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: トルルの機械 : 宇宙創生期ロボットの旅:前史3編 : 目次

かくて世界は破滅を免れた

ある日のこと、宙道士トルルはナニヌネノで始まるものなら なんでもつくれる機械を組み立てた。作業がおわると、彼は試 しに、ネジをつくってみろと命じ、ついで南京木綿とネグリジェ をつくらせ、それができると、こんどは長ぎせるに詰めた悩み 忘れの涅槃薬をはじめとする名高い眠り薬のかずかずをつくっ てみろと命令した。機械はこれを一言一句にいたるまで実行し た。それでもまだ機械の性能に十全の信頼のおけない彼は、次々 と命令を出した。虹。ぬかるみ。熱核兵器。ニュートロン。ナ フタリン。のどぼとけ。人魚。沼の精。ナトリウム。最後のひ とつはできなかったので、トルルはかなり頭にきて、説明を要 求した。

「そういうものは聞いたこともありません」機械は言った。

「なんだと? ただのソーダ、ソジウムだぞ。ほれ、金属で、 元素のひとつで……」

「ソジウムならサ行で始まるものです。わたしはナ行で始まる ものしかつくれません」

「しかしラテン語でいえばナトリウムだ」

「いいですか」機械は言った。「もしわたしが、どこの国の言葉 でもかまわずにナ行で始まる事物すべてをあやつれるとした ら、わたしは『五十音でいえることならなんでもできる機械』 ということになってしまいます。なぜなら、どんな事物でも、 どこかの国の言葉では、ナ行で始められるでしょうから。世の 中、そんなに甘くはありません。わたしはあなたのプログラム した以上のことをすることはできないのです。ですからソジウ ムはだめなのです」

「よし、わかった」と言ってトルルは、こんどはぬばたまをつ くれと命じ、これはたちどころにできあがった――規模はいく ぶん小ぶりながらも、申しぶんない夜闇であった。ここに至っ てようやくトルルは、親友の宙道士クラパウチュスを招待し、 機械にひきあわせた。その際に彼があまりにながながと、機械 のずばぬけた性能を自慢したので、クラパウチュスもいささか カチンときて、だったらひとつ拙者にもそいつをテストさせて いただこうじゃないか、と言いだした。

「なんなりとご随意に」トルルは言った。「ただし、ナ行で始ま るものにかぎるぞ」

「ナ行?」クラパウチュスは言った。「よかろう、では『なべて』 をつくっていただこうか」

  機械がくうんと鳴ったかと思うと、またたくまにトルルの家 の前庭には博物学者がひしめいていた。学者たちは議論をたた かわせた――それぞれが分厚い論文を刊行し、おたがいに他の 者の書物を引き裂きあう。距離をおいて見ていると、積みあげ られた薪に火がつけられ、なべてのものの造り主への殉教者た ちが火あぶりにされているのが見てとれた。雷が落ち、煙が奇 妙なきのこ型の柱となって噴きあがる。みんな口々にどなるば かりで、他人の意見を聴く者はなく、ありとあらゆる種類のメ モやアッピール、召喚状など、書類・文書がやたらとみだれと び、すこし離れた片隅で二、三人の老人が、それらを熱心に切 り刻んで紙屑をこしらえている。

「どうだい、なかなかいけるんじゃないかい?」鼻高々にトル ルは言った。「これぞまさしくなべてのもの。さあどうだ、参っ たか!」

 だがクラパウチュスは納得しなかった。

「なんだね、いったいあの騒ぎは? まさかあれを、なべてこ の世の本質だなどと、そんなことを言うつもりじゃあるまい ね?」

「なら、なにかほかのものを要求するがいい」トルルは鋭い口 調で言った。「なんなりと、勝手に言うがいいさ」一瞬、クラパ ウチュスは、なにを要求すればいいのか、途方にくれた。しか ししばらく考えたのち、彼は機械にふたつのことをさせよと言 明した。それができたら、トルルの主張がすべて正しかったと 認めてやろう、と。トルルがこれに同意すると、すかさずクラ パウチュスは、なりたらずをリクエストした。

「なりたらずだって!?」トルルは叫んだ。「いったい全体、なり たらずとはなんのことだ?」

「なりあまりの逆さ、もちろん」クラパウチュスは涼しい顔で 答えた。「逃げ腰だとか、写真のネガだとか、まあそんなような ものだよ。まさか、負の存在なんて初耳だ、とは言うまいね。 さあ、機械、スタートだ!」

  機械はしかし、すでに作業を開始していた。機械はまず、反 陽子をつくり、ついで陽電子と反中性子、反中間子をつくると、 営々刻苦、これら反物質すべてを組み合わせて反世界をつくり はじめ、造営なかばの反世界がふたりの頭上に、幽霊のように ぼうっと白く光りだした。

「はてな」クラパウチュスが不興げにつぶやいた。「これがなり たらずだと? ふむ……まあ、そういうことにしておこうか、 平和のために……だが、もうひとつ、三番目の要求があるぞ。 機械よ、なすべきことは、なにもなし!」

  機械はじっと動かなかった。クラパウチュスは勝ち誇って両 手をこすりあわせたが、トルルは言った。

「はて、なにがお望みだったのかな? 貴公はこの機械に、な すべきことはないと言い、機械はなにもしなかった。なにか不 服でもあるのかね?」

「これは異なことを。拙者はこやつに、なすべきことは『なに もなし』だと言ったのだ。なすべきことがない、と言ったので はない」

「『なにもなし』とは、なにもせぬことではないか!」

「これはしたり。こやつは『なにもなし』をなすべきところを、 なにもせなんだ。よってこの勝負、拙者の勝ちだ。『なにもなし』 とはな、わが敬愛する賢明なる朋友よ、のんべんだらりの無為 無策、なまけっぱなしの無能力、二束三文の代物のことにはあ らずして、能動的な、熱意あふれるなにくわぬ顔、すなわち、 並みなみならぬ、にべもない、ぬかることなきニヒリズム、ま たいいかえれば如是一切空、似たものを知らぬ、ぬきんでた、 並ぶものなき、名づけえぬもの、のっぺらぼう!」

「貴公、機械を混乱させようというのか!」トルルは叫んだ。

  しかしそのとき、思いがけず、金属の声が鳴りわたった。

「よくもまあ、あなたがたふたりは、そんなに口論ばかりして いられるものですね! ええ、ええ、わたしだって『なにもな し』のなんたるかぐらいは心得ていますよ、なにくわぬ顔も、 ニヒリズムも、如是一切空も、名づけえぬものも、のっぺらぼ うも。奈落、入滅、なれのはて、ナ行で始まるものならなんで も。ナはなきもののナ。ほらほら、この世の見おさめですよ、 おふたりさん! まもなくこの世はなきものとなり……」

  ふたりの宙道士は愕然とし、口論を忘れた。機械がいま現実 に、『なにもなし』の状態をつくりはじめていたのであった。そ れはこういう具合である――ひとつまたひとつと、さまざまな ものがこの世から離れ、離脱した品々は、はじめから存在しな かったかのごとく、存在するのをやめていくのだ。機械はすで に、のらあやないとぜぶ、のく、ねく、なりいれいかあ、ねお とりいむ、のんまるりがあを、処分してしまっていた。しかし、 時折、機械は間引き、減らし、削除するだけでなく、また同時 に、収支の台尻を合わせるかのように、増やし、加え、付けた してもいるようだった。人非人、捏造、なんじゃらほい、肉親 遺棄、逃げ口上、ならず者、煮え湯、難詰、男色、縄張り根性。 だがしばらくすると、世界はやはり決定的に、トルルとクラパ ウチュスの周囲からもうすれはじめた。

「なんてこった!」トルルは言った。「無茶苦茶なことにならな きゃいいが……」

「心配には及ばんさ」クラパウチュスが言った。「だって、ほら、 こいつはのっぺらぼうの宇宙をつくっているのではなくて、ナ ニヌネノで始まるものを非在化しているだけなんだから。大い なる無と比べたら、こんなものは無に等しい。そしてそんな卑 小な無こそ、トルル氏、貴公の機械に似つかわしいのさ!」

「いいくるめようたって、そうはいきませんよ」機械が答えた。 「たしかに最初は、ナ行で始まるものを扱うことから始めまし たが、それは、それらが手慣れたものであったからにすぎませ ん。ものを創造するかぎりにおいてはそうでも、破壊すること となれば、これはまったく別物です。わたしは世界を、インク 消しのように消し去ることができます。その理由は単純明快、 わたしがナ行で始まるものならどんなものでも、ことごとく ――ことごとくとは、つまり、すべて、一切を――とり扱える からにすぎません。『なにもなし』もまたナ行で始まるもののひ とつ。わたしにとってはなんでもないこと。あと一分をへずし て、あなたが存在を終えるでしょう、ほかのすべてのものとと もに。ですから、さあ、クラパウチュスさん、わたしに言いな さい、早く、わたしはかくあるべくプログラムされたすべてで あると、まことに、真に、すべてであると、さあ、手遅れにな らないうちに」

「しかし――」と抗議しかけて、だがこのとき、クラパウチュ スは思い知った。どれほど多くのものが現実に消滅しつつある か、を。しかもそれは、ナ行で始まるものだけではなかったの である。ふたりの宙道士の周囲には、もはや、芻食も、はとや にも、プドンも、慢実も、さんするも、銀星も、囚子もないの であった。

「やめろ! まけた、前言取り消し! 思いとどまってくれ! ストップ! 『なにもなし』にするのはやめてくれ!」クラパ ウチュスは絶叫した。だが機械が完全に停止するまえに、こぬ か嵐と氷油、ゆるばしりと青道帯が、すべて消滅してしまって いた。ようやく機械がぴたりと静止し、微動だにしなくなった とき、世界はまさに惨状を呈していた。ことに空は無残なもの だった――光を放つものはほんのわずか、ぽつんと孤立してあ るばかり――いまの今まで地平線を飾っていた、あの壮麗な銀 星と青道帯が、もうあとかたもないのであった!

「ガウス大聖!」クラパウチュスは叫んだ。「芻食はどこへ行っ てしまったのだ? わがいとしの、お気にいりの囚子は? あ の優美な青道帯は?」

「それらはもはや存在しません、二度と存在することはないで しょう」平然と機械は言い放った。「あなたがたの指令に従って、 わたしが処分しました。いや、むしろ、処分はまだ手をつけか けたばかりです……」

「拙者はただ、『なにもなし』をなせ、と言っただけなのだ、そ れを……それをおまえは……」

「クラパウチュスさん、ご自分を実際以上の白痴によそおうの はおよしなさい」機械は言った。「もしわたしが、本格的に、一 挙に、『なにもなし』を実行していたなら、すべてが存在を終え ていたでしょう、トルルも、空も、宇宙も、あなたも――そし てわたしも。そんなことになっていたら、誰が証言するのです、 誰が認定するのです、命令は遂行されたと、わたしが有能で実 効的な機械だと? 言う者もなく、聴く者もなくて、どうやっ てわたしの、あのいわれなき汚名をそそぐことができましょ う?」

「よし、わかった、拙者の疑義は徹回しよう」クラパウチュス は言った。「もうこれ以上質問も要求もしないから、たったひと つ、頼む、お願いだ、機械君、どうか青道帯をもとに戻してく れたまえ、あれがないと人生はまるで味気ないものになってし まう……」

「だめです、それはできません、あれはサ行で始まるものです から」機械は言った。「もちろんわたしは濡れぎぬや脳軟化症、 尿道結石、妬み、なまけ者なら、回復できます。しかし、ナ行 で始まるもの以外は、いかんともいたしかねます」

「拙者は青道帯が欲しいのだ!」クラパウチュスはわめいた。

「残念ながら、青道帯はだめです」機械は言った。「ようくこの 世界をごらんなさい。なんと虫喰いだらけなのでしょう。ぽっ かり口をあけた大きな穴ぼこ、隙間がいっぱい、無がいっぱい、 まばらな星と星の間は、底なしの虚空、虚空を満たす無がいっ ぱい、われわれの周囲にあるものすべての裏には、べったりと 無が貼りついている、すべての物質の断片の背後に、ほら、黒々 と、ぬっとそびえたつ無。これがあなたの注文品ですよ、うら やましい! まあ、未来の世代がこの注文のことで、あなたを 讃えるとは、ちょっと思えませんけれども……」

「たぶん……それには気がつくまい、たぶんわかるまい」同僚 のトルルの眼を正視できずに、暗黒の空無の宇宙を呆然と見上 げながら、蒼い顔でクラパウチュスはうめいた。ナ行で始まる ことすべてをなしうる機械のそばに友を残して、クラパウチュ スは逃げるようにその場を去った――かくして、まさにこの日 より、世界は、清算の途中で一休みしたまま、あまたの無で蜂 の巣状になったのであった。また、その後、他の文字で始まる ものすべてを自由にあやつれる機械を建造しようとする試みが ないわけではないが、それらがことごとく失敗に終わっている おかげで、われわれは、遺憾ながら、二度とふたたび、あの銀 星や青道帯のような、すばらしい現象を見ることは望みえない のである――そう、二度とふたたび。


hiyori13 平成18年6月27日