Valid XHTML 1.0!

ノヴァ急報のこと


山形浩生



「ノヴァ(超新星)の爆発は天変地異をもたらすといわれている。地球の内紛を扇動するため他の銀河系から、ヴィールス的寄生物、破壊的な昆虫、悪霊などがやってきた。そして人間の肉体に侵入し、精神を操り、崩壊をもたらす……つまりノヴァを創出するのだ。こうしてノヴァ警察は、犯罪者と同じ心性をもって人間と自然を根本から切り離し、解決できない矛盾や政治の悪化を招き、全地球的爆発を策謀している。バロウズは、ヒロイック・ファンタジーに抜きがたい物語性を排し、黙視録的シュルレアリスムというべき断片的エピソードのカタログを作りあげた。本書は『裸のランチ』『柔かい機械』『爆発した切符』とともに四部作をなすバロウズの代表作であり、サド、ジョイス、ロートレアモンの文脈のなかで反SFの先鋒を突進し、SFのSFを切り拓いたものである」

――――「ノヴァ急報」サンリオSF文庫版の裏表紙解説全文

 はいはい皆さん、お待ちかね「ノヴァ急報」ですよ。その昔、おませな中学生だった山形くんは、サンリオSF文庫の創刊とともに発売された旧訳を読んで、さっぱりわけがわからず、「ぼくは頭が悪いのかしら」と真剣に悩んだものでしたが、そんなことは(たぶん)なかったのですねえ。裏表紙の名解説を読んで、「黙視録的シュルレアリスムって、おっかなそうだけど何だろう」と思ったり、「サド、ジョイス、ロートレアモンの文脈って、一体何かしら」と自分の知らない世界の広さに日々おびえていたのは、今となっては懐かしい思い出だ。反SFの先鋒を突進! ワオゥ! こういうことを知らないと、この『ノヴァ急報』ってのは理解できないのかしら……

 さて、それからはや十五年。ぼくは未だに「黙視録的シュルレアリスム」のなんたるかを知らないし、「サド、ジョイス、ロートレアモンの文脈」とゆーのも、もはや知りたいとすら思わない。知っているのは、この名解説が(残念なことに)全然間違っているということだ。まず本書では、善玉・悪玉の区別は非常にはっきりしている。ノヴァとノヴァ・ギャング、これが圧倒的に悪者だ。「人間と自然を切り離し、解決できない矛盾や政治の悪化を招き、全地球的爆発を策謀している」のはノヴァ警察ではなく、このノヴァとノヴァ・ギャングたちなのである。もちろん、それを食い止めるべく、パルチザンたちと手を組んで活躍するノヴァ警察は、圧倒的に善玉である。なんと言っても、イギリスやタンジールで作家に扮しているエージェント(『裸のランチ』などという本を書いたそうだ)は、このノヴァ警察の捜査官なのですもの。この意味で、本書はヒロイック・ファンタジーと大差ないのである。

 もうチト詳しくいってみよう。ノヴァとノヴァ・ギャングたちは寄生生命体で、後進惑星の未開生命体(たとえば地球の人間とか)にとりついて、それを自分たちの利益のために好き勝手に操っている。もちろんそれを宿主に気づかせないような偽装はちゃんとほどこしてあって、たとえば人間は「言語」が自分たちの一部だと信じこんでいるが、これはその寄生体の偽装がいかにうまく働いているかを示すもので、ホントは言語というのは異星からのウィルス寄生体なのである! かれらは宿主のことなどまるで考慮せず、吸い尽くせるだけ吸い尽くしてから、次の宿主を求めて宇宙をさまよう。もちろん、こういううまい話のあるところには、いろんな詐欺師やペテン師、気狂いや偏執狂が群がってくる。

 一方、寄生された側も完全なバカではないし、長年やってるうちにウィルス側も気のゆるみでいろいろヘマをやらかすので、中には気がつくやつも出てくる。「ギョッ、おれって寄生されてるんだ!」こういう連中はパルチザンを組織して、このウィルスに抵抗することになる。

 また、宇宙にもそれなりの正義とか法律があるらしく、ノヴァ警察はこういった一方的な搾取を取り締まるべく活躍する。そしてパルチザンと手を結び、ノヴァ犯罪者の摘発に勤めるのである。もちろんこうした事態を審議、調停するための法廷もちゃんとあって、宿主側がそこに提訴したりもする。

 こうしてノヴァ犯罪者たちの侵略状態は脅かされる。ノヴァ犯罪者たちは既得権を手放したくないので、宿主側のいろいろな内部抗争を煽って自分たちから注意をそらそうとする。また、緊急避難というか、ナントカの船板というか、どうしてもやむを得ない事態だったのだと強弁したりもする。が、しょせんは時間稼ぎにすぎない。ついにノヴァ包囲網が踏み込んできて、かれらが追放・逮捕される時がやってくる。それが「全地球的爆発」だ。もちろんノヴァ犯罪者/ノヴァ・ウィルス側としては、そんな「爆発」なんか起きてほしくないのである。気づかれぬまま、うまい汁を吸い続けたいのである。

 おそらく裏表紙解説者は「警察は権力の走狗だ」といった図式が念頭にあったので、ノヴァ警察を悪者にしてしまったのだろう。もちろん、旧訳があちこちで原文の意味を正反対にとりちがえているせいもあるだろう。確かに、バロウズはもちろん元ジャンキーだから、現在の警察機構にはいろいろうらみつらみもあるし、あまりいい印象はもっていない。しかし一方で、OSI(CIAの前身)に志願したこともあるし、警察という存在そのものには結構好意的だったりするのだ。

 かれのこのウィルス史観が正しいかどうか、なんてことを詮索しても意味がないことくらい、常識で考えればおわかりいただけるだろう。トニー・タナーという人が『言語の都市』といういやになるほど分厚い本で、現代アメリカ小説に特有のオブセッションとして「現実が何かに操られているという感覚」を挙げている。ウィリアム・バロウズはまさにその典型であり、当然この『言語の都市』でも一章を割いてもらっている。そういう漠然とした不安をさらに深めて、何やら体系的とも言えるくらい「やつら」の物語を拡張し、ノヴァ・ギャングとパルチザンとノヴァ警察の争いという図式をつくりあげるバロウズの手口は、陰謀好きなアメリカ的風土と(なんだかんだ言いつつ)マッチしているのだろう。バロウズがアングラ集団に根強い人気を保っているのは、たぶんそんなあたりに理由があるのだ。

 最近復活したローリー・アンダーソンは、かつて本書などの「言語はウィルスだ」というバロウズのことばを読んで、「作家としては意外な、うーん、なんだか仏教的な発言よね」と言って、そのまんま「言語はウィルスだ」という歌をこしらえてしまったけれど、うーん、仏教的かねえ。別に仏教的だと何か御利益があるわけでもなかろうと思うので、あんましマジにそういうことを考える気にもならないし、第一それほど暇でもないのだけれど、まあ世の中いろいろだということでここはお茶を濁しておく。

 『ノヴァ急報』は、『裸のランチ』『ソフトマシーン』から『爆発した切符』へと続く、ウィリアム・バロウズのカットアップ・フォールドイン作品群の一つである。執筆時期は、他の作品と同じく六十年代初期。麻薬中毒から立ち直り、パリ暮らしを経て一時タンジールに戻った時に完成したらしい。読みやすさの『裸のランチ』、わかりやすさ(比較的)の『ソフトマシーン』、完成度の『爆発した切符』と並べてみると、本書の特徴は明快さだろう。「異星からのウィルスの侵略」といったテーマが一番はっきり読み取れるのが本書だ。冒頭の「最語」に見られるようなプロパガンダは、他の作品にはまず登場しない。このため本書には、他には見られない切迫感があって、それが本全体のテンションを高めるのに貢献している。上述のカットアップ小説の中では、個人的に一番好みの小説だし、内容はともかくこの『ノヴァ急報』というタイトルはあちこちで引用されている。カート・ヴォネガットのドラ息子が書いた情けない『エデン特急』(邦訳は何とみすず書房だったりする)という本があるけれど、このタイトルが『ノヴァ急報』のもじりなのはおわかりいただけるだろうか。

 一応は旧訳の存在が念頭にあったため、この訳はなるべくわかりやすい、意味の通るものにしようとしている。このため、若干説明過多になった部分はあるかと思う。これでも「わかりやす過ぎる!」と言って怒る読者は、よほど偏屈な評論家でもない限り、たぶんいないと思う。が、原文はもう少しわかりにくかったのだ、ということを念頭においていただいても、バチはあたらないだろう。

 翻訳環境としては、Macintosh PowerBook 170+Katana4+クラリスワークス1.0、辞書は「リーダース新英和辞典」(松田徳一郎監修、研究社、1984)、「新英和大辞典 第5版」(小稲義男他編、研究社、1980)を使用。底本としては、William S. Burroughs "The Soft Machine/ Nova Express / The Wild Boys : Three Novels by William S. Burroughs" (Grove Press, NY, 1980) を使用した。蛇足ながらこの本は、ぼくが初めて買ったウィリアム・バロウズの原書だった。もう十年以上も前のことだ、と書くと妙に年寄り気分になるのは不思議なものだが、あの時はまさかこのオレが、この本を丸ごと訳すことになるなどとは思ってもみなかった。それがどうしたと言うわけでもないのだが、いやあ、人間長生きしてるといろんなことがあるものだという話である。


 いろんなことと言えば、衝撃的だったのは「ドクター・バロウズ」なるソフトウェアの出現である。何とこのソフト、テキストファイルを喰わせてやると、自動的にカットアップをしてくれるのだ! 当のウィリアム・バロウズですら、まさかこんなものができてしまうとは本気では思っていなかっただろう。実際、ぼくの生の翻訳と、それをもとにドクター・バロウズで生成したカットアップとは、ほとんど区別がつかない。恐るべき代物である。開発者の細馬宏通氏には大絶賛を送りたい。ついでながら、付属のドキュメントが傑作なので一部引用させていただく。

 「……ドクター・バロウズは容赦しません。膨大なテクストを思うさま切断し、編集します。殺生につぐ再生。そのワイルドで繊細な手つきは、まさに桃太郎侍とブラックジャック。いつしか、ウィンドウという名の牢獄と、スクロールという名の重力の魔から解放されたあなたは、あらゆる場所にテクストの境界を発見することでしょう。そして境界は越えるためにあります。

 ドクター・バロウズは、単独で完ぺきなカットアップ作品を作るわけではありません。あなたのたぐいまれなるシビアな選択眼を得て、はじめて、ミシンのコウモリ傘あえも真っ青の秀作ができあがるというわけです。

 さあ、電脳空間を切り裂く旅に出ましょう。いつの日か、百千錬磨の股旅カットアッパーとなったあなたの姿に、老いも若きもシビれまくる日がくることでしょう。こなかったとしても、作者は幸せです。

 そう、幸せは股旅、そしてこの世界はカットアップなのです」

……もはやチンタラ翻訳などしている時代ではなくなったのかもしれない。読者のみなさんも、電子時代のテキスト遊びをたっぷりと味わって体験していただきたい。同ソフトは、MS-DOS版とマッキントッシュ版がそれぞれNifty-Serveなどで入手可能だし、バロウズの文でカットアップをしてみたいとおっしゃるのであれば、同じくNifty上でPFA001126までメールをいただければ(注:現在は hiyori13@alum.mit.eduへどうぞ)、お好きな作品のお好きな部分をテキストファイルでお送りしよう。何の役にも立たない文学理論をふりまわしてバロウズがどうのこうのと聞いたふうな口をきくより、このソフトで遊ぶほうが何倍も生産的なのだ。多少なりともそれが手伝えるのであれば、不肖のこの訳者もまた幸せである。いろんな意味で。

 バロウズの作品も、残り少なくなってきた。次は『爆発した切符』である。何とかこの「ドクター・バロウズ」を使って訳の手がぬけないものだろうか、というようなことを目下たくらんでいるのだが、その結果についてはまた後日。では。

一九九四年三月
ボストンにて



山形著書訳書 Index YAMAGATA Hirooトップ


Valid XHTML 1.0! YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>