キャシー・アッカー『アホだら帝国』訳者あとがき

Valid XHTML 1.0! (キャシー・アッカー『アホだら帝国』(ペヨトル工房、1993)pp. )

山形浩生

「キャシー・アッカー:この元 42 番街ポルノスター、1984 年に前衛フェミニズム小説『血みどろ臓物ハイスクール』をひっさげて岸に打ち上げられた時には、文学パンクで売り出した。売り物は刺青、スキンヘッド、その辛辣な態度。(中略)でも、無数の80年代有名人同様、彼女のアーティストとしての本領発揮分野はインタビューである」

『i-Deas の 10 年:80 年代百科』より

 引用したこの『i-Deas の 10 年:80 年代百科』ってのは、80 年代のロンドン雑誌界を接見した i-D の編集で、イギリスの 80 年代カルチャーのすべてを盛り込んだ、懐古趣味たっぷりの楽しい本だ。ぼくはこういう海外の流行方面に疎いので、イギリスでフランク・チキンズ司会によるカラオケ番組があるとか、大相撲が放映されていて解説をライアル・ワトソンがやっているとかいうくだらない話は、これで初めて知ったのだけれど、まあそれはさておこう。さてこの本でキャシー・アッカーは、キャサリン・ハムネット(キャー!)やマドンナ(ギャー!)やチェルノブイリ(ひぇー!)と並んで堂々一項目もらってる。ウィリアム・ギブスンですら、サイバーパンクの項目の中に押し込められてるってのに。ほかに作家で出てくる人は、ティモシー・モーとマーティン・エイミス(この二人はイギリス人にしか関係ないから無視)とサルマン・ラシュディと、「あの人はいま」的扱いのタマ・ジャノウィッツくらいなのよ。てなわけで、キャシー・アッカーというのは、世界の一部分では 80 年代を代表するくらいの大事件だったらしいということは、おわかりいただけたかしら。

  キャシー・アッカーの出世作は、先日邦訳の出た『血みどろ臓物ハイスクール』であり、ダメ押しが『ドン・キホーテ』(邦訳近刊)である。この二冊で彼女はポスト・バロウズの旗手の座を確立した。そして本書『アホだら帝国』は、最新作の『アイデンティティ追悼』(いずれ邦訳)とともに、神話創造というその先の変なところに入りこみつつある新しい系列の作品だと言われる。というか、自分ではそう言ってる。もっとも一部の人に言わせると、キャシー・アッカーの小説はどれも「あー、あたしはもっと愛が欲しいのよぅ!」とひたすら絶叫しまくってるだけなので、新しい系列もクソもないことになるのだが。だが、それは日本では、みなさんがこれからご自分で判断してゆけばよいことである。

 とりあえず、その判断用に、みなさんにもインタビューを読んでいただこう。1990 年の春、ニューヨークでの会話の一部である。ただし、多少脚色あり。

■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■

KA あたしの本を日本語に訳すって? ふーん、どうなのかな、何とかなりそう? そういや先日『血みどろ臓物ハイスクール』を訳してるとかいう人に会ったけど、あれとは関係ないの?

山形 ??いや、それは……知らないなあ(註 今にして思えば、これが例の渡辺佐智江だったのだ)。こっちは『アホだら帝国』のほうです。まあ何とかなると思いますよ(註 何とかしました)。バロウズよりは楽そうだし(註 そうでもなかった)。

KA これって、何かシリーズの一冊ってことになるのかな。

山形 ええ、まだ細かいところは決まってませんけど、バロウズやレーモン・ルーセルなんかと同じシリーズということになるはずですよ。

KA やっぱ売り方が問題よね。表紙とか販促とかはどんな感じ? あたしも呼んでもらえれば行けると思うけど。

山形 (何と図々しい)いやあ、チトそういうノリにはならないんじゃないですか。表紙も、訳ができて中身の見当がつくまでは何とも……

KA 使える写真はいろいろあるから、言ってくれればそれなりに対応できると思うな。あの、メイプルソープが撮ってくれたやつは、いろいろ条件がうるさいんでつらいかもしれない。

山形 えー、ですからぁ、メイプルソープとか雄琴のソープとかいう以前にですねぇ、翻訳があと半年はかかりますからぁ(註 結局二年かかりました)、それまではそういう話は出てきませんったら

KA んじゃあ、翻訳はどうなの? 章毎にいろんな物書きの文をパクってんだけど、そこらへんって出せそう? 最近、日本の作家を多少読んでてさ。新作では、紫式部なんかにも登場してもらってるんだけど。まあ、例によっていい加減なパクリだけどね。三島は、非常によくわかるし、よく読んでるんだけど、川端ってのが、目は通したけど、何というか、その……」(手をふりまわす)

山形 言いたいことはわかるけど、言ってることはわからない、みたいな……

KA そう! そういう感じ。まあ翻訳のせいもあるのかもしんないけど

山形 いや、それはその通りだと思います。日本人でもそう感じると思います。えー、いろんな物書きの文、ですか。たとえば『アホだら』でパクってる作家というのは?

KA えーと、一章はまずサド。それとフロイト。あとはフランスの、えーと……忘れちゃった。ハッハッハ。帰ってノート見たらわかるけど(註 グローヴ・プレスで、かつてキャシー・アッカーの担当だった編集者は、長編のゲラに疑問点を添えて送ったら『そんな昔書いたもののことなんか、イチイチ覚えてない』と言って怒られたという)。どうなの、そこらへんって、日本語でちゃんとわかるように訳せる?

山形 (自分でもロクに思い出せないものを、他人にはわかるように訳せってぇの?)うー、部分毎に雰囲気がちがうのはそれなりに表現できるんですけど、もとがわかるように、となるとねぇ。もとのヤツの翻訳の問題もありますし。お約束できるのは『ニューロマンサー』のとこだけです。『ニューロマンサー』は間違えようがないですけど……SF方面はお好きなですか?

KA うーん、結構読んではいるし、嫌いではないよね。なまじ「文学的」じゃないし、オープンだし。ウィリアム・ギブスンは全部読んでる。ほかのサイバーパンクの連中はともなく、ギブスンは大作家になる可能性を持った物書きだと思う。『ニューロマンサー』はすごかった。最近の『モナリザなんとか』ってのはひっでえ代物だったけど。なんかふつうの小説を書こうとしてるでしょう。  ただこの『アホだら帝国』は、ギブスン以外の部分でも、全体としてかなりSF色の濃い本なのは確かね。特にバラード的な意味で。

山形 それは、全体の近未来的な設定といった部分でしょうか、あるいは「バラード的な」というと災厄小説っぽい部分を考えての話でしょうか。

KA 両方、だな。

山形 バラードの場合は、『残虐行為展覧会』から『クラッシュ』への移行で、断片羅列から叙述的な書き方にシフトしましたよね(バラード自身のことばだと、非線形的な作品から線形な作品へ、ですな)。あなたの場合も『血みどろ』の断片を撒き散らしたような書き方から、『アホだら帝国』ではかなりストーリー性が高くなった、というような形式面での意識というのは?

KA それは……別にバラードがどうこうという話ではないなあ。『血みどろ』や『ドンキホーテ』は、基本はデコンストラクションが面白くてやってたんだけど、『アホだら』ではもっと叙述に興味が移ったってだけだな。バラードとのからみで言えば、むしろ新しい神話創造みたいな面かな。

山形 ??

KA さっき、サドとフロイトって話をしたけど、かれらは一番エディプス的な物書きよね。特にサドは、この神話を内破させた、とでも言おうかな。現代の西欧世界は完全にエディプス神話に毒されてるわけで、だからサドなんかの文を持ってきて、自分の生きやすいような神話を作り直すと言ったらいいかな。そこらへんの話は、いまシルヴェール(・ロトランジェ)がまとめてくれているあたしの短編集(註 『我が父ハンニバル・レクター』1992)に入るはずのインタビューで、かなり詳しくやってるから、そっちを読んでもらえればいいんだけど。

山形 バロウズの唯一の後継者とか、女バロウズ、みたいな言い方をされますよね。ご自分でもそういうふうに考えているんですか?

KA だってまわり見回しても、ほかに誰もいないし。名誉なこととは思ってるし、自分でも人にきかれりゃそう言ってるからね。こないだパーティーに顔を出したら、ポーランドだかチェコだかの作家の女房と話しになって、「あなた、どんな系列の作品書いてるの」って言うから、「ウィリアム・バロウズと類似の作品と言われることが多い」って答えたら、向こうが急にいきりたって「なにバロウズ? そんなことはあり得ない、だれもバロウズみたいには書けない!」とかわめきだして、ホントまいったけどさ。

山形 向こうはどう思ってるんでしょう。

KA さあねえ、たぶんどうとも思ってないんじゃない? なんか最近は人間よりネコとか動物のほうがいいらしいし。

 テレビ局に頼まれて何度かインタビューに行ったんだけどさ、まあ常人じゃないのはまちがいないわよね。いろいろみんなに脅かされてたから、かなりおっかなびっくりではあったんだけど、一応普通に口はきいてくれたし。まあ返事もしてくれたし。ただ、返事が質問とほとんど無関係なのには困ったけど。でも、何をきいても機嫌良く応じてくれたんだけど、二回ほど怒鳴りつけられたのが、動物のことを知らなかったとき。それ以外だったら、怒らせようとして変な質問してもちっとも怒んなかったのにね。最初は確か、フェネック(サバクギツネ)のエサを知らなかった時。もう一回は、レムール(メガネザル)ってのが何だか知らなかった時。「お嬢ちゃん! そのくらいのことは勉強しとくもんじゃよ!」だもん。

山形 そのバロウズが他人の文を持ってきて、カットアップしたりしますよね。それはたとえば、新しいことばのつながりを作り出す、とか、あるいは他の文のイメージが、ホログラフィ的に数語の中に押し込められて、新しい文に入りこんでくるような、そんな効果を意図してのことですが、あなたの場合、他人の文を持ってくるというのは何なんでしょう?

KA バロウズのあれには、ことばとイメージの他に政治の面があると思う。テキストの中にある権力関係。あたしがバロウズをすごいと思うのは、政治とことばの出会いを取り上げてたからで、それとたぶん唯一のコンセプチュアリストである点。特に初期のバロウズはそうでしょう。かれの『第三の精神』があたしの教科書だった。

 それで、なんだっけ。他人の文を使うって話か。たとえば男ってのがどんなものか興味があったら、男が書いた男であることに関する文をいくつかとってきて、それを組み合わせるってことがあるな。そうすると、そういう文に隠された、マチスモなり何なりの要素が浮き彫りにされたりするわけ。さっきの、サドを使ってのエディプス神話ってのみたいに。一時「アッカーは女を犠牲者としてばかり書く!」とかフェミニストたちに罵倒されたけど、それもあたしの使ったテキストのそういった部分が露呈しただけで、あたしがそういう意図を持っているわけじゃないってことね。遊びもあるし、結局のところ、それがあたしの書き方だ、と言うしかないんだけど、でも力点は変わってきてるし、それは作品毎にはっきりあらわれてると思う。『血みどろ』と『アホだら』では明らかにちがってて、『血みどろ』ではいろんな文を、積み木みたいに並べては崩すのが面白かったんだけど『アホだら帝国』はそのレベルで遊んでるだけじゃなくて、それをもっと刈り込んで、プリミティブな叙述がもっと前面に出るようになってる。何が起きるのかもわからず、自分がだれかもわからず、でもひたすら前に進むような叙述。いわば、驚きの世界。センス・オブ・ワンダーだな。神話の叙述、特にギリシャ神話の叙述ってのはそういうもの。いまは創り出すように興味があるんだ。

山形 じゃあ、次の作品は?

KA 次のは『アイデンティティ追悼』。『アホだら帝国』での叙述が、さらに前面に出てくる。テーマは恋愛という神話。

■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■

 このインタビュー(というか、単なる顔合わせの雑談だったのだが)のセッティングをしていただいた梅沢葉子氏には感謝したい。ありがとう。この時の作者との約束通り、一応部分毎の雰囲気はそれなりに訳しわけられてると思う。敢えて断るまでもなく、『ニューロマンサー』部分については、故黒丸尚氏の訳をパクらせていただいた。

 タイトルにはさして意味はない。単なる思いつきである。訳の遅れのため、キャシー・アッカー邦訳一番乗りになり損ねたのは、山形の不徳と致すところ。一番乗りを果たした渡辺佐智江氏には、訳に関するコメントをいろいろいただき、お世話になった。この場を借りて感謝したい。ありがとう。彼女の『血みどろ』訳にだけは負けてなるものか、というのが、今回の翻訳を進める上でのぼくの最大の推進力となっている。その意味で、共訳者として久霧亜子の協力を得られたのは幸運だった。彼女の参加によって、男には得難い女性的な機微が訳にも織り込まれたのではないか。分担などは、自ずと明らかだろう。

 本書は Kathy Acker Empire of the Senseless (Grove Press, 1988, New York) の全訳である。翻訳環境としては、J-3100GT+VZ Editor ver.1.57+WXII+ver.2.51を使用、辞書は『リーダース英和辞典』(松田徳一郎監修、研究者、1984)、『新英和大辞典』第五版(小稲義男他編、研究者、1980)を中心に手当たり次第使用した。

 本書の編集は、黒田一郎氏が担当された。次の『アイデンティティ追悼』でもよろしく

平成五年六月     
品川にて   
山形浩生

著書訳書インデックス  山形日本語トップ


Valid XHTML 1.0!YAMAGATA Hiroo (hiyori13@alum.mit.edu)