『建築と断絶』(ベルナール・チュミ、鹿島出版会)訳者あとがき


 本書はBernard Tschumi, Architecture and Disjunction (1994, MIT Press, Cambridge) 全訳である。

 著者は唯一の実作ラ・ヴィレット公園で、機能的に意味のない赤い「フォリー群」を散らしたデザインで衝撃を与えた建築家だが、他に数十人に『フィネガンズ・ウェイク』をもとに庭をデザインさせた『ジョイスの庭』でも知られる。ただし話題になったのは、庭の実際の出来よりはジャック・デリダを担ぎ出した現代哲学趣味のほうだが。一方では、六〇年代より現代思想的言及の多い評論活動を精力的に続けている。

 本書は、そうした論文や講演をまとめた著者初の論集であり、六〇年代からの理論の展開がうかがえる好著となっている。

 本書の二点で評価できよう。まず、観念的な「建築」論とその歴史的な位置づけ作業として。次に、それを実際の建築に適用する際の観念主義者の倒錯を示す反面教師として。

 「形態だけでなく、利用形態(プログラム)まで射程に入れなくては、建築はとらえきれない」とチュミは論じる。ただし形態と機能は、永遠不変の固定した関係にはない。そして、その固定されなさ加減はますます加速されつつある。その中で、安定性や機能と形態のマッチを旨とする従来の正統建築理論が崩れているのだ。

 こうした考察を、チュミは正統的に「建築とはなにか」という問いから始める。この問いへの様々な回答を歴史的にたどりなおし、「ピラミッド」(観念上の形態)と「迷宮」(触知される現実の空間)という二つの方向性を抽出する。両者は相容れないはず(ここの検証は弱い)なのに、現実の空間では共存する。そこに空間/建築のパラドックスがある。それは具体的には、形態と機能とのミスマッチとして現れる、とチュミは主張する。

 この思考のきっかけの一つは、パリの六八年五月「革命」だったらしい。現実的なインパクトは僅かだったが、フランスの知識人にとっては大事件だった。その中で「建築家も社会を変える役割を担わなくては」という(だれに頼まれたわけでもない)義務感から、チュミは形態と機能(人の行動)の関係について考察を深める。そして、むしろ形態と機能の断絶こそが現代的な建築や都市のありようであり、東京などの機能や形態の無秩序な並置は、積極的に評価すべきだという結論に到達する。

 ここまではいい。ここまでの議論は(寄り道は多いが)刺激的であり、本書の大きな魅力だ。

 だが、問題はその先だ。それを実際の空間に移し変える段階で、チュミは観念屋ならではの倒錯ぶりを披露する。現代の空間と機能の間に断絶があるなら、現代の建築はそれをそのまま表現しなくてはならない!

 確かにどんな建物でも、いずれ別の使われ方をする可能性はある。しかし、それをデザインで表現して何になるのか。たとえば恋愛。今はこの人が好きだけれど、いずれ愛が醒めるかもしれない。これは事実。だからって、「きみとは先々長くないかもね」なんてことを得意げに吹聴すべきか? 先のことはわからなくても、いやそれだからこそ、今はここにいる相手のことを真剣に精いっぱい考えるべきではないのか? 誠実さとはそういうものだ。建築だって同じだ。

 チュミのアプローチには、そうした現実の利用への誠実さが皆無だ。彼の「利用」とは、具体的な人間が念頭にない、ただの観念なのだ。それが証拠に、本書には「利用」の話はあっても、「利用者」という言葉は一度しか登場しない。だから彼は「ちゃんと機能して人々を喜ばせる建物をつくることは建築の目的ではない」などと平気で口走るし、ご自分の建築実現のために施主をだましていいと述べて恥じるところがない。「形態と機能は無関係」という議論も、結局は機能を真剣に考えない口実となって、奇矯な形態の乱雑な配置を正当化しているだけではないのか。図面の段階では、それをチュミのデザイナー的な才能がつなぎあわせている。が、現実の空間ではそれが霧散する。ラ・ヴィレット公園も、プランは死ぬほどかっこいい。でもできた空間のなんとがらんどうで、赤いのがポツポツしているだけでなんと殺風景なことか。
 デザイナーとしての才能は認めるものの、この人はどこか根本的なところで勘違いをしているようだ。その勘違いぶりも、本書から反面教師として読みとっていただければさいわいである。

 翻訳作業は、決してむずかしくはなかった。結果としての訳書のわかりにくさは、99%以上が原著の責任である。論理的な飛躍、論の展開に何も貢献しない、ためにする現代思想への言及。遠目には派手な固有名詞と現代思想用語が乱舞するかっこいい文だが、没頭して読むとそれが論理(機能)と断絶している! この意味で、彼の文も、その建築と非常に似通っているとは言えるだろう。

 本書の編集は、森田伸子氏が担当された。

平成7年師走 品川にて
山形浩生



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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@mailhost.net)