共闘とか、しけた代物はいろいろあったという噂はいろいろ聴いている。でもやっぱり浅間山荘事件とかで、いろんな形でかつての楽天的な社会改革の可能性は、日本でもほとんど消し去られていったあとじゃあなかったんだろうかとは思う。

  この本は、そんな時代背景で書かれている。これはとても大事だ。この本は、単純な小説ではないし、かといってノンフィクションでもないし、なんだかよくわからないもので、ただまあ強いて言うとすればある時代の終わりのようなものをなんとなく描こうとしたような気分がなきにしもあらずかもしれない、というような感じのものだったりもするからだ。どどどどどどぉぉぉぉっと酒だクスリだ車だ警察だぁぁぁぁっ!と3章くらい怒濤のように走り抜けたところで、この本はどころどころなーんかしんみりしたようなエアポケットみたいなところに出てくる。そこでこのアル中ヤク中が妙に感傷的になってぶつぶつ言っているいろんなことは、こういう時代背景がわかってないと、ちょいわかりにくい。

 もうちょっと説明しようか。六〇年代(のアメリカ)では、世の中が本気で変わるだろうという希望があったのだ。
 その一つの原因は、アメリカが戦後のすさまじい高度成長を経て、ある種の閉塞状態に陥っていたことがある。各種の中央集権的なやり方が、必ずしもうまくいかないのが見えてきた。官僚主導型の政治経済政策にしてもそうだ。都市計画だって、むかしみたいなマスタープラン式の計画がだんだん破綻しつつあった。あちこちで起こっていた公害問題もそうだ。そしてだんだん浮上してきた人種差別の問題。

  でも、なによりも大きかったのは、みんなが退屈していたことだと思う。五〇年代、六〇年代を通じて、いまのアメリカにつながるライフスタイルはほぼ完成したといっていい。健全な郊外住宅とサラリーマン生活。たぶん何をやっても喰うには困らない。でも、こんなのでいいのだろうか。先が見えちゃっててつまらないじゃないか。もっと別の、もっとおもしろい世界があるはずじゃないか。そしてその希望に答えるように、新しい動きが次々と登場してきた。

  ある人は、ドラッグにその希望を託した。ドラッグ、特にLSDとかをやると、幻覚とか見えて、気分が大きくなる。いまの自分から解放されたような気分になる。それをコントロールして使えば、みんなをもっともっと善人にしたり、もっと器の大きい人物にしたりするようなことだってできるはずだ。こういう考え方を主導していたのが、ティモシー・リアリーという人物だった。この人は、本書の中にも名前が何度か登場するのでおぼえておこう。こないだ死んだ。
 ある人は、セックスが答えだと思っていた。みんなが自由にセックスすれば、みんなもっと仲良くなって、社会がよくなるんじゃないか。
 もちろん、共産主義が答だと思った人もいる。黒人解放運動と、ベトナム反戦デモとが変な形で結びついて、暴力革命でいまのあらゆる体制を打破して人民が権力を手にするのが答だ、と考えていた人もいる。第三世界の人民との連帯が大切だと説いた人もいる。
 宗教が答だと思った人もいる。みんなインドに巡礼して、変な導師さまにひっかかったり、禅寺にやってきて、超能力が使えるようになると思っていたりするおめでたい連中がたくさんいた。

 もちろん、その末路をぼくたちは知っている。ドラッグでいまの自分から解放されるのは、結局は逃避でしかなかった。セックスは仲良くなるだけではなくて、ケンカのネタにもなったし、それにエイズが出てきて決定的に事態は変わってしまった。共産主義は、まああんな状況だ。当時はもちろんベルリンの壁の崩壊なんて予想だにしなかったけれど、ソルジェニーツィンなんかが出てきて、ユートピアかと思われていたソ連や中国が、実はすさまじい人権弾圧強制収容所国家なのもだんだんわかってきたし、次々に五カ年計画で恐るべき生産性の向上をとげていたのが、パタッと成長がとまってしまい、昔のような希望は抱けなくなっていた。黒人解放運動はそこそこの成果しかあげていない。宗教は、オウム真理教をごらんよ。あるいは当時なら、チャールズ・マンソンが人々を血祭りにあげていたわけだ。

 そして七〇年代はじめ、この作品が書かれる頃には、こうしたいろんな改革運動の間でも衝突と内ゲバが展開されていた。武闘派の黒人解放運動ブラック・パンサーのリーダーが、LSD教の教祖たるティモシー・リアリーをアルジェリアに拉致するというまったくわけのわからない事態が起こり、ローリングストーンズのツアーの護衛をしていたヘルズエンジェルスたちが、ベトナム反戦系の学生たちの多かったストーンズコンサートの観客に襲いかかり、大惨事を引き起こした一件もあった。一方でベトナム戦争は終わる気配もない。結局、あの時代、あの希望、あの騒ぎって、なんだったんだろうか。

 70 年代頭の大きな失望とはそういうことだ。この本でも、ハンター・トンプソンは常にその失望というか絶望を抱えながらうろついている。ときどき間にはさまる各種の新聞記事をごらん。そして主人公がふと、たまに静かになったときにふける回顧。結局、世の中なにも変わらなかったじゃないか。あれだけベトナムでひどいことをやっておきながら、相変わらずニクソンが政権についているじゃないか。そして一方では、小市民どもがベガスでケチなばくちに精を出したり、こんなピントはずれの麻薬対策会議をやったり。どうなってるんだい、世の中は。結局何も変わらなかったじゃないか。かれがこれを、六〇年代ドラッグカルチャーへの墓碑銘と呼ぶのは、そういうことだ。

  それ以外でも、知っておいたほうがいい小ネタはいろいろある。ラスティとかカリー軍曹というのは、いわゆるソンミ村虐殺事件の主役だ。スパイをかくまっている、ゲリラをかくまっているといって、ラスティ・カリー軍曹が非戦闘員ばかりの村を焼き討ちにして全員虐殺した。この様子が報道されて、米軍が正義のためにベトナムで戦っているのだというおはなしはほとんど崩壊。たかが軍曹ごときが、思いこみ一つで非戦闘員(ただしベトナムの場合だれが非戦闘員かというのはとてもむずかしかったのは事実だけれど)の村丸ごと一つ虐殺してしまえるなんて、アメリカ側がかなり常軌を逸していることが如実に示されてしまった。

  また、ローリングストーンズの「悪魔を憐れむ歌」とかジェファーソン・エアプレーンの「ホワイトラビット」とかは、常識以前の代物なので当然知っておくように。映画のサントラに、知っておくべきほとんどの曲は入っている(「悪魔を憐れむ歌」は入ってないけど)ので、付け焼き刃勉強用には好都合。ところでこのサントラには布袋寅泰が参加してるのぉ? へえ、すごいじゃん。ところで布袋といえば、この文を書くときに検索をかけていたら「中国にいったときに、隣に布袋さんのような人がすわってびっくりした」という文があって、うーん、そんなガタイでかくて目つきの悪いヤツに隣にすわられたら、そりゃおっかないよなー、と思って読んでいたら、ほのぼのした話が続いてわけわかんなくなってしまい、考えてみれば布袋さんってったらあの布袋じゃなくて七福神の布袋さんだわなー、という、それがどうした!

 クスリについての基礎知識もあらまほし。特にこの中で「吸い取り紙」というのがしつこく出てくるのは、全部 LSD のことだ。LSD は、ふつうは吸い取り紙にしみこませて、それを口に入れて摂取。それと、アミルというのは強心剤の一種だけれど、覚醒剤としてもかなり強い。棒状になっているのを鼻の下で折って吸うんだ、というのはぼくも映画を観て初めて知った。その他、本書には幻覚剤と覚醒剤系はいっぱい出てくるけれど、ヘロインとかのダウナー系は出てこない。その理由は本文中に書いてあるので、そちらを参照のこと。

 それと、是非とも留意してほしいのが、経済状況の差である。七〇年代にアメリカはすさまじいインフレに見舞われており、それにともなって物価水準がかなりあがってしまっている。だからこの時代のお値段を今の感覚でみると、まったくわけがわからなくなる。感覚としては、ここに出てくるお値段をおおむね 10 倍くらいすると、いまの感覚に近くなるだろうか。本書ではしきりに「75 ドルのホテルスイート」というのが出てくるが、いまはラスベガスのどんなぼろ宿でも、こんな値段ではすまない。しかし本書での七十五ドルというのは、これが超高級ばか高スイートだったんだ、ということを伝えるための数字だ。いまの感覚だと、750 ドルのスイート、という雰囲気だ(それでも安いな)。


ハンター・トンプソンについて

 ハンター・S・トンプソンとは一言で、谷岡ヤスジまんがの現実アメリカ版である。「バーロー、ブッ殺したるけんね!」を乱発しつつ、何の勝算もなく殴り合いと撃ち合いと二日酔いの真っ只中に転がりこんで、事態をややこしくした挙げ句、逆にボコボコにされて放り出される、みっともない腐れオヤジ。だが野次馬の我々は、そのオヤジの蛮勇に惜しみない無責任な拍手と声援を送るだろう。ハンター・トンプソンも、同じく無責任な喝采にふさわしい、頭に血がのぼりやすいぶざまなおっさんなのである。

 かれはゴンゾー・ジャーナリズムの親分だというのがふつうの評価だ。ゴンゾージャーナリズムって何だ?ふつうのジャーナリズムにおいてよいとされる、客観公正中立という原則を無視したノンフィクションのスタイルだと思えばいい。外側から客観的に対象を見て書くというのがふつうのジャーナリズムの方法論。たとえば新聞記事の多くは、とても事務的なふりをした書き方になっていて、事実だけを報道することになっている。実はそんなのはまるっきりウソで、何をどう報道するかには常にその人の視点と主観が入り込むのだけれど、でもたてまえ上はそういうことになっている。でも、それじゃ足りない。客観的に見ればバカなことでも、その中にいる当事者にしかわからない気分とノリがある。それがないと、何もわからなくなってしまう。たとえばオウム真理教について、洗脳だ、インチキだ、殺人テロ集団だ、と外から評価することはできる。でも、いったい中にいるやつは何を考え、感じていたのか?おたくだとか、主体性が欠如とか、つめこみ受験勉強の弊害とか、いろんなばかヒョーロンカどものきいたふうな分析もいいんだけれど、当事者たちはもっと具体的に動いているはずだ。それがわからないと、オウムのなにがわかったことになるというのだ。

  あるいは時代の雰囲気。いまの日本は不景気だ。それをたとえば経済成長率や失業率で示すことはできるだろう。でも、不景気というのは、みんなが不景気だと思っているから不景気だ、という面が大きくある。そのみんなの気分を描き出すにはどうしたらいいか? それができないと、不景気をきちんと描き出せないのだ。でも客観的な報道では、それは表現できない。

  そして雰囲気を重視するということになれば、正確な事実にこだわる必要はない。雰囲気はあくまで主観的なものだから、主観をどんどん描いてしまえばよいのだ。さらにその雰囲気をうまく伝えるのであれば、誇張はおろか、創作だってしてしまってよいではないか。ハンター・トンプソンは、フォークナーを援用してこう主張する。「小説がノンフィクションよりも真実を伝えることがある」と。というか、小説もノンフィクションもがっちりした定義があるわけじゃなくて、いい加減なくくりしかなくて、その間のところにいろんな可能性があるということ。その中には、あったことを伝えるだけじゃなくて、思ったことを書く、あるいはありそうなことを書く、という部分が当然あるわけだ。  で、「ゴンゾー」というのはどういうことばか?うるさい。おれも知らない。ハンター・トンプソンだって知らない。知ってるというヤツは知ったかぶりのインチキ野郎だからその場で殺してよし。ただの思いつき、とトンプソンが言っているので、そういうことにしておこう。

 むかしからかれはこういうスタイルでものを書いていたらしい。だけれど、このスタイルとその有効性が本当に開花したのは、『ヘルズ・エンジェルス』でのことだった。ヘルズ・エンジェルス。ただのバイク集団という人から、極悪非道の無法者集団という人もいる。そしてまた独自の信仰じみたものを持った、政治宗教的コミュニティなのだという人々もいる。外部から観察しているだけでは、かれらがどういう原理で動いているのか、どういう集団なのか、ということはまったく見えてこない。ハンター・トンプソンは、一年にわたってかれらと行動を共にして、中からかれらの行動を描く。その半ば一員として。バイクに乗り、強姦もふくめ犯罪行為にも加担しつつ、最後にボコボコのリンチにあって逃げ出してくる。この一冊で、ハンター・トンプソンは全米にその名をとどろかせることになる。

 続いて各種のスポーツイベントの取材で、トンプソンは本書に近い独自のスタイルをうちたてることになる。完全に主観、自分でどんどん中に入っていくやりかた。本書のきっかけとなったミント四〇〇の取材も、それでふってきた仕事だ。

 そして本書が出る。これはジャーナリスティックな記事というよりはむしろ、小説に近い代物として認識されている。本人も、これを「ゴンゾー・ジャーナリズムの失敗した実験」と呼んでいる。でもそれは別に本書が失敗作だということではない。かれがこれを失敗と呼んでいるのは、あとからそれなりに手を入れて、小説的な構成になるような編集が入っているからだ。かれはもっと、その場でメモをなぐり書いて、そのままそれを、編集なしに出版するようなことを考えていたという。「カルチェ・ブレッソンの写真みたいに、いったんとったら、ネガのフレームをそのまま使う。クロッピングもカットもしないで、ありのままに」。

 さらに、本書の中の政治的なコメントが注目されて、そこから生まれてきたのが次の作品 Fear and Loathing on the Campaign Trail '72である。これは、ニクソン大統領の選挙キャンペーンに一年にわたってついてまわり、その舞台裏も含めて本書の調子で書きまくった、ゴンゾージャーナリズムの最高傑作といっていいだろう。同じくラルフ・ステッドマンのイラストも交えて、トンプソン節がさえ渡っている。

 それ以降のハンター・トンプソンについては、評価が分かれる。悪いほうからいくと、「ジャーナリズムには『行動』がある」というかつての主張とは裏腹に、最近のトンプソンは行動しなくなっている。最新作は、ブッシュ対クリントンの大統領選キャンペーンを扱った Better Than Sex だが、ここでのトンプソンは自宅から動かない。テレビや新聞やファックスを見て、思いつきをタイプしたり、ファックスを書き殴ったりして、それを集めただけの、それはそれはシドイしろもの。トンプソンから臨場感を除いたら、何も残らないといっていい。その場にいて、その雰囲気を感じ、それを伝える――それがトンプソンの真骨頂。なのに、自宅にこもってテレビ見て感想文だぁ? ついにクスリのやりすぎで脳にヤキがまわったか、というのが(ぼくも含めて)多くの人の感想だった。いやもちろん、これを深読みして「すでにメディア化された選挙選を伝えようという果敢な試み」とかいう提灯持ちを頼まれもしないのにやってる連中もいっぱいいたが、バーカ。

 一方でかれは、相変わらず集団的な熱狂で成立しているようなイベントの記事にはすさまじい手腕を発揮する。その熱狂の雰囲気を伝える(あるいはその熱狂をどうしても共有できない自分のことをくだくだと書くことで、逆にその熱狂をきわだたせる)手口は健在だ。実際に現場に行ってくれれば、まだまだハンター・トンプソン健在なり。トンプソンの困ったところは、こういういい部分とダメな部分が極端にわかれていて、しかも同じ文章の中にそれが混在していたりすることだ。

  またもう一つ、かれに明確な政治的主張があると考えてはいけない。いや、あるにはある。かれは、六〇年代左翼リベラルの身勝手無頼派くらいの存在だ。でも、別にそこに体系的な思考もなければ、方向性もない。オレがいやなものはイヤだ。それだけ。おれのしたいことをじゃまする連中はみんなナチの特高の官憲のブタイヌだ。はあはあ。でも、じゃあどうすればいいの?トンプソンにとって住み易い社会って本当に現実的に可能なのか?それを実現するためにはどういうステップが必要なのか?ここからそこへの道は何か?ハンター・トンプソンは、そういったことを考える能力は皆無だし、それを実現させるための我慢やかけひきなんか、どう見てもできそうにないいわな。

  昔はそれでもなんとかなった。ベトナム戦争という、明らかによくない行為があって、それを支持しているニクソンというのがいて、それに対して嫌悪と反対を表明しておけば、とても楽なかたちで政治的なポジションが保てた。何もわからなくても、ニクソンはクズだ、あんなやつウンコだ、とわめいていれば、なにかしら政治的な発言のような顔ができた。いまは?共和党と民主党とがなにかきれいにわかれているか?そんなことはない。日本の政党と同じで、どっちも似たようなことしか言わない。クリントン嫌いだ、ブッシュ嫌いだ、でもいいんだけれど、クリントンでもモニカ・ルインスキー騒動でわかるように、もはや 100% の人格者で完全無欠だなんて思われてるわけではないのだ。どこが好きで、どこが評価できて、どこはダメなのか。それをきちんと考えて表現できないようでは、ただの好き嫌いの話になってしまうしかない。だが、トンプソンはそんな細かい評価はできないのだ。かれの魅力は、その主張ではない。一重にも二重にも、その書きっぷりのスタイルでしかない。

  ハンター・トンプソンのゴンゾー・ジャーナリズムと似たようなものとして、トム・ウルフなんかのニュー・ジャーナリズムといわれるものがある。これもふつうのジャーナリズムからははずれて、むしろネタを、誇張や小説的な手法をまじえつつ、おもしろおかしく書いてみせるやりかただと思えばいいだろう。ハンター・トンプソンは、自分のやっていることがニュー・ジャーナリズムと同じ方向であることを認めつつも、トム・ウルフについて「自分で参加するにはお高くとまりすぎていて、おもしろいと思った相手ともまともにつきあえねーから失敗した」と評している。

  ハンター・トンプソンに影響を受けたか、あるいはその流れを継ぐような物書きもそれなりにいる。いや、そもそもいまのジャーナリズム全体が、トンプソンみたいなやりかたの影響を受けている面もあるだろう。特に日本なんかでは、単純に文章力がない記者が多いせいもあるだろうけれど、記者ふぜいの感想文がしょっちゅう混じっている。あるいは、たかがテレビのニュース読み連中ごときが、キャスターとか称していかにも利口ぶったコメントをするようになっているのも似たような現象かもしれない。ある意味で、日本は私小説の伝統が強いせいか、あるいは小林秀雄ちっくな評論の流れもあるせいか、もともとちゃんとしたジャーナリズムが確立していなかったせいか、そういうのが無自覚な形でずっとはびこっているような気はする。

  トンプソン的な現場主義のゴンゾー・ジャーナリズムと、トム・ウルフ的なスノッブなところをうまく混ぜて成功しているライターとしては、P・J・オロークが挙げられるだろうだろう。そして一部の作家が政治的なルポというかコメントというか、なんかそんなものを たとえばスティーブ・エリクソンが大統領選挙選をルポまがいの形で書いた『リープ・イヤー』。あるいは『アフガニスタン・ピクチャー・ショー』や、各種の紀行小説のような作風でも知られるウィリアム・T・ヴォルマンも、そういう部分を持っている。こういう書き方が許されるようになったのも、たぶんトンプソンのつけた先鞭におうところはあるはずだ。


この本のその他関係者について

 本書で弁護士のモデルとなったオスカール・「ゼータ」アコスタは、それなりに名前のある人で、チカーノ運動(メキシコ系アメリカ人の地位向上と権利確立運動)における重要人物の一人だ。また、弁護士のみならず作家としてもそこそこ活躍していて、「ゴンゾー・ジャーナリズムにはハンター・トンプソンと同じくらいおれも貢献しておるのだ!」という主張を『プレイボーイ』に送ったりしている。とはいえ、「実はここに描かれているようなけしからん人物ではなく、立派な人格者でした」なんてことはぜんぜんないらしい。かなり常軌を逸したむちゃくちゃな人物で、クスリやりまくりのその他もろもろ。でも、リベラルな感覚の持ち主で、その意味ではハンター・トンプソンとかなりウマはあっただろう。その後、1974 年にかれはメキシコのマサトランでなぞの失踪をとげた。

  さらに本書のイラストレータ、ラルフ・ステッドマン。かれはイギリス出身のイラストレータで、フラン・オブライエン(今世紀有数のコミック小説作家)のイラストなんかを描いたりしている。いまもイギリスに住んでいて、仕事で初めてアメリカにきたのが、一九六九年のケンタッキー・ダービーの記事用イラストのための取材だった。で、この記事を書いていたのがだれあろう、このハンター・トンプソンだったわけ。なぜかれにそもそも声がかかったのかはわからない。風のふきまわしというか星のめぐりと言うか。たまたま「ちょっとイカレた感じのユーモア入ったイラスト描けるヤツ知らないか?」とハンター・トンプソンが編集者に聞いたところ、「まーかして」とその編集者が呼び寄せたそうな。そしてその後も、マイアミのヨットレースや、大統領選キャンペーンのイラストのためにアメリカにきて、そして毎度のようにハンター・トンプソンと仕事をしている。この『ラスベガス』のイラストでは、特にアメリカにきたりはしていなくて、文と想像だけで描いているようだ。しかし、この『ラスベガス』のイラストで、かれはアメリカで大ブレイクすることになる。

  かれは実は根っからのイギリス人で、アメリカがあまり好きではないらしい。アメリカにくると、緊張のあまりずっと呑んだくれているという。暴力的で、下品で、云々。最初の頃にアメリカにきたときもかなりおびえていて、それをハンター・トンプソンがおもしろがってわざと変なものを見せるようにするので、かなり精神的にまいって、それでこの『ラスベガス』でも見られるようなとても悪意の感じられるイラストを描くようになるそうだ。

  かれのフラン・オブライエンのイラストとかは、別にこういう悪意はない。ふつうのイギリス風の、ロナルド・サールなんかの流れを汲む(といっていいのかな)風刺画のイラストレータという感じだ。いや、ぼくもつい先日まで、この両者が同一人物だとは思ってもいなかったのだ。ところがこの本では、まるで雰囲気がちがう。コンパスでいい加減に描いたような、この弁護士の目の描き方や、イラストすべてのクスリ入ってるみたいな投げやりなゆがみ方。インクのとばしかた。愛情なんかまるっきりなくて、むしろなるべくグロテスクに意地悪く戯画化してやろうという手法。でも本書の場合、それが文の雰囲気とまさにどんぴしゃ。以来、これぞラルフ・ステッドマンのトレードマークのようなスタイルとなった。この後もかれはあちこちでハンター・トンプソンと仕事をしていて、それをまとめた『アメリカ』『Gonzo』という画集もあって、その序文をハンター・トンプソンが書いたりしている。


映画のはなし

 さて、こんな本がこんな時期に、訳し直されて出るのはもちろん、これが映画化されたからだ。主演がジョニー・デップで、監督テリー・ギリアム、脚本にはアレックス・コックスも参加している。

  こうなると当然、「この小説が1998年になって映画化された意義」とか「この作品が持つ現代性」とかいう話をしなきゃならないような気がするんだが……

  いや、正直いって、そんな理由なんてものはないのである。現代人がこの映画や作品から何か学ぶべきものがあるでしょうか。おっほっほっほっほ。いやあ、つまらん冗談だ。さっきも書いたけど、ハンター・トンプソンは他人が学ぶほどの政治的な思考力は持っとらんのよ。ただ……

 ただ、何と言えばいいのかよくわからないんだけれど、当時の絶望というか失望というかあきらめを、ぼくたちがいまだにひきずっているのだ、というのはあるかな。この小説の中に出てくるいろんな曲があって、当時は最新くらいのヒットみたいな感覚で、いまは完全な懐メロだ。でもいまこれを聞き直すと、そんなに古くさい感じはしない。そして、その曲をバックに展開される社会の状況というのが、実はほとんど同じなのだ。あれ以来、何か変わっただろうか。当時は、まだアメリカの経済成長は続いていたのだ。それが急落したというのは一つの変化だ。ハンター・トンプソンは、この時点でドラッグカルチャーの失敗について嘆いている。でも、アメリカ全体としては、まだまだ希望がありそうな感じだった。別のやり方があるだろう、とみんな思っていたのかもしれない。それが本書刊行の直後に急落。成長は停滞し、アメリカ産業の競争力は低下して、すべて日本に負けるという深刻な危機意識が出てきた。いまは一時的に回復を見せているけれど、それもいつまで続くやら。でも、それはむしろ、だめ押しみたいな感じだな。本質的なところでは何も変わっていない。六〇年代、みんなが解決したいと思っていた問題はほとんどそのまま残っている。昔はテレビでベトナム戦争をやっていたのが、いまはルワンダとイラクとボスニアとコソボの光景が見られる。みんな、もう期待もしていない。何か解決があるとも思っていない。ただ、最悪の事態だけ避ければいいやと思っていて、そこに変な開き直りもあって、そんなこんなで、いまこの小説を読んでも、あるいはいま映画を観ても、あまり過去のお話という感じはしない。設定をいまにしてもほとんど同じ話を作れるだろう。折しもいま、ラスベガスは全米一の急成長都市だ。

  そしてその開き直りは、確かに正しかったわけね。本書の最後で、トンプソンはとりあえずクスリを手にいれて、ゲラゲラ大笑いしつつバーに向かう。状況はろくでもないけれど、ま、いっか。なんとかなりそうじゃないか。そしてなんとかなったわけだ。あるいは映画の最後で、主人公はアメリカ国旗をなびかせたぼろ車に乗って、それまでの修羅場がウソのような爽快な顔でラスベガスから走り去る。そしてそのまま三〇年間、ボロ車に乗り続けてなんとか走り続けてきた。あの主人公が向かっているのは、まさにいまこの時代なんだ。


謝辞と義務的な記述

 本書には、「ラスベガスをやっつけろ!」という邦題で既訳がある。ただし絶版で手に入らなかったし、今回の訳では参考にしていない。というか、参考にするようでは新訳をする意味がないし、だいたいほかの訳を参照しなきゃならないような不明個所って、まったくないんだもの。ひたすら勢いだけで訳せて、翻訳としてはとても面白かったのだ。わははは。誤訳はたぶんないので、探すだけ無駄だと思うぞ。

  訳にあたって不明点のいくつかについてアドバイスをくれた、ケン・スィージーとローラ・リンドグレンには感謝を捧げる。といってもまあ、アドバイスの大半は「あたしらも知らないくらいのものだから放っといたら?」というものではあったのだけれど。それもあって、註もどうでもいいもの以外はつけていない。「ローリングストーンズ:イギリスのロックバンド」とか註をつけたって、知らないヤツには絶対にわかんないじゃないか。

  さらに本書の編集を担当されたのは、ロッキングオン社の稲田浩氏であった。ハンター・トンプソンは締め切り破りと経費超過の常習犯どころではないようだけれど、その点この訳者は手間がかからなくてとっても楽だったはず。感謝するよーに。ではまた。

1999 年 7 月
東京は品川にて

山形浩生

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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@mailhost.net)