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モルモン教ってどんな宗教?

——「インタビューズ」(文芸春秋社)用の解説(未使用)

山形浩生


 モルモン教は、わが国でもそこそこ布教活動は行われており、街頭で「アナタハカミヲシンジマスカ」と話しかけられたのが西洋人との初めての接触経験だったという思い出を持つ人も少なくはない。またいわゆる「外人」テレビタレントにもモルモン教伝道師の出身者が数名いるため、名前だけはそれなりに知られている。しかしながらこうした活動にも関わらず、その実際の教義については必ずしもよく知られているとは言い難いため、少し解説を加えておく。

 モルモン教は、本インタビューにもある通り、自らをキリスト教の一派と考えている。しかしながら通常のキリスト教とは異なり、旧約、新約聖書(および外典)に加えてモルモン経(けい)という独自の教典を持つ。このため、聖書以外の聖典を認めない通常のキリスト教一派からは、異端扱いされることが多い(他の宗派は、同じ聖書の解釈をめぐって見解の相違が存在するために分かれている。外典などで一部異同はあっても、モルモン教のように、まったく別の教典があるわけではない)。

 では、このモルモン経とはいかなる内容か。

 紀元前数世紀、ユダヤ人の一部がアメリカにわたり、数々の啓示や奇跡を体験した、というのがその骨子である。モルモン教の教義にしたがえば、アメリカインディアンたちはユダヤ人の末裔であり(ただし今のインディアンたちがそうだとは、かれらは主張しない。それどころか、なにやらすさまじく人種差別的な議論が展開される)、アメリカインディアンの遺跡などから発見される各種の高度な工芸品は、もちろん旧大陸から伝えられた技術によって初めて可能となったものと説明され、こうした遺物と古代オリエント文明の遺物との様式的な相似を指摘するのが、モルモン考古学の重要な作業となっている。こうした古代アメリカのユダヤ人たちが、各種の神の御業を黄金の板にヘブライ語で記して綴じ、埋めておいたのを、教祖ジョセフ・スミスが十九世紀初頭に神の導きにしたがって発掘し、神の助けをかりて翻訳し、広めたのがモルモン教である。なお、このヘブライ語で書かれた黄金の本は、あればモルモン教に関する鉄壁の証拠となるのだが、神に返却されてしまったために今は見ることができない。ジョセフ・スミスと、かれの選んだ証人たち数名が見ただけである(神様が一瞬貸してくれたそうだ。かれらは「見た」という宣誓書を書いている)。

 しかしながら、ここでかれらは、一つの大きな矛盾に直面する。モルモン教はキリスト教の一派を名乗っている。このため、聖書(特に新約)の内容と大きく矛盾することがあってはならないし、何らかの連続性はどうしても必要となる。しかしながら、紀元前数世紀にアメリカに渡り、その後長期にわたって旧世界とは切り離されていたユダヤ人たちは、常識的に考えればキリストのことなど知りようがない。したがって連続性など望むべくもないはずではないか。

 もちろん解決方法は一つ。神がそれをかれらに啓示として伝えたのである。

 このため、モルモン経における聖人たちの議論は、部外者のわれわれにはきわめて理解しがたいものとなっている。この聖人たちは、五−六百年後に地球の反対側でイエス・キリストが誕生することを知っている。そして、かれがどこで何をして、どのような発言をするかも、微に入り細をうがって熟知している。あらゆる議論の根拠は、その数世紀後に行われるはずのキリストの発言である行動なのである。信仰の薄い不心得者が「だってそんな、地球の裏で起こるずっと先の話なんかホントかどうかわからないじゃない」と論理的できわめてもっともな(と不信心者たるわれわれには思える)疑問を出すと、「キリストは今から五百年後にどこそこで『信仰薄き者はナントカである』とおっしゃるのだ!」と聖人が答え、敵は論破されて天罰が下る、というのが一般的な話の進め方である。そんな面倒なことをしなくても、現地の聖人に神が直接啓示内容を伝達すれば、手間も省けるし議論もわかりやすくていいのに、と思うのだが、これはもちろん部外者の勝手な感想である。したがって、教義そのものに新約聖書からはずれた新しい部分はあまり見られない。むしろ新約とのつじつまあわせに終始していると言えよう。

 モルモン経(けい)のクライマックスは、イエス・キリストがアメリカに登場(!!)するくだりである。キリストは、死から甦って昇天するに際し、天国に直行せずになんとアメリカの信者たちの前にやってくるのである。もちろん信心深いアメリカユダヤ人たちは、すでに啓示によって何世紀前からそれを報されており、大群衆が祝宴の準備を整えて待っている。すると、予言通り丘のてっぺんにキリストが光りに包まれて降り立ち、群衆は狂喜乱舞して大宴会に突入。キリストはひとしきり話をしてからまた飛び立ってゆく。なかなかの大スペクタクルではあるが、伝統的なキリスト教の教義からすると受け入れ難いものであることはご理解いただけよう。

 モルモン経の中身自体についても、つじつまのあっていないところやどう考えても変なところがたくさんあって、いろいろつっこみが入ってはいるんだけれど、まあこの点は、もとの聖書も大したつじつまがあってるわけじゃない、という話もあるわな。でも、そういう批判は多い。

 モルモン教の排外主義と孤立主義については、本インタビューの序文や中身でも触れられている通り。キリスト教特有の不寛容と異教徒に対する残虐性・攻撃性はモルモン教でも健在である。一方で当時(十九世紀半ば)のアメリカはさまざまなキリスト教宗派が血で血を洗うような熾烈な抗争を展開しており(ジョセフ・スミスがモルモン教を興すきっかけの一つとなったのも、宗派抗争がありすぎてどれが正しいのやらわからない、ということであったとされる)、モルモン教もその明白に異端的な性格から攻撃を受けやすかったのは明らかだろう。教義の特殊性が迫害を生み、それが警戒心と排外性を招き、それがさらに迫害につながる、という悪循環が繰り返されたのは想像に難くない。さらにブリガム・ヤングの導入した一夫多妻制は、モルモン教徒を非常に特異な存在とするのに大きな役割を果たしており、モルモン教といえば一夫多妻と十分の一税といなか者くさい伝道師、というのが今でもアメリカでは主流を占める通俗イメージである。ただし、一夫多妻は現在では行われていないことになっている。


註:

 これはインタビューの補足なので、少し書き足りない。インタビューに出てきた中身もふくめてちょっと補足。

 ときは 19 世紀半ば。当時は新大陸で、各種のキリスト教宗派が対立抗争を繰り広げていた。「赤毛のアン」シリーズを読んだ人なら、長老派教会というのとメソジスト派というのが何度も出てきたのを覚えているかもしれない。赤毛のアンとその周辺人物たちはみんな長老派で、露骨にメソジストをバカにした発言を繰り返していた。そして赤毛のアンは(なにせよい子なので)、そういうのはよくないわ、メソジストだっていい人はいるわ、というようなことを言ってそれをたしなめる、という場面が随所にある。「赤毛のアン」のようなおはなしにすら色濃く影を落としていた宗教抗争は、実はもっともっと熾烈をきわめた代物で、当然ながら殺しあいやリンチにまで発展しており、さらに無数の泡沫宗派がうんかのごとくに沸いている状況だった。
 で、信仰篤きジョセフ・スミスは、どの宗派が正しいのだろう、と悩んで、結局どれにも属さずにお祈りしたりしている。そこへ神さまの啓示が下る。「みーんなダメだよ、おれがちゃんとしたのをおまえに教えてやるから待ってな」。
 というわけで、ジョセフ・スミスくんは神さまからいろいろ啓示を授かるようになったわけだ。そしてあるとき神様は、モルモン経のありかをかれに告げる。モルモン経の神さまは変な神さまで、何度もしつこく三回繰り返すというくせがある。
 というわけでジョセフ・スミスは山の中にいって、モルモン経のヘブライ語版を書いた金版を掘り出して、さらにスーパー翻訳胸あてのウリムとトミムというものも授かる。この翻訳胸あてをつけると、ヘブライ語なんか見たこともないジョセフ・スミスくんも、すらすらヘブライ語が訳せるようになってしまうのだ。この翻訳機も、金板といっしょに神様に返却されてしまっている。

 さてもちろん、真っ先にかれの教団に入ったのは親類縁者、友人たちだったんだけれど、こんなむちゃくちゃな教義を唱えたものだから(だってバビロン虜囚よりも前の時代に、バプテスマだの三位一体だのが主張されたことになってるんだもん)、まあみんなして石を投げられる結果になる。そしてその前後で、教祖ジョセフ・スミスが殺されてしまうんだ。これを期に教団は、ブリガム・ヤングの指揮のもとにユタ州(当時は州じゃなくて自治区みたいなものだったんだけれど)に移住して、後のソルトレークシティを開拓した。

 ヤングは決して宗教的な人間ではなかった。色と欲の出世街道ビジネスマンというところ。ヤングがいなければいまのモルモン教団はありえないんだけれど、それがモルモン教団にとって幸せだったかどうか。まず一夫多妻制の導入。ヤングは前からジョセフ・スミスに「一夫多妻制しよーよ」とねだっていたのだが、スミスは「そんなのやだよ」と言っていたそうな。ところがスミスが死んで、教団がユタに入ってしばらくすると、ヤングは「あ、きのうジョセフ・スミスがわたしに啓示をくれて、一夫多妻にしましょうって言ったよ」とあっさり導入してしまう。故人の遺志もなにもあったもんじゃない。

(追記:ただし、一部の資料では、そうではないという話もある。ジョセフ・スミスも一夫多妻がやりたくて、あるとき神さまからそういうお告げを受けて、それでいままでさんざん苦労をかけてきた奥さんに「ねいねい、一夫多妻していいってさ」と喜んで報告する。するとその奥さん、スミスの目の前で、黙って結婚誓約書(かなにか)を破り捨てたそうな)

 さらになにもないユタで数百人の小集団が生き延びるのはとてもきつかった。おりしも西部開拓時代。モルモン教団はダニテ団というテロリスト部隊を養成し、家財を積んで西に向かう一家を続々と襲っては財産を奪う。インディアンの変装で襲うのが常だったけれど、失敗すると変装を捨てて出直し、保護してあげると称してソルトレークシティにつれていき、そこで子供だけ残して全員を虐殺したりしている。後にこのダニテ団の親玉がつかまってこういうことを証言。最初はその親玉も口をつぐんでいたけれど、ブリガム・ヤングは「つかまるようなバカはさっさと死ね」とあっさりこれを切り捨て、絶望した親玉は口を割り、すべてブリガム・ヤングの直接の指示で行われたと言っている。教団側はもちろんこれを否定している。

 またかなり長いことユタ自治区はアメリカから半ば独立した存在になっていて、税金も払わず、さらにアメリカ政府が裁判官とかを送り込むとかれらはこれをぶち殺したりしてる。かなり長期に軍事的な対立をしてから、騎兵隊つきで裁判官派遣、さらに一夫多妻だけはやめてね、という条件付きで、ユタは正式な州になった。まあこういうこともあったからアメリカ政府側のプロパガンダも混じってるんだろうし、これをもって、いまのモルモン教を否定することはできない(あ、ちなみにかれらは自分のことをモルモン教とは言わない。末日聖徒キリスト教会という)。旧約聖書みたいにそういう残虐行為を得意げに自慢しないだけマシかもしれないんだけれど、ただ出自はかなりすさまじい宗教なんだというのは知っておいてもいいかも。あと 50 年くらいしてオウム真理教がいっぱしの教団になっちゃったような感じかな。

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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@mailhost.net)
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